19 罪業者の記憶
「……罪業者?」
まず気づいたのは、曽根崎さんだった。彼は僕が腕の隙間から覗いていると知るなり引き剥がしにかかったが、僕も負けじと抵抗する。
やがて息を切らせた曽根崎さんが、黒の板を僕に突きつけた。
「き、君は何を読んだ? ここに書かれてあるのは、巻き物と同じ字だ。読めるはずがないだろう」
「それがなんか読めちゃったんですよ。ほんと突然ですけど」
「突然? この字が読めた?」
鼻で笑う曽根崎さんである。しかしこれは感情表現がぶっ壊れているだけで、本当は戸惑っているんだろう。
「君、それを椎名の前でもっかい言ってごらん。いい大人が声上げて泣くのを聞けるかもしれん」
「ええええ」
「というのは冗談として。烏丸先生、ここに書かれてある字には気づかれていましたか?」
「いンや、全然。……へぇ、ほんとだ、書いてあるね。一文字も読めねーけど」
「椎名」
「俺も読めねぇ」
「お前は多少読めないとダメだろ」
「読めてたら財団の金ドブに捨ててないんだなぁ」
「貴様はもっとプライドを……」
「隙あり!」
「げっ」
椎名さんと話す曽根崎さんの隙をつき、黒の板を奪い取った。……うん、改めて見ても、ちゃんと僕には読める。
「死を超越せし罪業者、永劫なる生者の牢獄にて苛まれん……だったか」
「はい。一回言っただけなのに、よく覚えてましたね」
「衝撃的だったからな」
片方の口角を上げて、曽根崎さんは妙な笑い方をする。
「何故、君のみが読めるようになったかはさておき。材質的に、これはミイラの入っている容器と同じもののようだ。恐らく、蓋が開いた拍子に中から転がり出てきたんだろう」
「じゃあ返しとかないとヤバいんじゃ?」
「入れたままにしとけって書いてたのか?」
「……いいえ」
「なら問題無い。出しとけ」
「はあ」
いいのかな。ちょっと腑に落ちなかったけれど、今はこの罪業者という言葉のほうが気になった。多分これ、ミイラのことだよな? 人魚の特徴である不死についても言及してるし、それじゃあ永劫なる生者っていうのはどういう……。
「……あー。あー、そういうことか? うん? いや、どうだろう」
いきなり曽根崎さんが唸り出した。もじゃもじゃ頭を抱え、うつむく。
「どうしました?」
「……ちょっと待て。今まとめる」
はてと一同が見守る中、彼はこれまたいきなりパッと手を離した。
「至急、田中さんに連絡する。人魚のミイラについて新しい推測ができた」
「な、なんですか?」
「アレは、まだ“生きている”可能性がある」
その言葉に、全員が耳を疑った。けれど曽根崎さんは止まらず、スマートフォンを持って田中さんに電話をかけ始める。
ミイラが、生きている? 確かに永劫なる生者の牢獄という言葉はあったけど、それが何を示すかはまだよく分かっていない。……え、もしかして生者ってのもそのまんまミイラのことなのか? だとすると牢獄っていうのは――。
「かーげきーよ君っ!」
「ぎゃっ!」
考えていると、椎名さんに肩を組まれた。ぶわっと匂う香水に少しむせる。
「君すげぇな! こんな短時間であの字を解読するなんて!」
「んんっ!? いえ、それほどでも!」
「でさ、曽根崎がシゴトしてる間に、ちょっと君に頼みたいことがあるんだ」
「頼みたいこと?」
助けを求めるように曽根崎さんを見るも、絶賛電話中の彼は背を向けていた。烏丸先生に至っては、姿すら見えない。どこ行ったの。
「ね、これも解読してくんない?」
目の前に差し出されたのは、例の巻き物である。……そういえば、同じ字で書かれてるんだっけ。今の僕なら読めるかもしれない。
「……」
でも、頭が痛い。左側がズキズキと痛む。なんとか表情に出さないよう努めて、僕はその巻き物を手にした。
――正直、この時の僕がどんな気持ちだったのかははっきりと思い出せない。役に立ちたいというよりは、もっとよくわからない焦燥感に駆られていたように思う。
巻き物を開いた瞬間、針で突き刺されたような激しい痛みが貫いた。全身の血が頭に集まるのを感じ、心臓はドクンドクンと脈を打って。
けれど、読めた。僕には、読むことができた。
「――」
「ん? なんだ?」
「――。――……――は、罪を……犯した……」
僕の視界が、染まっていく。赤い。あかい。あおい。あかいせかいと、あお、あおい世界。まざって、まざって、おぞましくも、まざる。人と、異形が。どろどろに、ぐちゃぐちゃに。凄まじい、嫌悪感。
「故に……神のサバキの場において……つ、罪を……生の牢獄にて贖えさせる、べく……」
「神の裁き? 生の牢獄っていうのは、あの黒色の板にも書かれていたよな?」
「……」
返事を、しなければ。へんじを。……なんで? 誰に? だれに?
