2 峰柯住職
僕ら四人はタクシーを使い、九須寺へと到着した。
「三条さん!」
ちょうど落ち葉を掃いていた大江未智さんが、三条を見るなりパッと笑顔を咲かせる。慌てて眼鏡を直し、おさげを整えているのが可愛い。恋してるんだなぁ。
「と、皆さんお揃いでどうされたんですか?」
「ヤッホー、みっちゃん! 何を隠そうボクたち、人魚のミイラについて話を聞きに来たのよ!」
「人魚のミイラを?」
「そ! ご住職の峰柯様はいらっしゃるかしら?」
「はい、ちょうど今本堂に……」
けれど彼女が言い切る前に、奥から雷のような怒号が飛んできた。
「なりません! あなた方に見せるものも話せることも何もありません!」
「そう言わずに……」
「お帰りください! これ以上無礼を働くなら、警察を呼びますよ!」
怒鳴り声が苦手な僕は、思わず身を固くする。でも、隣にいた柊ちゃんは即座に声のする方へと歩いて行った。
「でもー、あるにはあるんですよね? 人魚のミイラ。ちょっと見せてくれるだけでいいんですけどー」
「お帰りください」
「つーか参拝者への無礼がなってないのってそっちじゃないですか? 暴言住職って噂が流れたら、寄付とか厳しくなると思いますけど」
本堂の前で、二、三人の男の人とお坊さんが言い争っている。男の人のほうは、二人がスマートフォンを構えてお坊さんに向けていた。
詳しい事情を聞かずとも、あれが人魚ミイラの噂が呼んだ面倒事だとすぐに分かった。
「それにさぁー、可愛い娘さんもいるわけじゃないですか。例えばですけど、恥ずかしい写真がある日突然ネットに上がってたりとかするかもですしね? あんまり危ない橋は渡らない方がいいと思いますけどー」
「何を……!」
「ちょっと、アンタ達」
凛とした絶世の美女が男達の前に立つ。目の眩むような美貌に一瞬たじろいだ男達だったが、手前にいた一人はニヤニヤと彼女に近寄った。
「何の用、お姉さん。俺らのファン?」
「あら失礼、どこかの俳優さんだったかしら」
「えー、俺らのこと知らないの? メフィストズってんだけど。ネットで調べてみてよ、上の方に出てくるから」
「お生憎様ね、ボクってば美しいものしか興味無いの。で、今のアンタ達は……」
柊ちゃんの指が動いたかと思うと、鮮やかに男のスマートフォンを奪い取る。それから手早く動画データを消去し、丁寧な仕草で男の手に戻した。
「すっごくブサイクだわ。ダメよ、お坊さんを困らせちゃ」
「なんだと……!」
「おい、何してくれんの姉ちゃん。データの破棄は立派な器物損害だぜ?」
「まあ、だったら何だって言うのかしら? 一緒に警察行っちゃう?」
「ンだとコラ……!」
「待ってください!」
柊ちゃんに伸ばされた男の腕を、咄嗟に掴む。ギロリと睨まれビクッとしたが、体が先に動いてしまってはしょうがない。腹を括ることにした。
「あ、あなた達の動画だって本人の許可を取ったものじゃないですよね。人を動画や写真で撮影しようとする行為には、本人の許可が必要です。勝手に撮って、あまつさえ公開しようとすれば当然法律違反になりますよ」
「何お前」
「加えて、娘さんを例に挙げた先ほどの言動は脅迫にあたります。これ以上続けるなら僕もあなた方を録画させていただきます」
「はぁぁ? いいから離せよ」
「だ、ダメです。この女性とご住職様に、迷惑をかけないとお約束ください」
「すげぇウザいんだけど」
剥き出しの敵意に怯みそうになる。でも、僕だってコイツよりずっと怖いものを見てきたんだ。ビビってやる謂れは無い。
男の一人が大江さんに目をやる。でもその視線を遮るようにして、ずっと大江ちゃんのそばについていた三条が彼女を背にやった。
「おや? どうやら誰かが警察を呼んだようですね」
曽根崎さんの声と共に、パトカーのサイレン音が聞こえてくる。振り返ると、僕の後ろに立つ彼が男どもにスマートフォンを見せつけていた。録音した音を聞かせているだけだろうが、彼らには十分効果的面だったようである。
「……ふん」
