1 SNSの投稿
ベルが鳴り、教授による終了の合図で一気に講義室内にざわめきが満ちる。隣の席の子とおしゃべりし始める人や、早速スマートフォンを取り出して電話をかけ始める人。その中で、僕はせっせと本やノートを鞄にしまっていた。
さて、今日も曽根崎さんの事務所へバイトに行かねばならない。いや、その前に少し図書館で勉強してからにしようかな……。
「景清ーっ!」
そんなことを考えていると、元気いっぱいに僕を呼ぶ声がした。振り返ると、友人である三条正孝が入口でぶんぶんと手を振っている。
「どしたの、三条。何か用?」
「うん、実は相談したいことがあってさ」駆け寄ると、三条はちょっと困ったように笑った。
「食堂行かね? オヤツ奢るから」
「いいよー」
「ありがとう!」
どうせまた、論文が仕上がらないとか講義で分からない所があるとかモテたいとかそんなんだろう。そう軽く考えていたら、彼は思いも寄らぬ切り出し方をしていた。
「景清はさー、人魚っていると思う?」
「人魚ぉ?」
意外な質問に、持っていたソフトクリームをこぼしかけてしまった僕である。一方、大学芋を頬張る三条は大真面目に頷いた。
「うん、人魚。首から下が魚の」
「腰から下だろ」
「そうだっけ。とにかくそれについての相談なんだけどさ」
言いながら、三条がスマートフォンを取り出す。そこに映っていたのは、SNSに投稿された写真。何らかのお墓だろうか。木や草に囲まれる中、大きめの石が半分だけ土に埋もれており、よく見れば文字が彫られていた。
「えーと……何これ」
「人魚のミイラ塚」
「人魚のミイラ塚? これが?」
「そう。この投稿者がお寺に行った時、裏の竹やぶにひっそりあったのを見つけたらしくてさ。で、そこの住職さんに詳しい話を聞いてみたら、呪われるから二度と近づくなってすげぇ怒られたんだって」
「そんな。呪いのブツを野放しにしてたのは、住職さんの方なのに」
「後で聞いたらバリバリ私有地だったみたい」
「じゃあ投稿者が悪いな」
「で、この人それをいかにも怖い話みたいに書いてSNSに投稿したんだよ。そしたら話題になっちゃって、お寺まで特定されてさ。今ちょっとした心霊スポットみたいな扱いになってんだ」
「うわー、迷惑な話だな」
「そうなんだよ。大江ちゃんも困っててさー、何とかしてやりたいと思って」
「ん、大江さん? なんでその子の話が出るの?」
大江さんとは、三条が家庭教師をしている女子高生である。とてもまじめ頑張り屋で、一途に三条を慕っている可愛い子だ(なお未だ三条は気持ちに気づいていない)。
尋ねると、向かいにいる三条は大きな目をパチパチとさせた。
「あれ、言ってなかったっけ。ここ九須寺っつってさ、大江ちゃんのお父さんがご住職やってんだよ」
「え、そうなの?」
「そうそう」
何もかもが初耳である。僕はキョトンとする三条にしかめっ面をくれてやると、少しだけお小言を申し上げたのだった。
とにもかくにも、オカルト方面ならうちの雇用主が役に立つかもしれない。依頼料はバカ高いが、そこはお寺の人も巻き込んで上手く交渉できれば……。
けれど、そう意気込んで事務所のドアを開けた僕の出鼻は鮮やかに挫かれた。
「あらあ、景清!」
艶やかな黒髪を靡かせ、オシャレな香りとハスキーボイスを振りまくスレンダーな女性が笑いかける。もし一年前の自分に彼女と知り合いなどと言っても、絶対信じてもらえないだろう凄まじい美しさ。
月上柊。絶世の美女が、仏頂面のオッサンの座るデスクの前でにこやかに小首を傾げていた。
「今日も大学お疲れ様! 今ね、このテヅルモヅルにウンと言わせようとしてたの! アンタも手伝いなさい!」
「テヅルモヅル? 曽根崎さんのことですか?」
「あれ、柊ちゃんじゃん! 久しぶりー!」
「まあ、どうしてマサまでいるの!? 遊びに来たの!?」
「ううん、オレも曽根崎さんに相談したいことがあってさ。曽根崎さん、こんにちは!」
「ヤダ、満員御礼じゃない。繁盛してるわね、シンジ」
「つつくな」
柊ちゃんが曽根崎さんのほっぺをツンツンしている。実際はあまり加減を知らない人なので、ドスドスといった感じだったが。
「今日は一体何の御用ですか? もしかして、また怪異絡みの事件とか?」
「大体合ってるわ! これからボク、取材したい所があるんだけどね。それをシンジにも手伝ってもらおうと思ってるの」
「取材?」
「ええ! 最近話題になってる、人魚のミイラ塚についてなんだけどね……」
柊ちゃんが両手を幽霊みたいにして、声をおどろおどろしいものにする。けれど、僕と三条は揃って顔を見合わせた。
「アレだな」
「アレだ」
「ちょっと何よ、その反応」
「えっと……実は僕たちが来たのも、その件なんです」
「え、景清とマサも?」
「うん。あのお寺、大江ちゃんのとこのじゃん。心霊スポット扱いされて困ってるみたいだから、何か力になれないかと思ってさ」
「まあ! だったらボクとゴールは一緒ね!」
柊ちゃんは、それはそれは美麗に笑った。
「ボクも取材を通してシンジにミイラ事件を暴かせてね、それを大々的に広めようと思ってるの! だって解決しちゃえばみんな興味無くしちゃうでしょ? ついでにボクの雑誌の空きも埋まるしシンジも仕事ができるし、万々歳だわ!」
「なるほど」
確かに、柊ちゃんの案はとてもいいように思えた。お寺の中にはご参拝のキッカケになるならと積極的に話題作りをする所もあるが、少なくとも大江さんの所は違うみたいだし。そもそも人魚のミイラなんてまずあるわけないし、猿と鯉の合体作とか何とか言ってしまえば騒ぎも収まるんじゃ……。
「アレは、そう簡単な話じゃないんだ」
しかし曽根崎さんは、全く乗り気じゃない様子で言った。
「冗談半分、観光気分で触れていいものじゃない。全員まとめて難癖つけてしょっぴいてやったほうが、まだそいつらの為になるぐらいだよ」
「え……どういうことですか?」
「……」
濃いクマを引いた鋭い目には影が落ち、一層不審者面が増している。彼は僕の言葉に何か返してくれたみたいだったけど、うまく聞き取れなかった。
「ともあれ、そろそろ年貢の納め時ではある」
しかし尋ねる前に、彼は立ち上がった。
「気は進まないが、峰柯殿には恩もあるしな。彼が望むなら行くとするか」
「そうこなくっちゃ! さあ怪異掃除よ! アンタの仕事よ!」
「ありがとうございます、曽根崎さん!」
「ただし金は請求するぞ。そこの三条君にも」
「えぐっ! は、はい! オレが払える範囲だとありがたいのですが……!」
たじろぐ三条を尻目にネクタイを締め直す曽根崎さんに、僕は少し驚いていた。この人、誰かに恩を感じるとかあるのか。
ともあれ重い腰を上げた曽根崎さんに、柊ちゃんも三条も大喜びである。この人、動けばなんやかんやでちゃんと事件を解決してくれるもんな。
でも、僕にはどうしても曽根崎さんの言葉が引っかかっていて。妙に騒ぐ胸に、一人そっと手を置いていた。





