番外編2 おばけアパート3
二階も同じく、見るも無残な状態だった。どうやらDIYが趣味の椎名さんのご友人は、未だその力を発揮してはいないらしい。
「二〇一号室! ここは恐ろしいぞ。なんせ最上階のはずなのに、天井から子供の走り回る音がするんだ。しかも気づいたら封をしていたはずのお菓子の袋が開けられており、勝手に中身が食べられている……!」
「ふーん、ネズミだろうな」
曽根崎さんは椎名さんをあしらいつつ、どこからともなく長い棒を取り出した。それで天井をトントンつつくと、ガサガサガサガサと何か小さいものが這い回る音が立つ。
「……」
「おいなんとか言え、椎名」
「ペット付きとはいい物件だよな」
「冗談は存在だけにしろ。ネズミの糞らしきものも落ちてるし、景清君は入れないほうがいいな」
「あれ、ネズミ嫌い?」
「そういうわけでは無いんですが……」
昔喘息を患っていたので、糞が悪い影響を及ぼさないか懸念されているのだろう。大丈夫だとは思うけど、正直進んで入りたい部屋では無い。
「長居は無用だな。次だ、次」
「次……えーと、二〇二号室。ここは怖いぞ。勝手にテレビがついたり消えたりする」
「テレビ自体の不調か、もしくは隣人が同じメーカーのものを使ってたんじゃないか? テレビは撤去されているから分からんが、そういう現象の発生はままある」
「むっ! 人の気配もしたそうだぞ!」
「気配だろ? ンなもんアテになるか。カメラつけて四六時中監視してから言え」
「でも写真撮ったら、ふわふわした人魂っぽいのがいっぱい写ったらしいし!」
「玉響現象。オーブと呼ばれる球状のものが写真に映り込むことを指すが、実際はカメラのレンズに汚れが付着していたり、空気中の埃などをフラッシュの光が反射していただけだったりなんてことが多い」
「ふっ、ふふふふふっ! とうとう尻尾を出したな曽根崎! 多いってだけなら、ゼロである証明はできないんじゃあないか!?」
「あ? ここで悪魔の証明を持ち出すか? ああ? 私の領分は存在する怪異をどうにかしてやるだけで、見つけ出すのはそっちの仕事だぞ?」
「うぐぐぐ……! か、景清君ー!」
「僕に頼られても」
完全論破された椎名さんは、しょんぼりと肩を落としていた。だけど、ここまで特に怖い思いをすることなく順調に怪異を解決できているのだ。上々の出来だと思う。
曽根崎さんはため息混じりにドアを開けて、椎名さんを振り返った。
「もう十分だろう。このアパートには然るべき業者に介入させ、ネズミを一匹残らず追い出す。それで怪現象は全て解決だ」
「ま、まだだ……。まだ一部屋残ってる……」
「往生際の悪い。っていうか、一部屋ぐらいならもう火炎瓶投げて燃やせばいいんじゃねぇか」
「バカ言うな! そんなことしたら延焼して全体的に住めなくなるだろ!」
「今の状態でも、だいぶキツイもんがあるがな」
曽根崎さんの言葉が耳に痛いのか、椎名さんは両手で耳を押さえた。ところで、曽根崎さんも椎名さんも背が高いんだけど、椎名さんのほうは肩幅もあるのでこの小さなアパートにいると随分窮屈そうに見える。っていうか似合わない。どっちかというと、お洒落なマンションの最上階でバスローブ着てワイン傾けてそうだ。
対する曽根崎さんは、流石というべきかこのアパートにしっくりハマっていた。廃墟とか、お化け屋敷とか。そういう場所に、彼のモジャモジャ不審者面はよくマッチする。
ドアの前に立った椎名さんは、ドアに貼り付けられた番号を一瞥して言った。
「最後の部屋……二〇三号室には、地縛霊がいる」
「地縛霊ですか? っていうと、その地に執着して動かない霊のこと?」
「そう」
ここで初めて、椎名さんはポケットから鍵を取り出す。……なんでこの部屋だけ、鍵が閉まってるんだろう。
「五年前。ここで自殺した人がいたんだ」
ガチャリと解錠音がした。
「住んでいたのは、一人の男。女性関係にだらしない人でね、色んな女の子を取っ替え引っ替えしては都度お金を貰って暮らしていたみたい。働いている様子も無いのに羽振りは良かったようだから、結構な額だったんじゃないかな」
「いや、おかしいだろ。羽振りがいいなら、なんでこんなボロアパートに住んでたんだ」
「お、いい質問だな曽根崎。だから引っ越そうとしてたんだよ。ヒモっていうんだっけ? お金のある人に寄生して生きてくのって」
ドアが開き、部屋の全貌が明らかになる。壁紙や床板は割と新しく、他の部屋とは違って綺麗で清潔だった。だけど……どこか、圧迫感があるような?
「でも、引っ越す当日。家に帰ってきた男は、ある違和感に気がついた。ドアに鍵がかかっていなかったんだ。最初こそかけ忘れていたのかと思ったけど、すぐ第二の違和感に気づく」
椎名さんは革靴を脱ぎ、上がり込んでいく。
「女モノの靴が、玄関にきちんと揃えて置かれてあった」
玄関の隅っこには、白いハイヒールがあった。
「相手に心当たりはあったんだろうね。男は怒鳴りながら家に上がり、そして見たんだ」
部屋に入る。椎名さんの視線は、備え付けのクローゼットへと向けられている。
「そこのクローゼットから、女の目が覗いていたのを」
「……!」
「男はすぐに開け、そして仰天した。何故なら女は、そこで自分の首を掻き切って死んでいたのだから」
嫌な想像が僕の頭に満ちる。クローゼット内に満ちた血と、匂いと、転がる女と。けれど、彼女の目だけは……。
「女の目は、帰ってきた男を監視するようにギョロリと剥き出しになっていたってさ」
「う……」
「ご想像通り、地縛霊とはその女のことだ」
椎名さんの体が、ゆらりとこちらを向いた。奇妙な動きで、人差し指を立てた腕が持ち上がる。
「それからというもの、女の目はこの部屋のあちらこちらに現れるようになった。自分を捨てて別の場所に行こうとした男が、どこへも行ってしまわないように。ギョロギョロと目玉を動かして、住人を監視し続けている。ほら、今も……」
僕の背後を指差される。背中に、存在するはずの無い視線の気配がする。
「――クローゼットの、隙間から」
「ッ!」
バッと背後を見る。木製の薄汚れたクローゼットは、黒い一筋の線が入ったように隙間があって……。
――ヒッと息を呑む。僕が見たのは、朧げに光る無数の赤い玉。開いた目が、目が、目が。監視するように、ギョロギョロと蠢いていた。





