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続々・怪異の掃除人  作者: 長埜 恵
第3章 人魚のミイラ
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20 椎名憲也という人

 だからといって、今の椎名さんを放っておくこともできない。僕は休んでくると曽根崎さんに言い放つと、病室を飛び出した。

 床を蹴るたびに、振動で頭の左側が痛む。脳から血が滲んでいる感覚が気色悪かったけど、今は気にしないことにした。

 幸い椎名さんはすぐに見つかった。すぐ近くの病棟の待合室で、うなだれていたのである。

「椎名さん!」

「……景清君?」

 彼の真ん前に仁王立ちした僕を見上げ、椎名さんは少し垂れた目を丸くした。

「よく俺の場所が分かったな」

「香水の匂いを辿って来ました!」

「犬みたいだ」

「犬じゃない!」

「なんで、ここに?」

 理由を問われて、ちょっと答えに詰まった。椎名さんがフラフラと出て行ったから、というのは答えにならない。心配だったからというのが正解なんだろうけど、素直に伝えるのも気恥ずかしいし……。

「……だ」

「だ?」

「……大丈夫かな、と思って……」

「……」

 でも、ダメだった。咄嗟にごまかすという芸当など、僕にはできようはずもない。

 対する椎名さんはというと、不可解そうに首を傾げていた。なんでだよ。

「どうしてそんなこと聞くの? 俺、別にどこも怪我してないけど」

「いえ、怪我ではなく、その……巻き物を読んだ僕の様子に、ショックを受けてらっしゃったように見えたんで」

「慰めに来てくれたってこと?」

「うう、そ、そんな感じです。あんまり、一人にしないほうがいいのかなって……」

「……景清君も同じ状況なら、誰かに追いかけてきてほしいと思うのかな?」

 これを聞いて、最初は皮肉を言われたのかと思った。でもあまりに悪意が無い顔に、すぐ被害妄想を打ち消す。どうも彼は心底疑問に思っているようだ。

「場合によりますね。心から一人にして欲しい時と、本当は誰かにいて欲しい時とあります」

「そっか」

「椎名さんはどちらでした?」

「そうだなぁ。ぶっちゃけトイレに行きたかっただけだから、君の言うマジで一人にして欲しい時にあたるんじゃないかな」

「え?」

 今この人なんつった? トイレ?

「トイレ。君が喋ってるの聞いてたら頭痛くなってさ、気持ち悪くなってきたからちょっと吐いとこうと思って」

「マジすか」

「マジよ。だからショック受けたとかじゃないな。曽根崎が怒ってるのは分かったけど、説教中に吐いたらもっと怒られるだろうしね。トイレを優先した」

「あの人そこまで酷い人じゃ……いや、言うかもな……『汚物が汚物吐いてやがる』ぐらいは言うかも……」

「もしかして君も結構口悪い?」

「そんなことはないですよ」

 きっちり否定しておいて、椎名さんの隣に座る。……なんだ、ただトイレに行きたいだけだったのか。変に心配しちゃったな。けれど、まだここにいるってことは、気持ち悪さが抜けていないのかもしれない。心なしか顔色も青ざめているし。

 まあ、それは僕も同じなんだけど。

「あ、そうだ。俺って君に謝らなきゃいけないよね」

「え?」

「さっきの巻き物のことだよ」

 椎名さんは椅子に座り直し、僕に体を向ける。その際少し近くに来られたので、僕は同じだけ距離を置いた。

「ごめんね、苦しい思いをさせて。最終的に選んだのは景清君だとしても、巻き物を手渡してきっかけを作ったのは俺だ。責任の一端はある」

「……」

「謝るよ。ごめん」

「……」

 椎名さんは、ぺこりと頭を下げた。で、動かなくなる。恐らく、僕の許しの言葉が出るまで、顔を上げるつもりは無いのだろう。

 ……。

 ……なんか。なんか、この人……!

