8 お堂からの悲鳴
時刻は一時間半ほど前に遡る。景清を抱えた曽根崎の逃亡後、残された一同はポカンとしていた。
「……椎名さん、曽根崎君に何を?」
「いやぁー、思い当たりませんがねぇ」
蓮美の問いに、椎名は不思議そうな顔をする。
「でも人は、時として無意識に人を傷つけてしまうことがあります。追いかけて直接理由を聞いてみるとしましょう」
「あの、やめた方がいいのでは? 曽根崎さん、ものすごい剣幕でしたし……」
「和解は対話から始まるのですよ、可愛いお嬢さん」
「ええー」
ウインクをかまされ、そのような文化で育っていない大江は困惑した。
「まあ逃げちゃったもんは、仕方ないですよ!」そこで助け舟を出したのは三条である。
「なのでオレから提案です! 今は放っておいて、帰ってきた時にワケを聞いたほうがいいと思います!」
「俺にアドバイスしてくれるなんていい人だね、君。なんて名前?」
「三条です! そんでこの子は大江ちゃん!」
「覚えておくよ」
白い歯を光らせる椎名に、三条は親指を立てる。存外相性のいい二人であるようだ。
「では曽根崎君達も行ってしまったことですし、私も夕食のご用意をしましょうか」会話がひと段落した所で、蓮美が立ち上がった。
「お二人とも、よかったら食べていってください」
「いいんですか!? ありがとうございます、蓮美さん!」
「うふふ。椎名さんは?」
「あー……俺はいいっス。自分で買ってきて食べますから」
「まあそう?」
「はい。代わりにご住職を呼んできます」
時計に目をやり、それからポケットから折り畳まれた紙を取り確認した。
「ミイラの安置場所までのルートもバッチリですし。ご住職、こちらにいるんですよね?」
「ええ」
「呼んできますよ。食事は家族みんなでするべきだ」
背中を向けたまま片手を振って、椎名が部屋から出て行く。そうして襖が閉まったのを見届けてから、三条が口を開いた。
「いい人だけど変な人だ」
「三条さん、変な人じゃなくユニークな方と表現すべきだと思います」
「ユニークないい人だ。峰柯さん呼んできてくれるの優しいね」
「ふふ、そうですね。お母さん、何か手伝うことあるー?」
「あら、ならゴミ捨てをお願いできる?」
待ってましたとばかりに、蓮美はビニール袋を提げた手を持ち上げた。うっすら透けて見えるのは、緑色の野菜の切れ端。
「……お母さん。もしかしてそれ、お父さんがミイラ塚に仕込んでたっていう例の生ゴミ?」
「そうよ。今日のお昼にだいぶお野菜を使ったからね、いい機会だし捨ててきてくれる? あ、暗くなってきたし三条君もついて行ってあげて」
「オッケーです! ……でも……」
快諾しておいて、しかし三条は首を傾げた。
「ねぇ大江ちゃん、これ別に椎名さんに頼んでも良かったんじゃね?」
「ミイラだけじゃなく、生ゴミの処理までお任せするのは流石に失礼かと」
「それもそうだな」
……だけど、椎名さんなら笑顔で持っていってくれそうだなと。そう思った三条だったが、口に出すことはなかった。
「大江ちゃん、大丈夫? 足下とか危ないから気をつけてね。必要ならオレが手を貸しア゛ーーーーッ!!」
「三条さん、足下には気をつけてください! ほら、手!」
「うううう、すいません……」
薄暗い林を懐中電灯で照らし、二人はえっちらおっちら目的地へと進んでいた。柔らかめの土を踏み抜きがちな三条に手を貸しつつ、大江は枝に結んだリボンを確認する。
「頑張ってください、三条さん。もう少しでミイラ塚に到着しますよ。お母さんが言うには、三つ目のリボンより北に三十歩歩いた所だそうですから」
