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続々・怪異の掃除人  作者: 長埜 恵
第3章 人魚のミイラ
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21 烏丸からの報告書

 場面は変わって、景清が出て行った部屋の中。烏丸は、何事も無かったかのように一枚の紙を差し出した。

「で、曽根崎と椎名さんをヌルつかせてたあの液体なんだけど」

「言い方」

「成分は炭素、水素、リン、カルシウム……見てもらえば分かるけど、概ね人体を構成するモンでできてた。アンタらのヌルヌルは、人間だったモンでまず間違いねー」

「ふむ。由来は、あの三つの死体ですか?」

「出どころは知らねーが、検出されたDNAは三人分だった」

 顎に手を当て、曽根崎はあの物置小屋での出来事を思い返してみる。緑色で粘ついた液体にまみれて横たわる男の死体と、椎名。こもった空気は相変わらずだが、そういえば何故か……。

「……臭いが、無かった」

「何?」

「先生は、さきほど“概ね”とおっしゃいましたね。つまり人間ではありえない成分もあったと?」

「あー、うん。それが……」

 言葉を濁しつつ、烏丸は紙の一部を手の甲で叩いた。

「ここ。『✳︎✳︎✳︎』ってあるだろ」

「はい」

「微量だが未知の成分が検出されたんだ。もっとも、これはあくまで僕が調べた範囲の話だから、分析の専門機関に預けりゃ詳しいことが分かるかもだけど」

「分かりました。手配お願いできますか?」

「はいよ。ちなみにこの成分は、一つ残っていた男の死体からは検出されなかった。だからコイツが、死体を溶かした犯人の可能性はあるな」

「こんな微量で? そんな物質、この世にあるんですか?」

「今の所は思い当たらねーけどね。一応人を溶かすだけなら、十分な水と水酸化ナトリウム、水酸化カリウムがありゃいいが、あれを使うには高温で熱する必要がある。それに溶けた液体の色は、緑じゃなく茶色になるし」

 「あと」と、烏丸は見えない所に置いてあった医療用ワゴンを片手で持ってくる。

「現場には、これも落ちてた。見覚えあるだろ」

 トレーの上に無造作に転がされていたものを見た曽根崎は、濃いクマを引いた目を鋭くした。――傷や凹みの一切無い、ちょうど脳を一回り小さくしたような大きさの美しい銀色の物体。表面には、細かい模様が描かれている。

 以前、“まひるさん”とやらの脳の部分に据え置かれていたもの。種まき人との関わりを示すものが、消えた死体と同じ数だけそこにあった。

「……繋がっているというのですか。事件そのものが」

「この脳モドキを見るに、そうだろな。今回も割ってみたけど、やっぱおんなじ構造だったし」

「だから割らないでくださいよ。何かあったらどうするんですか」

「泣いてくれる?」

「縁起でもない」

 曽根崎の答えに、烏丸は嬉しそうにヒッヒッヒと笑う。それから、左手で拳を作って軽く曽根崎を小突いた。

「せっかくよってたかって助ける人間がいて、生き延びた命だ。曽根崎も長生きしろよ」

「……心得てます」

「そう? じゃあちゃんと精神科行けば」

「う」

 痛い所を突かれて引き攣った笑みを浮かべる曽根崎に、烏丸は存外真面目な顔でもう一度拳を突きつける。

「佐倉センセがボヤいてたぜ。『薬は一ヶ月前に切れてるはずなのに全然来ない。コマ切れにしたろか』と」

「それは……色々些事が重なりまして」

「アンタの特殊な事情は他の奴らよりゃ知ってるが、少しでも異常があるなら専門家による客観的かつ定期的な視点は不可欠だ。医者は万能じゃねーが、佐倉センセの言葉にゃ価値がある」

「はい」

「一週間以内に行きな」

「……はい」

 烏丸からの珍しいプレッシャーに、曽根崎はあっさり屈した。烏丸からの報告書を手にトボトボと部屋を後にする彼だったが、呼び止められて振り返る。

「報告書にも書いてあんだけど、一応な。その脳モドキだけど、唯一残ってた遺体からは出なかったよ」

「つまり、あれだけは完全に生身の人間だったと?」

「そ。変な刺青が彫られてるだけで、検死結果も完全フツーの人。まあ誰かを証明できるモンが何も無いから、今警察が必死で身元を探してるっぽいけど」

「……そうですか。ありがとうございます」

「いーえ」

 軽い調子の返事を背に、曽根崎は部屋を出た。陽はとうに落ち、消灯時間すら過ぎた院内は暗い。点々とつく夜用のライトの中を、曽根崎は歩いていく。

 そういえば、景清はどこに行ったのだろうか。少し休んでくると言っていたが、おそらく椎名を心配して追いかけていったのだろう。多分今頃、その必要は無かったと気づいているはずだが。それに、彼が落ち着いたのなら尋ねたいこともある……。

「曽根崎さん」

 探しながら歩いていると、ふいに後ろから声をかけられた。いつのまに、通り過ぎていたのだろう。曽根崎は戒めに自分の頭をトントンと指で叩くと、聞き慣れた声の方向へ体を向けた。




 最初は幽霊か何かと思ったのだ。薄暗い院内を体を引きずるようにして歩く長い影がいたのでは、心臓が止まりかけて当然だと思う。

 加えて、病院着なのも悪かった。咄嗟の反応で隠れてしまった僕は、彼が曽根崎さんと分かるなりひょっこりと頭を出した。

「曽根崎さん」

「ん」

 少しの間の後こちらを見た曽根崎さんは、やっぱりいつもの不審者面だった。待合室の椅子を指差して座るよう促し、僕も彼についていく。

「お疲れ様です。椎名さんは先に帰りましたよ」

「おや、何故君が椎名のことを知ってるんだ? 君は一人で休んでいたはずだろ」

「え? ……あ、いや、ほらたまたまですよ! たまたま休もうとした椅子に椎名さんが張りついてて仕方なく!」

「ごまかさなくていいよ。なんとなく、君が椎名を追ったのだろうと想像はついていた」

「何故聞いた! 何故聞いた!」

「気分のほうはどうだ?」

「……まあ、だいぶいいです」

「何よりだ」

 どことなく柔らかな声色に、人心地ついたような気持ちになる。けれど同時に襲いくるのは、田中さんから託された言葉。

 ――僕は今から、曽根崎さんに最低最悪なお願いをしなければならない。

 嫌だなぁ。いっそ全てをこのまま飲み込んで、終わりにできればいいのに。もちろんそんなことじゃ何一つ解決するはずもなく、僕は胸に渦巻くモヤをじっと確かめていた。

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【書籍化情報】
怪異の掃除人・曽根崎慎司の事件ファイル(宝島社文庫)
表紙絵
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