14 いなくなっている
「……ッ!」
いきなり体が突き飛ばされた。――大江である。哀れ三条の手はドアノブから離れ、無様に廊下に転がった。
「え!? な、なんで……」
当然戸惑う三条である。しかし、疑問はすぐに解決した。
「……ぎゃは、あああア……、おおおオオオオオ」
「ああああがあああイタイイタイイタイイタイイタイイタイ」
「とけるとけるふえる増え、増える増えたくるしいクルシイ狂しいいたいいたいあああああアアあー!」
――背筋が凍りつくような、おぞましい絶叫が。間髪入れず、部屋の中から聞こえてきたのである。
そして、突然プツリと止んだ。
「……大江ちゃん、何これ……」
「……」
「も、もしかして分かってたの?」
「いえ」
大江は、涙目になってその場にへたり込んでいた。
「わからないのですが……さっき、悲鳴が聞こえたのに笑ってるの、変だって思って……。こ、怖くなったんです……」
「……」
「ご、ごめんなさい……! お怪我は無いですか!?」
「……」
――どっちかっていうと、今はオレの怪我より犯人の安否だな。そう思った三条だったが、少しでも大江を安心させたくて黙って頷いた。
なんとか立ち上がる。ドアにぴったり耳をつけてみたけど、悲鳴はおろか物音一つとて聞こえてこなかった。
「……とにかく開けてみる。大江ちゃんは下がってて」
「……わかりました」
「よし、いくぞ」
三度目の正直だ。少し力を入れただけで、古いドアはカチャリと音を立ててあっさり開いた。薄く開いた隙間に、三条は恐る恐る自分の視線をねじこむ。
中は、空き家みたいに空っぽだった。家電の一つも無い生活感の薄い部屋に、変色しささくれだった畳。そこに場違いなぐらい大きな木箱があり、人が倒れていた。
おかしな格好だった。倒れている一人は少し曲げた両手と両足を天井に向けて硬直していて、もう一人は似たような姿勢で横向きになっている。死んでいる……ようには見えなかった。どちらかというと、置物や彫像に似た存在感か。
ふいに「あ」と声が出た。――木箱が、開いている。中身までは見えないけれど、蓋がずれされ一辺が床についていた。
手遅れだ。彼ら全員、中を見てしまったのだ。ひと目見れば命を奪うと言われている、人魚のミイラを……。
「……」
いや、まだ他にもいるはずだ。昼間見た男らは三人いたのだから、あと一人。三条は警戒しつつ、ドアの隙間を大きくした。
「……!」
――いた。間違いない、あの男だ。いや、いたけれど、これは……!
「三条さん?」
「見るな!」
咄嗟に大江を後ろにやり、ドアを閉める。息を荒くしながらぎゅっと目を閉じ、さっき自分が見てしまったものを脳から追い出そうとした。
――ダメだった。無理だった。一度見たものは、どうあっても消えない。三条は膝をつくと、両手で口を押さえた。
最後の人は、近くにいた。それこそ、見下ろしたすぐそこに。縋るようにドアに向かって手を伸ばして、でもそこで終わっていて。
その手は、酷く汚れていた。赤と、黒と、白と……。
――男の両目は、無かった。彼は自分の指で自分の目を抉り出し、絶命していたのである。
「う……げええぇぇぇっ!」
「三条さん!」
耐えきれず、廊下に嘔吐物をぶちまける。嫌がる素振りすらなく自分にハンカチを差し出してくれた大江ちゃんは、ガチのマジでいい子だと三条は思った。
それから五分もしないうちに、景清達が到着した。
「三条、大江ちゃん、大丈夫!?」
「うぇへへ……な、なんとか」
「ヤダッ、誰よ吐いたの! 泥棒の仕業!?」
「三条さんです」
「なんでよ!」
事態を知った景清が急いでアパートを駆け下り、自動販売機で水を買って戻ってくる。水を一口飲み、三条はようやく人心地がついた。
「つーか……すげぇ早かったね、景清。飛ばしたんじゃない?」
「うん、主に柊ちゃんがね。バイクで来たんだけど、ここまで殆どノーブレーキ」
「タダスケには秘密よ」
「マジで捕まりますからね……。ところで三条、大江ちゃんから聞いたけど、ミイラを盗んだ犯人は」
「うん。……もう手遅れだと思う」
景清の視線が古いドアに向けられる。けれど三条はまだ見られなくて、うつむいていた。
「玄関のとこで……りょ、両目を抉り出して死んでる人がいたんだ。昼間来てた、動画配信者っぽい男の人」
「あの三人組の?」
「多分」
「……そっか。ちなみに、脈とかはみた?」
「ううん、見てない」
答えてから、三条は自分の浅はかさに愕然とした。……そうだ、オレは何も死の根拠を得ていないじゃないか。もしかしたら、あの時まだかろうじて息があったのかもしれないのに。
だけど、どうしてももう一度中を見ようという気持ちにはなれなかった。こびりついた記憶が、足を竦ませてどうしようもない。
「僕が見てきます」
三条の心情を知ってか知らずか、景清が言った。
「柊ちゃんは、外にいてください。阿蘇さんが来た時スムーズに来られるように」
「ちょっと待てばいいんじゃない? 何もアンタが見なくても」
「誰かが見なきゃいけないし、今行けば間に合うかもしれませんから」
毅然と返す景清だが、三条には彼が少し青ざめているように見えた。……暗くて、わかりにくいほどの変化ではあったが。
それを見てしまったら、黙ってはいられなかった。
「わ、わかった。ならオレも行く」
「いいよ、三条。無理するな」
「行く。だって景清は友達だし」
我ながら訳の分からない理屈だと思った。けれど景清は、驚いたような顔をしたあと少しだけ微笑んでくれた。
顔が良くてびっくりした。やっぱイケメンなんだな、コイツ。
「じゃあ、開けるよ」
数分前までの自分と同じように、景清はドアノブに手をかける。……ここを開ければ、またあの男に出会ってしまう。指を血にまみれさせた、眼球の無い男に。
一寸の間の後、ドアが開く。思わず三条は目をつぶったが……。
「……え?」
戸惑う景清の声がして、目を開けた。開ける直前、「無いよ」という言葉も聞こえた。
――そう、無かったのだ。ここに横たわっていたはずの男の体は、血溜まりだけを残して無くなっていた。
じゃあ、男はどこに行って……。
「……木箱、だ」
景清の声が、震えていた。つられて三条も顔を上げ、短く悲鳴を上げる。
男は――男の死体は、木箱に覆いかぶさっていた。あたかも外れた蓋を戻し、二度と中身を見せることを拒むかのように。
しがみついていたのだった。