「誠実さが、無い……」

「えっ!!?」

「椎名さん、白々しいってよく言われません? 言葉に気持ちが伴ってないというか」

「言われるよ! なんで分かるんだ!?」

「今僕が身をもって味わったからです」

「さ、さっきのは正しかっただろ!?」

「正しいとか正しくないとかの基準じゃないんですよ。自分がちゃんと心から思ってないと意味無いと思います」

「?」

「うわぁ」

 椎名さんは、本気で意味不明そうな顔をしていた。マジか。マジなのか、この人。そうなんだろうな、すげぇイノセントな目をしてるもん。綺麗なもんだ。

「そうかぁー、俺また間違えてたんだなぁ」

 どう返していいか分からず沈黙する僕の前で、椎名さんはぐいいと背伸びをする。入院着の袖から見えた腕は筋肉質で、日に焼けていた。

「昔からそうなんだよ。俺、他の人に比べて感情みたいなのがあんま動かないの。それで正しい受け答えができなくてさ、よく怒られてたなぁ」

「はあ」

「まあ、パズルみたいで面白いからいいんだけど」

「パズル?」

「そう」椎名さんの大きくて無骨な手が、ルービックキューブを扱うみたいに動く。

「骨組みだけの六面体に、その都度正しい顔と言葉と雰囲気を入れてる感じ? 組み合わせが間違っていたら失敗で、相手が怒ったり悲しんだりしちゃう。これでも本とか映画で研究して、前よりはずっと正解する率が上がってきたけど……たまにまだ間違っちゃうな」

「……」

「俺ね、そういうニンゲンなんだよ」

 まるで、天気について話すような気軽さだった。なのに僕は、うまく飲み込めなくて何と返すべきか分からない。

 仕方ないので、失礼かもと思いつつ普通に疑問をぶつけることにした。

「……怒られると自分が落ち込んでしまうから、正しい言葉を選ぼうとするんですか?」

「いや? 怒られるのは平気なんだけど、あんまり多くの人から嫌われると社会的な問題が出てくるからね。自分にだけ情報が回ってこなかったり、不利益を被ったりなんかさ。だから上手く立ち回るために、極力相手の望む答えを当てたいと思ってる」

「……新鮮です。椎名さんのように考える人には、初めてお会いしました」

「そっか。でも俺も、こういうことはあんま人に話さないよ」

「……」

「この話、人を不快にさせるみたいでさ。怒らないで聞いてくれる君のような人のことを、“いいやつ”って言うんだろうな」

 椎名さんは、ニコニコと笑っていた。……悪い人の笑顔には、見えない。でもいい人かというと、それも違う気がする。

「じゃあ、さっき僕に言ってくれた言葉も本心じゃなかったってことですか?」

「景清君に謝ったこと? ……うーん、本心って表現でいいのかは分からないけど、そう言ったら君が喜ぶかなとは思ったよ」

「……正直なところ、本当に思ってないのに言われてもって感じですね」

「そっか。じゃあ今後は、俺の思うままを言ったほうが面倒が無さそうだな。気を悪くしないでくれよ」

 会話が途切れた。椎名さんを見ると、相変わらずニコニコしている。沈黙が平気な人なのだろう。

 でも、僕はそうじゃない。会話を続けるために頭の中を探り、なんとか思いついた質問の一つを口にした。

「そういえば、椎名さんの師匠って、巻き物を調べていて失踪されたんですよね?」

「そうそう。ある日突然、何の書き置きも無くいなくなってさ。俺は散歩に出かけてるだけだって思ったけど、みんな焦ってて」

「散歩にしては長過ぎますからね……」

「だって普通、巻き物読んで失踪するとかありえないだろ?」

 軽い。でもそうか。普通はそう思うのか。

「……だけど今日の君を見て、師匠の失踪は明らかに巻き物が関係していたと分かった」

 椎名さんの目に、初めて影が落ちる。

「このまま解読に携わり続けたら、俺も同じ目に遭うかもしれない。けれど俺は、師匠の仕事を引き継ぐ必要がある。俺は彼の弟子にあたる人間で、共同研究者でもあるからね」

「椎名さん……」

「……それに俺には、他の選択肢も無い」

 どういうことだろうか。引っかかったけど、視線に気づいた椎名さんが僕の言葉を遮るようにして片手を振った。

「ああ、君に協力してとは言うつもりは無いよ。死なせても責任取れないからさ」

「あ、はい。それでお願いします」

「まあ友人として協力してくれるなら頼むけど……」

「お断りします」

 あっさり返したけど、すんなり拒否できたのには自分でも驚いた。感情の起伏が少ない椎名さんは、僕にとって楽な相手なのかもしれない。

 顔色を窺わなくて、いいのだから。

 だが油断は禁物である。あれこれと考えていたら、またぐいと肩を組まれた。

「おおーっ! やっと景清君、俺の友人発言を否定しなかったね! じゃあ俺と君はもうトモダチってわけだ! 俺のことケンヤって呼んでいいよ! なあなあ、カラオケとか好きー? 一曲目何入れるー?」

「失礼ですが先程の発言はあくまで不承諾を前提としたものであり決して朋友となる旨を表したものでは」

「距離感ー!」

 そういうことじゃないのだ。僕は迫ってくる椎名さんを両手で遠ざけつつ、そろそろ曽根崎さんみたいに蹴りを解禁してもいいかななどと考えていた。

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【書籍化情報】
怪異の掃除人・曽根崎慎司の事件ファイル(宝島社文庫)
表紙絵
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