5 大江さん宅
そこからの行動は速かった。
「田中さんですか? どうも曽根崎です。峰柯殿より例のミイラを手放すとの言質を賜ったので、すぐに動いてください。……ええ、順当に手順を踏むならまず現地からミイラを運ぶことになるかと。……え? アイツを寄越す? やめろ嫌がらせかジジイ」
「あ、編集長ー? 人魚のミイラの件だけどね、ご住職に許可いただいてニセモノって方向で特集組むことにしたから! んで呪いは人魚に仕立て上げられた猿とかの動物霊ってことにして、御供養の為には思いっきり燃やして灰を山に埋めるしかないけどその山はボクらが適当にでっちあげる除霊者しか知らないって感じでいこうと思うわ! とにかく盛り盛りにするから、超派手になるわよ! トップ空けといてねー!」
……すごいな。最初からミイラを手放してもらうのを目的にしていたとはいえ、ここまで手際良く段取りされては呆然とするしかない。
「っていうかオレら何もすることねぇな」
「それな」
で、特に何もすることがない僕と三条はお寺に隣接する大江さんのご自宅に招かれてお茶していた。庫裡っていうんだっけか。
三条は、浮かない顔でパリパリとお煎餅を咀嚼している。
「オレなんて難しくても諦めません! って宣言しちゃったのにさ。難しいも何もできることが無いとか恥ずかしくね? 思い出すだけでうわーってなるよ」
「大丈夫だよ、三条。かっこよかったよ」
「え、マジ?」
「マジマジ」
「そっか、ならいいか」
シンプルなヤツである。こういう所がいい奴だなと思う所以だ。
「そんな! 何もできないなんて思わないでください!」
ここでお茶のお代わりを持って現れたのは大江さんである。
「三条さんには大きな力をいただきましたよ! その、と、とってもかっこよかったですし……」
でも肝心の最後の一言はごにょごにょしてしまったせいで上手く聞き取れなかった。僕でこれなら三条は絶対気づいてないだろう。
そして、その背後には……。
「そうそう。あの人、とても頑固な方ですから」
妙齢ながら可愛らしい印象の女性――大江さんのお母さんである蓮美さんが、お茶請けを手に微笑んでいた。
「だから人魚のミイラを手放すって聞いた時は驚いたのですよ? 悩んでたとはいえ、あの事件が起こってからは絶対に手放さないって言っていたのに」
「あの事件?」
「ええ。まあ、もしかしてまだお聞きでなかったのでしょうか」
蓮美さんが口元に手を当てる。だから僕は、曽根崎さんに言われたことを思い出して当てずっぽうで尋ねたのである。
「それってもしかして、以前ご住職が曽根崎さんに依頼解決をお願いした時の件ですか? 人が亡くなったっていう」
「そう、そうです。不可抗力のことだったのですが、あの人は酷く責任を感じてしまって……」
「詳しく聞いてもいいですか? 勿論、お嫌でなければですけど」
――言ってしまってから、すぐに後悔した。人が亡くなっているというのに、こんな詮索まがいのことを聞くだなんて僕はどうかしてる。一つだけ言い訳をさせてもらうなら、怖い事や凄惨な事ほど知っておかなければ対処できないと今までの経験より学んでしまったからだろう。
蓮美さんは少し困った顔をして、大江さんと三条君を見た。三条はどちらかというと大江さんの心配をしていたみたいだったが、彼女の方は毅然と背筋を伸ばして言ったのである。
「お母さん、私も聞きたい。曽根崎さんや柊ちゃんが対応してくれてるとはいえ、まだ何が起こるか分からないし。自分が継ぐかもしれなかったミイラの話なら、知っておきたい」
「未智……」
「それに」
大江さんは三条に視線をやって、頬を赤らめるなり顔を戻した。
「さ、三条さんが、難しくても諦めないって言ってくれたから。だから、私も決着するまではちゃんとミイラに向き合いたいの」
「うわーっ!」
「お母さん、お願い。話してほしい」
例のセリフをフューチャーされた三条が悲鳴を上げた。……いや、僕はいいセリフだったと思うよ、マジで。
それでも蓮美さんはまだ悩んでいたけど、まもなく覚悟を決めたように一つ頷いてくれた。ちゃぶ台の向かいに腰を下ろし、口を開く。
「……元々曽根崎君とはご縁がありましたが、ミイラについて初めてお話ししたのは三年ほど前でしょうか。ある日、ツクヨミ財団が彼を通して『二百年ほど前に逸馬村で起きた異人による村人大量惨殺事件について何か知らないか』と尋ねてこられたのです」
「ツクヨミ財団が?」
「ええ。なんでも歴史や文献を調査した結果、今で言う逸馬州にあたる場所で昔不可解な事件があったと分かったそうで」
「逸馬州って……ここから十キロぐらい離れてますけれど。よくここと関係があると特定できましたね」
「近辺のお寺や神社に、片っ端から声をかけてらしたそうです。加えて、峰柯さんのお父様は元々そちらのご出身でしたしね。戦火を逃れてこの街に来て、お寺を継いだのです。恐らくその事も調べられていたのでしょう」
品のある話し方をされる女性である。それでいて、親しみもあった。
「少し話が逸れてしまいましたね。最初こそ峰柯さんは話すことを渋っていたのですが、ちょうど未智が高校生になる時期だったこともあり。結局私達は、ミイラについて全て財団にお伝えすることに決めました」
「え、私が高校生になることと何か関係があるの?」
「ええ。未智が大人になれば、どうしても人魚のミイラに話さなくちゃいけないからね。もしもそれまでに解決できるなら、お父さんはそうしたかったんだと思う」
……だとしたら、峰柯さんはとても優しいお父さんだ。そしてそのことを理解する蓮美さんもまた、然りである。
「ツクヨミ財団の皆様は、全て自分達が解決すると請け負ってくれました。曰く、これまでもこうしていくつもの不可解な事件を終わらせてきたと。……だから私も峰柯さんも気が抜けて、つい頼り過ぎてしまったんだと思います」
ここで、蓮美さんの瞳に影が落ちた。
「……今でも忘れられません。早く解決したいからと仰った研究者の方の日焼けした手に、地下室の鍵をお渡しした時のことを。彼の後ろにいて、談笑する助手のお二方のことを。それが、生きた彼らを見る最後になるなんて知らずに」
「……お母さん」
「一晩経っても、お昼になっても、地下室に入った皆様は出てこられませんでした。だから、不審に思った峰柯さんと予備の鍵で地下に入ったら……」
彼女は、自分の体をぎゅっと抱きしめた。
「――あの絵巻で見た通りの光景を、私達は見たのです」





