4 人魚のミイラ
「これが……人魚のミイラなの?」
「すっげぇツルツルしてんな。全然ミイラに見えねぇ」
「バカね、マサ。入れ物に決まってんでしょ」
「あ、そっか。でもなんで? なんで入れ物が入れ物入れてんだろう。マトリョーシカ?」
例えはともかく、三条の疑問ももっともだ。人魚のミイラといえば、日本の昔話や妖怪などのイメージがある。だから、こんな古い木箱からいっそ現代的な容器が出てくるとはみんな思ってもみなかった。
「月上さんの仰る通り、これは人魚のミイラの入れ物です」
峰柯さんが曽根崎さんから懐中電灯を受け取り、自分で中を照らす。
「中身は、私ですら見たことがありません」
「え、そうなんですか?」
「はい。というのも、その姿を見た者はただ一人の例外も無く死んでしまうからです」
物騒な言葉に心臓が跳ねた。多分、他の人も同じだったと思う。誰も何も言わなかったからだ。
明かりが木の箱の裏側を照らす。そこにあった小さな引き出しを峰柯さんが引くと、薄汚れた巻物が出てきた。
「これは当時の事件を描いた絵巻です。天保九年……。名は伏せられていますが、とある村の近くの浜辺にこの銀色の筒が流れてきました」絵巻を広げながら、彼は言う。
「しかし村の男達が奇妙に思い開けてみようとした所、寺に仕えていた老婆に止められた。曰く、『此れ災いを収めし物』と。老婆の忠告を聞き入れた村の者達は、一番大きな蔵を持った者の家に保管しておくことにしました。
ところがある晩、蔵に盗人が押し入った。その翌日、家の主人が蔵を開けた所……」
ご住職の手が止まる。同時に、僕らは言葉を失った。
そこに描かれていたのは、見開かれた両目から血を流して筒にすがりつく一人の男の姿だった。
「……盗人は、絶命していました」
絵の中の男の顔には、壮絶な苦悶が浮かんでいた。
「盗人は異国の者であり、また見覚えの無い者だったそうです。彼の隣には、巻物とこの紙が落ちていました」
再び引き出しが開かれ、峰柯さんによって小さな巻物と紙切れが取り出される。どちらも長い時間の中でかなり傷んではいたものの、紙の方ははっきりと文字を残してくれていた。丸っこくて、文字というよりは記号みたいな……。
「いや、これ字ですか?」
「字だよ。ビルマ文字」
「あ、存在する言語なんですね」
「少しばかり古いタイプのものらしいがな。ツクヨミ財団で解読した所、『黒色に包まれた不死のミイラを回収せよ』と書かれていることが分かった」
「あら。って事はつまり、泥棒はミイラを盗んでくるよう誰かから命令されてたってこと?」
「そうなるな」
「じゃあ、こっちの巻物には何が書いてあるのかしら。もっと重要な情報が書いてあるんじゃない?」
「これがなぁー」
曽根崎さんは息を吐き、手袋を嵌める。峰柯さんから許可を取ってから、小さな巻物を広げた。
細やかな字が書き込まれた紙を、曽根崎さんは柔らかく微笑みながら見つめている。これは困っている時の表情だ。
「さっぱり分からないんだ。歴史上こんな言語が残っていた記録も無い。しかも言語学者に丸投げしてみたところ、二ヶ月ほどで『向こう五年ほどこの研究に没頭できる時間と金が欲しい。たが全てドブに捨てる覚悟で頼む』と頼もしすぎる答えが返ってきた」
「うわぁ」
「未知の言語だ。一応財団は言語学者に金を突っ込んでいるものの、未だ何の成果も上がっていない所を見るに今後も解読は望めないかもな」
「なら確かなのは、その泥棒は不死のミイラを狙って銀筒を盗みに来たってことだけですか?」
「その通りです」
僕の質問に答えてくれたご住職は、絵巻を更に広げる。死んだ男から少し離れた場所で、怯える男の姿があった。
「そして当時の人たちも、この中身が不死のミイラであると知ってしまいました。どうやら盗人以外にもう一人案内役の現地人がおり、その者が村人に中身がミイラであると教えたようです。案内役がどうなったのかは分かりませんが……とにかく、村の老婆の制止もむなしく村の者達の何人かは筒を開けてしまったそうです」
