22 網膜に焼きついたモノ
「し、椎名さんって、変わった人ですねぇ。悪い人では無さそうなんですが」
「アレは良いとか悪いとかの次元じゃない。たまたま財団に属して善寄りの型に嵌っているだけで、容易くどちらにも転び得る。信用し過ぎるなよ」
「でも、師匠の研究を継ぐって言ってましたよ」
「まあ、そこはそうするしかないだろうな。奴の選択肢もそう多くはないから」
「椎名さんも同じことを話してました。どういう意味ですか、それ?」
「んー……アイツにも色々あるんだよ」
「ふーん……例えば、曽根崎さんと一緒に住んでたとか?」
「住ん……!? いや、君何か誤解してないか!? 詳しく聞くのも怖気がするが、私とアレは決して何か特別な仲じゃ……!」
「現在はそうでも、果たして過去では?」
「無い! 何も、無い! 勘繰るな! つーか、君だって私と住んでた時があったろ! 事件に関わる諸々で!」
「言われてみれば」
「そういう話だよ、あれは!」
「どうだかー」
「君の誤解解くためだけにこちとら椎名を手にかけてもいいんだぞ」
「わかりました、わかりましたよ! ごめんなさい! 謝りますからマジな目やめてください!」
本気で曽根崎さんがイライラしてきたので、僕はこれ以上の詮索をやめることにした。もともと、自分の役割を先延ばしにしたいが為に始めた会話だ。続ける必要も無い。
「……そういや、今回の事件にも種まき人が関わっていたよ」
「え」
けれど会話が終わるのかと思ったら、意外な切り口が出てきた。曽根崎さんは簡潔に、烏丸先生から得た情報を僕に伝えてくれた。
「……そうなんですね。種まき人が、人魚のミイラを盗もうとしていたと」
「ああ。今後も狙われる可能性は高いだろう」
「だったら、ツクヨミ財団が危ないんじゃないですか?」
「かといって、九須寺に置いたままというわけにもいかんからなぁ。種まき人を呼び寄せてしまうことは言わずもがな、あのミイラは生きている。そんな不気味なものを、峰柯殿に預けるわけにはいかない」
「生きて……ってさっき烏丸先生と話してる時にも言われてましたよね。詳しく聞いても?」
「勿論。といっても、ここから先は推測の域を出ないが」
組んだ脚の上で頬杖をつく曽根崎さんは、指の隙間から言葉を落としていく。
「今まで得た情報が、全て真だと仮定する」
「はい」
「とある地に、罪を犯した者がいた。その者は同族に捕らえられ、神と呼ばれる存在に裁かれることとなった。かくして判決は下され、罪人は“永劫なる生者の牢獄”にて贖罪の日々を運命づけられたのである。――不死である罪人の体そのものに、意識を封じ込められることによって」
――ああ、やっぱり。
得体の知れない寒さに、僕はゾクリと身震いした。
「文献によると、罪人もしくは罪人の種族は、寿命という概念を超えた存在であるようだ。そして彼らの信仰する神は、対象の体を石のようなものに変え、かつ本人の意識を中に閉じ込めることができると考えられる」
「……その結果が、“人魚のミイラ”と呼ばれるものなんですね」
「そうだ」
だから、曽根崎さんはあのミイラが生きていると言ったのだ。
――恐ろしい話だ。石に変えられた体に意識だけ閉じ込められ、あんな筒に入れられるなんて。しかも自分で命を絶つことすらできないのである。真っ暗で息の詰まる狭い場所で、延々と生き続ける――。想像するだけで発狂しそうだ。
「ところで、罪人本人はともかく、何故彼の姿を見た者まで石になるんでしょうか? 神のオーラみたいなのが残ってるんですかね?」
「んー……当たらずとも遠からずだな。君、オプトグラフィーという言葉を聞いたことはあるか?」
「何? おぷ?」
音符? 聞き返す僕に、曽根崎さんは人差し指と親指でギョロリと自分の目を剥いてみせた。
「オプトグラフィー。19世紀後半に発見され、長きに渡り信じられ検討されていた犯罪捜査方法だ。特殊な技術を用いることで死者の網膜に記録された景色を分析できるんだが、これはロドプシンという光に当たると一時的に無くなりやがてまた再結合しようとする性質を持つ色素が働くことにより起こっており、写真乾板に光をあてた時の反応に似ていたことから」
「長い。端的に」
「死ぬ直前に見た景色が、死者の網膜に焼き付く現象のことだ」
「ん? SF系の推理小説に出てくるやつ?」
「お、飲み込みが早いな。それだ」
「でもそれって、ただの荒唐無稽なオカルトなんじゃ……」
「ふふ」
曽根崎さんは、漆黒の瞳を僕に向けたままニヤリとした。
「そうだ。一応の実証はされているが、如何せん条件が厳しいため現実的な応用はほぼ不可能だからな。なんせ被害者は、真っ暗な部屋で眩い光に照らされた犯人の顔を数分間に渡って見続けないといけないんだ。わざわざ、そんな殺し方をする人間はいないだろう」
「それは……そうですね。でも、なんか思ったより簡単に再現できるというか」
「今日の君は鋭いな。まさしくその通りなんだよ。つまり、先述した条件さえクリアできれば……」
――“意識的に”、死者の目に己の姿を焼きつけることができる。
……低い彼の声に、僕は唾を飲み込んだ。シンと静まり返った院内では、僕の鼓動すら聞こえてしまいそうである。
闇が、僕を見つめている。虹彩すらも分からないほどの黒は、僕だけを映していて。
「だから私はこう考えたんだ。人魚のミイラ――いわば罪人の目には、神の残像が宿っているのでは、と。そして石化した者達は、不幸にもこの罪人の目を覗き込んだ。烙印のように焼きつけられた残像の神と、視線を合わせてしまったんだ」
「……残像の神でも、力を持つと?」
「少なくともそう考えれば辻褄が合うだろう? 絵巻も、事件も」
ついでに僕が読んだ巻き物も、か。言葉にはしなかったけど、チラと考えただけで痛むはずのない頭が痛む気がした。
「だけどその神の力は、あの変な字が書かれた巻き物で防げるんですよね? じゃなきゃ犯人も石化してたはずですから」
「石化“は”防げるんだろうな。何の影響も無いわけじゃない」
「え?」
「事実、三条君は両目を抉り出し逃げ出そうとしていた犯人を見てるんだろ?」
「……」
友人の名前に反応して黙った僕に、曽根崎さんは構うことなく続ける。
「たとえどんなお助けアイテムがあろうとも、自分の目を潰さない限りは網膜の残像を防げない。そして想像を絶する恐怖に耐えられる者はごく僅かだ。思うに、多くの脆弱なる人類の脳と身体は、蝕まれて生きるより安楽の死を選ぶんだろう。……今回死んだ犯人もまた、同様に」
「じゃあ、木箱にしがみついていた人。あの人は死後に体を動かしましたが、それも神の力によるものなんですか?」
「いや、あれは違う」
……そうだよな。だって、神の力がそこまで及ぶのなら全員そうなってなきゃいけないのだから。でもそうだとすると、何らかの影響を及ぼしたものの正体は……?
「罪業者自身の力だよ」
曽根崎さんから提示された解答は、驚くべきものだった。
「言ったろう? あの人魚のミイラは、生きているんだ」





