11 聞こえない音
「ど、どうしましょう、景清さん。今私達はミイラ泥棒さんのアパートの近くに車を止めているのですが、このまま待機でいいですか? でも、あの人たちが箱を開けてミイラを見てしまったら……!」
「落ち着いて。まずは今いる場所の地図を送ってもらっていい? 部屋番号は……厳しいかな」
「いいえ、分かります。大きな木箱を持って入るのが外から丸見えだったので」
「そっか、ラッキーだったね」
軽く返したものの、少し引っかかる点ではあった。彼らにとって、ミイラの入手は複数人で犯行に及び、かつ仲間を囮にして逃げるほど強い目的なのだ。なのに三条の尾行に気づかず、外から丸見えの場所に持ち帰るなんて……。
いや、考えるより先に曽根崎さんに知らせねば。居場所が分かったのなら、彼らのしている尋問にも意味が無くなる。
大江さんにはすぐかけ直すと伝えて、物置小屋へと踵を返す。けれど物置小屋が見えた時点で、僕はピタリと足を止めた。
――嫌な、感じがした。理屈とかじゃない、もっと原始的な人の本能からくる反応。勝手に肌が粟立ち、息が荒くなるような。
違う。あそこにあるのは、僕がさっきまで見ていた物置小屋じゃない。見た目は全く同じだし、何か聞こえてくるわけじゃないけれど……。
――ああ、そうか。
ごくりと生唾を飲む。握った拳が、汗ばんでいる。
――何も聞こえないのが、おかしいんだ。
「……ッ」
思わず駆け出す。だけど突然後ろから伸びてきた手に腕を掴まれ、僕は大きくのけぞった。
「景清君!」
バランスを崩した僕を抱き止めるようにして、両肩を押さえられる。――鋭い目と、力強い手。阿蘇さんだ。どっとこみ上げた安堵に、不覚にも涙腺が緩みそうになった。
「阿蘇さん! そ、曽根崎さんが! 椎名さんも!」
「兄さん? 兄さんがどうした?」
「今物置小屋にいるんですが、声がしなくて! 尋問してるはずなのに……!」
「物置小屋? ……」
阿蘇さんの鋭い目が物置小屋を捉える。しばらくそうしていた彼だったけど、首を横に振ると僕に向き直った。
「後にしよう。今は俺と柊と一緒に、三条君らの元へ急ぐべきだ」
「でも!」
「確かに様子はおかしい気がするけどな。兄さんはプロで、三条君達は素人だろ。俺らは俺らのすべきことを優先すべきだ」
彼の言うことはもっともだった。早く、三条の元へ行かなければ。だって彼らはもう、犯人の居場所を突き止めているんだから。
けれど、もし曽根崎さんの身に何か起こっていたら……!
「……よしんばあの中で何か問題が起こっていたとしても、君や俺にできることはない」
迷う僕に、阿蘇さんはきっぱりと断言した。
「行こう、景清君。心配するな。アイツは怪異を解決できるから、“怪異の掃除人”なんだ」
「……阿蘇さん」
「それに兄さんのことだ。どうせしばらくしたら、ケロッとした顔で草葉の陰から出てくるに決まってる」
「死んでます、それ死んでます」
「あと俺、毎度のことながら急に呼び出されてるから全然事情分かんねぇんだよな。悪いけど、走りながら教えてくれ」
「すいません、うちの曽根崎が……」
「いえいえ、こちらこそいつもご面倒をおかけしておりまして……」
阿蘇さんにつられて、僕の足は動き出していた。体は物置小屋から離れて、少しずつ速度を増していく。
(……曽根崎さん)
後ろ髪を引かれる気持ちはあった。この感情がどういう名前なのかも、分からずに。
……なので。
(頑張ってください! 骨は拾います!)