リーダー格っぽい奴が、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「まあいいや、なんか面倒なの湧いてきたし。和尚さん、今日は帰りますけどまた改めて来ますんでー」
「我が寺に和尚と呼ばれる者はおりません」
「は?」
「和尚とは戒律を授ける者。それが無い浄土真宗に和尚はいないのですよ」
「あ? 知るかよ」
「ともあれ来た所で、ミイラ目的であれば何も話すことはありませんが」
「……」
あからさまに舌打ちをして、三人の男は足早に去っていった。しばらくじっと彼らを見つめていたご住職だったけれど、やがてがっくりと肩を落とす。
「皆さん、ありがとうございました。お陰で助かりました」
「いいのよ、峰柯様! んもう、困った人たちだったわね!」
「ええ、連日この調子なのです。しかし彼らは特に悪質でした」
嘆息し、峰柯と呼ばれたご住職は髪の一本も無い頭をつるりと撫でる。眼鏡の下の深い皺の刻まれた顔には、くっきりと疲労が滲んでいた。
「お父さん!」
「未智」
ご住職のもとに大江さんが駆けてくる。続いて、三条も。
「あの人たち、また来てたね。大丈夫だった?」
「ああ。だからしばらく寺の手伝いはいいとあれほど……」
「だって変な人が来て、他のお参りの人が迷惑したら大変だもん。っていうか原因があのミイラのせいなら、早く博物館とかに寄贈するべきじゃない?」
「何度も言っているが、それだけはできないんだ」
峰柯さんはきっぱりと首を横に振る。大江さんは呆れたように腰に手をやっていたけど、僕は曽根崎さんの眉間に皺が寄ったのを見逃さなかった。
「こんにちは、大江ちゃんのお父さん!」だが、そういう空気なんぞ読みもしないのが僕の友人である。
「オレです! 三条です! ミイラのことで大江ちゃんが困ってるって聞いて、何かできることはないかと思って来ました!」
「ぐぬっ!? さ、三条君、君はそこまで未智のことを……!? い、いや、だめだ! 嫁にやるにはまだ早い!」
「お父さん!」
「オレ、ミイラ移動させるとかなら手伝いますよ! お父さんの愚痴もあるなら聞きます!」
「ぐぬぬぬっ!? 未智だけじゃなく私にまで寄り添ってくれるのか!? むむむ……教職をしながら住職をしてもらうのは流石に難しいか……!?」
「お父さんっ!!!!」
先走りまくる峰柯さんに大江さんが真っ赤になっている。なるほど、これは確かに大江さんのお父さんだ。
「……ところで、あなたは?」
そして突然彼の疑問の矛先が僕へと向いた。慌てる。そういや僕、この場で一番関係無い存在だ。
「あの、初めまして。僕は竹田景清といって三条の……」
「オレのお友達です、お父さん!」
「君にお父さんと呼ばれるのは悪い気はしないがまだ早いと思う!」
「おおおおお父さんっ!!!!」
「……かつ、私の助手でもあります、峰柯殿」
僕の後ろから曽根崎さんが出てくる。途端に、嘘みたいに峰柯さんの顔が引き締まった。
「曽根崎君」
「このたびのことは実に災難でしたね。しかしこうなると、あれを安全に保管したままというのは難しくなってくるでしょう」
「……分かっています。さりとて、他の者の手に渡すのも難しく……」
「存じております。その上であなたと話したいと思い、こうして参上しました」
曽根崎さんの丁寧な言葉に峰柯さんは頷き、僕らに背を向けた。ついてこいということだろう。
「未智。あなたも来なさい」
「わ、私も?」
「あなたも分別のついた年頃だ。そろそろ話しておくべきだろう」
「私有地につき立ち入り禁止」との注意書きが貼られたロープを持ち上げ、峰柯さんは進む。数人に踏み荒らされた形跡のある草の上を、僕らは歩いた。
「これより私の話すことは決して疑わず、従ってください」
緊迫感のある声で、先頭のご住職は言う。
「でなければ、最悪命を落とすかもしれません。あなただけではなく……私や他の者も」
にわかには信じがたい話だったけど、その声に嘘偽りは一切無いように聞こえた。だから僕らも、彼と同じ声色で「はい」と答えたのである。