「三十歩か……。今のオレには遠いなぁ」
「慣れたら案外大丈夫な道ですよ。……あ、慣れるまで通っていただきたいとか、そういう意味では決して無く!」
「?」
「と、とにかく早く行きましょう! お野菜を土に返し、ミイラ塚を暴く人達をがっかりさせるために!」
「別に二つ目の目的は無くていいと思うけどなぁ」
大江を先頭にして、なおも二人は歩く。すると突然、彼女らは聞き覚えのある悲鳴を耳にした。
すぐに途切れるも、声の主を大江は知っていた。
「――お父さん!?」
「お父さんって……え、峰柯さん!? いや待って、大江ちゃん!」
直後声の方向に走り出した大江を、三条が追いかける。草をかき分け、落ち葉を踏み潰し、枝が肌を傷つけても。だが追いついた三条が、彼女の肩を掴んだ。
「待って!」
「なんですか、三条さん! 急がなきゃ……!」
「落ち着いて。まずは峰柯さんに電話して安否を確かめよう」
「なんでそんな呑気を言うんです! もし何か大変なことになってたら……!」
「分かるよ。でもその大変なことは、オレらにとっても同じかもしれない」
薄暗闇の中でもわかる三条の大きな目に、大江はぐっと押し黙った。――今の二人の頭の中にあったのは、ミイラを狙う第三者に峰柯が襲われた可能性。明日からツクヨミ財団の管理下に代わる事実を鑑みると、今晩こそミイラを盗める最後のチャンスだったからだ。
だがもしそうだとしたら、窃盗犯は複数人いると考えられる。ミイラを持ち出すには人手が必要なのだ。そして複数人相手ならば、三条と大江では分が悪い。
「勿論、ただ転んだだけかもだよ? 椎名さんも向かってたはずだしさ」スマートフォンを耳に当て、三条は言う。
「でも変な奴らが来てたことは事実だし、ミイラのお堂に行った時も入り口は開けっぱなしだっただろ? 誰かに後をつけられてて、会話を聞かれていたとしてもおかしくない」
「……その人達が、お父さんを襲ってミイラを盗んだと?」
「まだ分かんないけどね。けどオレ、万一そういう人がいた時に大江ちゃんを守れる自信無いんだよ。弱っちいからさ」
電話は、繋がらない。心中穏やかでいられるはずもなかったが、三条はあえて深呼吸した。
「オレは、大江ちゃんに何かあったら嫌だ。すごく後悔するし、生きるのが嫌になると思う。そんでそれって、大江ちゃんのお父さんとお母さんも同じだと思うんだよね」
「……三条さん」
「だから慎重に行動しよう。ヤバい奴がいても、隠れてやり過ごせるなら身を守れる。何回も言うけど、オレは大江ちゃんが酷い目に遭うのだけは嫌なんだよ」
「……う、ふぇ」
対する大江は、頬を両手で押さえてうつむいた。
「わ、わかりましたぁぁ……!」
「え、顔赤くない? なんで?」
「なんでもないです……! 三条さんのご判断に従います……!」
「ありがとう!」
「感情的に行動せず、ちゃんと周りを見ようと思います……!」
「頼もしい!」
話はまとまったが、結局電話は繋がらずに終わった。三条と大江は視線を合わせ、頷き合う。そして口をつぐんだまま、悲鳴の聞こえた方へと急いだ。
最悪の事態が頭をよぎろうとも。なんとかかき消しながら、どうかただ転んだだけであるようにと願いながら進む。
しかし、無情にも近づいてくるのは人の争うような声である。ゆえにお堂近くの茂みに身を潜めた二人は、覚悟を決めてそこを覗き込んだのだが……。
「……え?」
現実は、想像の域を軽く飛び越えていた。
まず目に飛び込んできたのは、お堂の前に倒れる峰柯の姿。彼を取り囲む数人の不審者集団。
そして。
――何故か、彼らに向かってファイティングポーズを取る椎名の姿であった。





