6 言語学者、登場
「……!」
僕らの頭の中に、ついさっき絵巻で見た地獄絵図が蘇る。枯れた草木に囲まれて、ぐちゃぐちゃに塗りつぶされた黒を。
「一人は縄梯子の近くで倒れ……一人は木箱を覗き込んだまま、亡くなっておられました」蓮美さんは、声を震わせながらも続ける。
「二人とも、それは恐ろしい形相で……苦しみ抜いて逝かれたのだと、すぐに理解できました」
「……」
「私が鍵を渡した研究者の方は、床に落ちた黒筒にしがみついて事切れてらっしゃいました。やはり、何か恐ろしいものを見たように……か、顔を歪ませて……」
「蓮美さん、もういいです。思い出させてしまい本当にすいません。終わりにして……」
「いえ景清さん、続けさせてください。未智の言う通り、きっと皆さんは知っておいたほうがいい」
気丈にも、蓮美さんは首を横に振った。
「……私達は、すぐに彼らの目を閉じました」
膝に置かれた彼女の拳は、硬く握られていた。
「“人魚の呪いで死んだ者の目は、決して見てはならない”。そう絵巻に書かれていたからです」
「目を? 何故ですか?」
「詳しくは分かりません。ただ……呪いは、伝染すると」
「……伝染」
「事実、犠牲者の方も出ました。財団の人々には、よくよく絵巻の内容をお伝えしていたつもりだったのですが……突然、ご遺体を調べていた一人が失踪されたそうです。恐らく、その方も目を見てしまったのでしょう」
「……」
「だからもし、皆さんが人魚のミイラの近くにご遺体を見つけた時は、必ず同じようにしてください。よろしいですね?」
静かながらも強い言葉に、僕らは黙って頷いた。
「幸い曽根崎君は、言語学者の方と巻物の調査をしていた為に難を逃れました。ですが、人魚のミイラの呪いのために犠牲者が出たことを、私と峰柯さんは深く後悔しました。
だから私達は、ツクヨミ財団に調査の中止を請願したのです」
三条は、苦しそうな顔でずっと蓮美さんの話を聞いている。そんな彼に目を向け、彼女は口元を緩ませた。
「……でも、本当はずっと怖かったんですよ?」
「え……」
「いくら絵巻で伝承を知っていたとはいえ、私達はあの時初めて人魚の呪いを目の当たりにしました。同時に、そんな曰く付きのものを娘である未智に継がせばならないことに恐怖もあり。
けれど、峰柯さんは責任感の強いお方です。手放すことで被害が広がるよりはいいと、抱え込まれることを決意されたのです。そして私も、あの方と共に業を背負う覚悟を決めた。
……だから、ありがとうございます。峰柯さんに、もう一度ツクヨミ財団を頼るようきっかけをくださって。これでようやく、私達は重荷を下ろすことができるかもしれません」
「え、え。いや、そんなお礼言われるようなことじゃ……!」
「いえ、ぜひ言わせてください。特に三条君の言葉はトドメでした。絶対に未智とあなたの未来に呪われたミイラを残しておいてはならない――あなたの言葉を聞いた瞬間、峰柯さんは強く確信されたと思います。だって私もそうだったし」
「お母さんっ!!?」
「ミイラ邪魔だと思う」
「お母さん!!!!」
なんと、似た者夫婦だった。三条の知らないところでどんどん外堀が埋まっているが、果たして彼は気づいているのだろうか。
「はい! ミイラは残しとくようなもんじゃないと思います!」
あ、気づいてねぇな、コレ。まあいいか。幸せになれ、お前は。
だけど、蓮美さんから話を聞けたことで今まで不透明だった部分がだいぶ明らかになった。人魚のミイラ自体は大問題だけど、呪いが発動したのは二百年近い時間の中で村の人々と調査をしようとした財団の人にだけ。要するに、人魚のミイラは保管方法さえ間違えなければ事件は起きないのだ。そして保管するだけなら、お寺よりはツクヨミ財団という場所のほうが安全かつ長期的に可能だろうと思われる。
だったら、今回の案件はもう解決したも同然じゃないかな。曽根崎さんには「掃除できなかった怪異」なんて脅されたけど、全然心配することは無さそうだ。
と、ここで。ふと湧きあがったある疑問に、僕の手はピタリと止まった。
指を折って数える。……ん? ちょっとおかしくないか?
