番外編2 おばけアパート2
体をこわばらせる僕と、「すげぇ、最近の幽霊って昼間でも出るんだ!」とはしゃぐ椎名さん。けれど曽根崎さんは呆れた顔をして窓の所へ行くと、サッとカーテンを引いた。
「……やはりな」
そこには誰もいない。次に曽根崎さんは、僕にドアを開けてくるよう指示した。
急いでドアの元へ行き、開けようとする。曽根崎さんの時にはすんなり開いたのに、今や押しても引いてもビクともしない。女の恨めしげな声は、なおも「オオオオオ」と耳に届いている。
な、なんだこれ。まさか、本当にこの部屋には幽霊がいて、僕らを逃すまいとしてるんじゃ……。
「気圧差のせいだな」
「え?」
怯える僕をよそに、曽根崎さんは窓のそばにしゃがみこむ。彼の手には、一枚のティッシュがはためいていて――。
……はためいている? あれ? 窓閉めてるのに?
「そこの換気扇をつけてきた」
振り返ると、オンボロ換気扇がミシミシと音を立てながら稼働していた。
「何らかの原因で外部からの空気流入が少ないと、部屋の気密性が高くなるんだ。そんな場所で換気扇を回し空気を外に逃がそうものなら、必然外との気圧差が大きくなり、ドアや窓は部屋側に押し付けられて開かなくなってしまう。これがドアが開かなくなっていた理由だ」
「へ、へぇ?」
「加えて、揺れるカーテンと女の恨めしげな声の正体だがな。答えは、このボロボロの窓にある」
「まど」
トコトコと曽根崎さんの近くに行く。なおもティッシュは、パタパタとなびいていた。
「ごらん、窓に多少の隙間があるんだ。この隙間から風が中に入ってくることによりカーテンが揺れ、不気味な音が発生していた」
「あ、じゃあ換気扇を止めれば……」
「収まるだろうな。やってみろ」
言われて、換気扇を止めてみる。するとすぐに、女の声もティッシュのパタパタも収まった。マジか。うわー、あっという間に解決しちやったよ。
しかし当の曽根崎さんはつまらなそうに息を吐くと、立ち上がって椎名さんを睨んだ。
「ってなわけだ。なーにが幽霊だよ。私はツナギ着た業者じゃないんだぞ。無駄働きをさせやがって」
「いや、無駄じゃねぇよ。解決してくれたじゃん」
「だが怪異じゃなかった。くだらねぇ」
けちょんけちょんである。だけど、やっぱり椎名さんは一ミリもめげていなかった。
「じゃあ次の部屋な! 大丈夫、次こそ絶対曽根崎が楽しくなる幽霊が出るから!」
「別に幽霊なんざ出ても楽しかないが」
「え、オバケが好きだから怪異の掃除人してるんじゃないのか? お前なー、せっかくなら好きなことを仕事にしろよ?」
「……」
あ、曽根崎さんが会話をやめた。もうそっぽ向いて外に向かってる。
「次は一〇二号室! お風呂の蛇口を捻ると、幽霊の祟りで血が出てくるんだ! なんでも男に裏切られた女が風呂場で自殺したからとかで……」
「……」
やっぱり鍵のかかってないドアを開け、曽根崎さんはズカズカ進む。椎名さんのノリも分からないけれど、曽根崎さんの無神経さも分からない。
そして彼は風呂場に入ると、迷いなく蛇口を捻った。
――真っ赤な、水が。鉄の匂いを孕んだ水が、びちゃびちゃと浴槽を汚して……
「赤サビ!! 配管交換!! 以上!!」
……スピード解決してしまった。こっちもただボロいだけだった。
「むむっ、次は一〇三号室! この部屋は恐ろしいいわく付きの部屋でな……!」
「はいはい」
「かつてそこに住んでいた男は、夜遅くに帰ってシャワーを浴びる生活を送っていた。しかし所詮は壁の薄いアパート、水の音がうるさかったのか、栓を閉めるなりゴンゴンゴンッと隣の部屋から壁を叩かれてしまう。しかも一度や二度とじゃない。男が夜シャワーを浴びるたび、必ず壁を叩いて抗議してくるんだ」
「はいはい」
「流石にたまりかねた男は、大家に相談してみた。しかし大家は首を傾げて言う。『隣の部屋には、誰も住んでいませんよ?』」
「はいはいはいはい」
「少しは怖がってくれよ!」
「よくある話じゃねぇか。何なら最初の一文でオチが見えたぞ」
「すげぇな、曽根崎!」
ここで誉めてしまうのが椎名さんだなぁ。曽根崎さんは大変鬱陶しそうに舌打ちしたあと、その部屋に足を踏み入れた。
こちらも問題の場所は浴室だ。今回赤い水は出なかったのでホッとしたけど、本番ははこのあとである。僕は息を詰めて様子を見守っていたのだけど……。
……ゴン、ゴンゴン……!
「!」
音がした。誰もいないはずの隣の部屋から、壁を叩く音が聞こえたのである。
「ウォーターハンマー現象」
「はい?」
しかし、この怪異にも名前がついていた。
「配管内の水流を急停止させた時に起こる現象だ。説明は面倒だから省くが、これも圧力が原因で起こっている」
「ってことは、アパートが古いのが悪いんですか?」
「うーん、一概には言えんがな。ともあれ現状を見るに、諸々が劣化している可能性は高い。水道工事の業者に見てもらうのが一番だろう」
「えー? じゃあ曽根崎、隣部屋の幽霊は?」
「関係ねぇな。こう再現性も高いなら、ウォーターハンマー現象で間違い無い」
ピシャリと断言されて、椎名さんは見るからに残念そうに唇を尖らせていた。この人、幽霊を見たかったのかな?
「……まあいいや。二階もあるし」
「もう帰っていいだろ。私呼ぶより業者呼んだ方が早いぞ」
「二階は絶対本物だから!」
「なんだ、その自信。どこから来るんだ」
うんざりした顔の曽根崎さんだが、お金を貰っているからには最後まで付き合うようである。渋々、錆びた階段を革靴でやかましい音を立てながら、二階に向かったのであった。