「え、なんで……」
「不死のミイラと聞き、彼らはそれを人魚の肉と思い込んだんだ」
曽根崎さんがやれやれと肩をすくめる。
「八百比丘尼の伝説を聞いたことはないか? 人魚の肉を食べたせいで老いることも死ぬことも許されず、八百年を生きたという女性の話だ。それとはまた別に、当時西洋からも人魚の肉は妙薬であるとの知識が入ってきていたこともある。村人達が不死という言葉に自ずと人魚を連想したとしても、不思議は無いだろう」
「だから、人魚のミイラを食べたいが為に筒を開けてしまったと?」
「あるいは骨などを削り、高値で売ろうとしたのかもしれん。いずれにせよ、欲に目が眩んだのは間違い無い」
「……悲しい話です。恐怖とは、我らの身を守る自然な反応。それを無視し欲深く求めた結果、彼らは身を滅ぼしてしまった」
峰柯さんの言葉を最後に、絵巻はとうとう果てへと辿り着く。覗き込んだ僕らは、そこに描かれた光景に一斉に息を呑んだ。
まるで地獄のようだった。ある者は真っ青になって悶絶し、ある者はその場に倒れている。辺りには草の一本も生えず、背後の木々は枯れていて。だけど、それ以上に恐ろしかったのが――。
「ミイラが……塗りつぶされてる……?」
人魚のミイラがあるだろうと思われる場所と、それを直視してしまっただろう人々。それが、墨でぐちゃぐちゃに上塗りされていたのである。
「これを描いた画家が、やったものと思われます」
峰柯さんが、額に汗を浮かべて言う。
「恐ろしい出来事を教訓として残すべく、画家は筆を取りました。しかし描き終えるや否や画家は発狂し……この部分を塗り潰した後、自害してしまった」
「……!」
「そして人魚のミイラは、老婆によって再び銀の円筒の中に封じられました。その老婆も、すぐに亡くなったと記されています」
「……なんてむごいの」
「老婆は、亡くなる直前に自身の息子に言いました。『二度と、人魚のミイラを人目に晒してはならない。晒せば再び人は欲に振り回され、命を落とす者が現れるだろう。故に我々一族は人魚の呪いより人を守るため、決して外に秘密を漏らしてはならない』。……未智、それが我々のご先祖様にあたる人だ」
「……そんな。私、知らなかった」
「子供が分別のつく年齢になるまで教えてはならないとされていたからね。好奇心で開けてしまうかもしれないから」
「じゃあ、お母さんもこのことを知ってるの?」
「ああ、人魚のミイラは家で守るもの。結婚する時には必ず伝えなければならなかったんだ。だから未智も……その、結婚する相手には言わなきゃいけないんだが……」
峰柯さんがチラチラと三条を見ている。でも、三条は真剣な顔で巻物の絵を見ていた。そんな横顔に大江さんが「はわわ」と赤くなっている。
「……すげぇ重荷でしたね」
そして三条は、珍しく静かに言った。
「人の命を奪いかねないものを、ずっと隠し続けて。もしかしたら家族の命だって危険に晒されるかもしれないのに、自分の子供にまで背負わせなきゃいけないとか。本当に怖くて、嫌なことだったと思います」
「三条君……信じてくれるのか」
「信じます。だってオレも、怖くて恐ろしい事件に巻き込まれたことがありますから。その時に、大江ちゃんはオレを助けてくれました」
三条は、大きな明るい目でまっすぐ峰柯さんを見た。
「だから、次はオレの番です! オレ、峰柯さんや大江ちゃんが安心して暮らせるようになるなら何だって協力します! 難しくても絶対諦めませんから、曽根崎さん、柊ちゃん、何でも言ってください!」
「もう寺を継いでくれ!」
「お父さんっっっ!!!!」
峰柯さんは感極まってもう泣きそうになっていた。ので、涙が落ちる前に曽根崎さんが彼の手からそっと絵巻を抜き取っていた。コイツほんと人の心が無いな。
けれど、これ以上峰柯さん達に苦しい思いをさせたくないのも事実なのだ。心を一つにした僕ら(曽根崎さんを除く)は、顔を見合わせうんと頷き合ったのだった。