「すいません、蓮美さん」
「はい、どうされました?」
「確認ですが、蓮美さんの話だと行方不明者の方は遺体を調査していた一人だけでしたよね?」
「え、ええ……」
「ですが、僕の聞いた話では行方不明者の数は二人とのことでした。一人足りませんが、お心当たりはありますか?」
「え? いえ、私は知らな……」
「――恐らくですが、それは俺の師匠のことでしょうね」
ハキハキとした声に、一同が振り返る。いつのまにか、四十手前ぐらいの男性が障子にもたれて立っていた。
柄物シャツに、少し垂れた目と顎ひげがシャレている。少し動くとふわりとセクシーな香水が匂い、いかにも大人の男といった雰囲気の人だ。
え、誰?
「まあ。ご無沙汰しております、椎名さん」
「しいなさん?」
思わせぶりな登場をした男性に、蓮美さんはにこやかに笑いかけている。どうやら知人のようだ。
「ツクヨミ財団の言語学者の方の一人ですよ。以前依頼した際にも、ご協力くださった方です」
「ああ、巻き物解読の為に雇われたっていう」
「どうも、椎名憲也です」
そうか、それがこの人なのか。ということは、今回ミイラを処理するにあたり財団から派遣されてきたのだろう。
ふむふむと納得していると、椎名さんははてと首を傾けた。
「そういう君は誰だい? えらくまあ顔が整ってるけど」
「え、あ? ぼ、僕は竹田景清といいます。よろしくお願いします」
「へぇー、君があの“景清君”」
「あの?」
いきなり外見を褒められて動揺したものの、僕を見て細まる目に身を捩る。……観察されているようで居心地悪い。つーか「あの」って何だ、「あの」って。
だけど追及する前に、蓮美さんが身を乗り出した。
「ところで椎名さん、先ほどの言葉はどういう意味ですか? まさか片田博士に何かあったなんて……」
「ええ、事実ですよ。俺の師匠……片田博士は二ヶ月前に研究室から出奔し、その後行方が知れません」
「そんな……何故」
「何故っすかね。俺も知りたいんすけど」
腕を組む椎名さんだが、その本心はいまいち見えない。本当に知らないのか、実は心当たりがあるのか。もしかして結構食えない人なのかな、なんて考えた。
「ですがご安心を。研究自体は俺が引き継いでいますので」
「で、ですが……片田博士は突然行方不明になられたんですよね? あの巻き物に携わっていたからでは……!?」
「いやー、違うと思いますよ? 博士、他の仕事も並行してやってましたし、そもそも変な人でしたしね。いつフラフラッと出て行ってもおかしくない所ありました」
「ですが……!」
「まあそのうちひょっこり出てくるんじゃないすかね。気にしない気にしない。それより、曽根崎はどこですか?」
ばっさり蓮美さんの不安を切って捨てて、キョロキョロと辺りを見回す。そういやまだあれこれ手配中なのかな。そんなことを考えていると、ガラリと反対側の障子が開いた。
「景清君、ちょっと外に食いに行かないか。田中のジイさんによれば、もうじきここにクソ面倒なのが来るらしくてな。詳しいワケは聞かないでほしいが、とっとと退散して……」
「あ」
「え?」
曽根崎さんの視線が、椎名さんとかち合う。そして数秒、二人の間になんとも言えない空気が漂い……。
次の瞬間、曽根崎さんは僕を抱えて部屋を飛び出していた。