腹を括って開き直ることにした。僕の心を曽根崎さんが聞いていればツッコんだんだろうけど、物置小屋は依然として静かなままだった。
大江は、じっとスマートフォンを見つめていた。景清からの連絡を待っている間にも、刻一刻と時間は過ぎていく。内心ジリジリと焼けつく気持ちを抑えながら、大江は顔を上げた。
「何か動きはありましたか、三条さん」
「や、無いね。入る人も出ていく人も無いよ」
「……あの人達は、人魚のミイラを使って何をする気なんでしょう」
「そうだなぁー。大江ちゃんが推測した通りなら暗殺とか?」
「暗殺、ですか」
「そう。夜、ターゲットの家に忍び込んでこっそり木箱を置いていくんだ。で、翌朝目が覚めたターゲットが『なんだろう?』って木箱を開けるとドカン! 自動的に依頼が完了できる」
「なるほど……。ですが、そんな不審で大きい木箱をターゲットさんは開けてくれるでしょうか」
「プレゼントみたいに包装しとくんだ。そうしたら嬉しくなって開けるだろ」
「開けますかね……?」
「オレなら開けるよ?」
「警戒されてください」
三条の無防備さに心配になる大江である。でもこういう所も好きなのだ。純粋で素敵。
けれど、やはり今気にかかるのは父の容態とミイラの処遇だった。母からは「たいした怪我ではない」と教えられていたものの、本当ならすぐにでも帰ってそばについていてあげたい。でも、父親の性格なら、盗まれたミイラとその周りの人の安否を気にかけるだろうと思ったのだ。
既に父の代では、ミイラによる死者が出ている。だから責任感の強い彼なら、これ以上ミイラによる犠牲者が出ることは己を責め苛む強い理由になると大江は理解していた。
(……以前の私なら、死を呼ぶ人魚のミイラなんて信じなかっただろな)
考えが変わったのは、三条の身に起きた事件に関わった時。彼が今まで触れもしなかった煙草を吸い出し、あろうことか大江にまで勧めてきたことで大きな違和感を抱いたのが始まりだった。結局三条は恐ろしい陰謀によって怪異に取り憑かれており、曽根崎らの協力により解決へとあいなった。
だけど、この世界には人智では決して届かぬ深淵があると。そう大江は事件を通して知ってしまった。
だから、きっと人魚のミイラだって……。
「……もしさ」ふと、三条がぼそりと呟く。
「アイツらがミイラを見せ物にするつもりなんだったら、大事件になるよな」
「……そうですね」
「今日来てた人達なんか、カメラ持ってたもんな。あの人らが犯人とは言わねぇけど、生放送とかネット配信するとかだったらヤベェ」
「ええ、それだけは避けたい事態です」
「つーか、まだアイツらの目的もよく分かんねぇもんな。そこだけでも分かればいいんだけど……あ、出ていくのはダメだよ、大江ちゃん! 偵察もダメ!」
「はい、分かってます」
大江とて、三条や両親を心配させるのは避けたいのだ。だけど、事件を未然に防ぎたいのもまた事実で……。
「あ」
ここで、大江はあることに気がついた。三条の腕をツンツンとつつき、アパートを指差す。
「三条さん三条さん、あれあれ」
「なになに、どしたの?」
「窓。開いてます」
「うわっ」
換気をするためだろうか。ちょうど犯人らが入って行った部屋の窓が、一箇所開いていたのである。しかも角部屋なので、ちょうど真下に車を停車できるスペースがあった。
「マジかよ。超都合いいじゃん。行けちゃうじゃん」
「はい。うまく行けば、話を盗み聞くことができるかもしれません」
「……だな」
三条はエンジンをかける。彼もまた、このままミイラを放っておくつもりはないのだ。
「……でも大江ちゃん。何回も言われてウザいかもだけど、絶対飛び出しちゃダメだからね」
「分かってます!」
「ダメダメのダメだからね」
「オッケーです!」
元気よく返事をしたというのに、ロックのかかる音がした。さっきもかけていたのにまたかけるなんて、案外心配性な人だ。意外な一面を見てしまうとドキドキしてしまう。
そして車が動き始める。誰にも知られず、アパートの真下に一台の車が停められた。