なんで?
「か、神は……――・――を、赦さ、なかった。その神ノ、み、御名は……」
ああ……あかい。めのまえが、あかい。ちがう。違う。ぼくは、このまきものを読んでるんじゃない。ちがう。字。ジ。読めない。よめない。そうじゃない。べつのモノを、読んでいる。
――あの“罪業者”の、“記憶”を。
「あ……神の……カミ、が……」
来る。ちかづいてくる。ちかづいている。神のもとへ、ぼくのいしきがつれていかれる。
ツミビトだから。ぼくは、罪を犯したから。けっして赦されない、罪を。
だから、ぼくのまわりには、ヒトがたっているのだ。ぼくが逃げ出さないよう、たくさんの……ヒト?
――ヒトに、ウロコはあるモノだろうか。
扉が開く。また扉が開く。どんどん、どんどん、――から離れて、とおくなって、せかいが、ふかく、あかくなって。
ぼくはゆるされない。赦されない。神の力で生きながら石と化し、アガナワネバならない。胸のうちデ、罪の炎が燃えつづける限リは。
神が、我が眼の中で蠢く限りは。
まぶしい。目が焼ける。そらせない。ぼくは罪をおかした。償わねば。贖わねば。赦しを乞わねば。
ああ、嗚呼、アア! もう、そこに神が――!
「何をしている、椎名!」
バチンと接続が切れた。僕は視線すら動かせなくなって、揺らぎ、その場で傾く。
床に頭が落ちる寸前で、誰かに支えられた。耳元で不気味な音を囁かれ、僕の頭には少しずつ霧がかかっていく。
「景清君……!」
だれかのかおが、僕の真上にあった。……鱗が、無い。鱗の無い? 無くて当然だろう。だってこの人は……。
「……そねざき……さん?」
「しっかりしろ! 君は竹田景清。四津一大学文学部三年生にして極貧、どんな無茶振りでも金が絡めば飛びつく守銭奴だ。その癖やたらと人が良く、トラブルに巻き込まれることもしばしば。やたらと良い給料につられて、曽根崎慎司という名の男のもとであんまり人には言えないアルバイトをしている」
「なぜ……僕は起き抜けに罵倒を……?」
「罵倒じゃない、事実だ」
不服である。そういや間違ってることは言われてなかった気がするな。なお不服だ。
まだ、頭がズキズキする。でももう大丈夫だと確信できた。僕は、あの光景を思い出せなくなっていた。
「……ありがとうございます。助かりました」
「なんの。大したことじゃない」
嘘だな。今にも吐きそうな顔してるじゃねぇか。
目を伏せる。この人に負担をかけた罪悪感で、胸が苦しかった。
「少し休んでくるといいだろう。私は椎名をけたぐり回し、烏丸先生と少し話してくる」
「あ……」
「椎名、どういうつもりだった? この巻き物を調べていた片田博士は行方をくらました。十分危険なものだと想像できたろう」
「……」
「椎名」
椎名さんには、曽根崎さんの声が聞こえていないようだった。ただ呆けたように、その場に尻もちをついていた。
「……そうか」
呟き、ふらりと立ち上がる。
「だから、俺の師匠は消えたのか……」
ドアを開け彼はふらふらとどこかへと歩いていった。僕は止めようとしたけど、曽根崎さんに片手で制される。
見上げた曽根崎さんの顔は、無表情だった。怒っているのだと分かって、僕は目を伏せた。





