15 ミスの無いよう
要するに、まとめるとこういうことか。
本来の中伴さんは、観客と一緒に発狂するか、楽団員同様洗脳されていたはずだった。でもこのよく分かんない曲を聴かされることによって、逆に『The Deep Dark』から守られていたのである。
「けど、そうだとすると妙なことがありますよね」
僕は、顎に手を当てて言った。
「だって、この曲を聴かせるように仕向けたのは洗脳された楽団員達なんでしょう? 中伴さんを囲んで、耳をちぎって……。だったら、中伴さんに正気を保っていてもらいたかったのは他でもない怪異側だったってことになります」
「そうだな」
「それは何故でしょうか。どう考えても、洗脳しといたほうが怪異側にとって有利に進むと思いますが」
「そこはまだ分からん」
すげない答えだった。むべなるかな、なんせまだ情報が少ないのである。
「でもさあ、同じ曲を延々聴かせ続けられるってそっちのが発狂もんじゃね?」
テーブルに座る阿蘇さんが、皮肉めいた口調で藤田さんに話しかける。
「そこはアレか。やっぱ怪異だから人間側の理屈が通じねぇのか」
「そうかもね。でも実際なんとか中伴さんは正気だったし、間違った対処ではなかったんじゃない?」
「んー」
「とにかく、その曲を聴くことができれば、オレらも『The Deep Dark』に対する耐性がつくってわけだ」藤田さんがニヤリと笑う。
「そうなれば、楽団員らが固執してやまなかったあの曲にオレらも最後まで追走できる。ねぇ阿蘇、そうなったら何が起こると思う?」
「分かんねぇけど絶対ロクな結果じゃねぇだろ。つーか兄さん、アンタこの曲を使って何する気なんだ?」
「主な目的は、時間稼ぎと安全措置といった所かな」
「はぁ?」
顔を歪める阿蘇さんに、曽根崎さんは軽いため息をついた。弟に向けた呆れというより、事態に感じる面倒臭さによるものだろう。
「まだ情報が足りないから具体的な作戦は言えないが、この対抗曲を演奏すれば『The Deep Dark』中でも敵の洗脳を受けずに行動できるようになるだろう。そしてその時間を利用すれば、効率的かつ安全に奴らの目的を見定められるかもしれない。あまつさえ、奴等への質疑、また演奏が終わる瞬間を見届けたりなども」
「うーん……でも、見届けるのにわざわざ曲を使う必要はあるんですか? 耳栓の方が安全で確実だと思いますけど」
「勿論それも手段の一つではある。だが何が起こるか分からないし、そもそも音から得られる情報だってあるだろ。五感が使えるならそのほうがいい」
「まあ確かに。じゃあ、これを使えば洗脳された楽団員の人も助けることができるんですか?」
「そこは楽団員のおかれた状況次第だな。しかしもし救えるとしたら、この曲が鍵になる可能性は高いだろう」
それを聞いて、初めて僕の気持ちは高揚した。――助けられるかもしれない。僕のせいで洗脳されてしまった野辺さんや、他の楽団員の人達さえも。
やっと見えた光明に、素直に喜んでいた僕だったが……。
「だから、景清君と藤田君の力を借りる必要がある」
曽根崎さんの一言に、動きを止めた。
「君達には、『The Deep Dark』が始まると同時にこの曲を演奏してもらう。外部から隔離され、完全防音された部屋でな。拙くてもいい。技巧は不要だ。しかし、くれぐれもミスの無いよう演奏してほしい」
「ミ、ミスの無いよう? 一つもですか?」
「ああ」
顔中から血の気が引く。だが、曽根崎さんは平然と続けた。
「怪異は全ての楽団員を洗脳している。これがどれほどの精密さを持つかは不明だが、“完璧な演奏”ができる可能性はかなり高いだろう。故に対抗曲であるこちらのたった一つミスでさえ、大きな綻びに繋がると思われる」
「え……でも、ピアノって僕が弾くんですよ? 藤田さんならともかく、僕が……」
「何か問題があるのか? 中伴氏によると難易度はさほど高くないとのことだ。ピアノ経験者の君ならできるだろ」
「……」
あっけらかんとほざいてくれるものである。なんというか、これぞ音楽経験皆無者といったご意見を。
知らねぇか曽根崎。楽器のブランクってすごいんだぞ。
「あ、じゃあこうしたらどうだ?」青ざめる僕の様子に何か察した阿蘇さんが、ポンと手を打った。
「必要になる指は全部で十七本なんだろ? じゃあ藤田がその内十三本分ぐらい担当してやったらどうだよ。そんなら景清君は四本で済むぜ」
ダメだった。彼も音楽に疎かった。
「済むぜ、じゃねぇわ阿蘇。ほら見てみ、オレの指何本?」
「足の指込みで二十本」
「加えちゃうの? そこ加えちゃうの? それオレどんな体勢でピアノ弾きゃいいんだ。鍵盤に取り憑く妖怪みたいになるぞ」
「いいじゃねぇか、もう二十七年も人間やってきたんだし。これを機に新しいステージに進めば?」
「いやぁぁん、人間でいさせてぇ!」
「うわ、触んな!」
「うるせぇ、何度だって人里に降りてきてやっから!」
「残飯の味覚えたタヌキみてぇなことしやがって!」
相変わらずの仲良しっぷりである。こちとら不安でちょっと泣きそうですらあるのに。じゃれ合うなら家でやってくれねぇかな。
「でもまあ、実際大丈夫なんじゃない?」
そして一通り阿蘇さんに懐き倒して気が済んだ藤田さんが、二枚の楽譜を手に僕に向き直った。
「ざっと見てみたけどさ、この曲は低音側に比較的高難度のフレーズが偏ってんだよね。だからオレがこっち側を担当して、景清は高音側を弾きゃあいい。ペダル操作だって、基本低音側がやるもんだしさ」
「でも……できますかね、僕に」
「できると思うよ。ちなみにブランクどれぐらい?」
「高校三年の夏にやめて以来です」
「じゃあ三年ぐらいか。大丈夫だって。お前ピアノ自体は五歳から始めてたんだし、ちょっと練習すりゃすぐまた弾けるようになるよ」
「……藤田さんは、問題無いんですか?」
「うん、オレ自信ある」
きっぱり言い切る藤田さんに、すごいなと感心する。だけど、薄々彼ならそう言うだろうなとも思っていた。
何故ならこの人のピアノは、かつて僕の母ですら驚嘆させたのだから。
――藤田直和という人は、昔『生ける炎の手足教団』というカルト教団の後継者だった。彼はそこで教祖様の忠実なる手となり、ピアノで讃美歌の伴奏などもこなしていたのである。
その光景は今でも覚えている。幼くも酷く整った容姿の藤田さんが、まるで体の一部のようにピアノを弾く姿を。まるで神から遣わされたのかと思うほどに煌びやかな横顔に、みんなうっとりと見惚れていたものだ。
ただ一人、僕を除いて。
「……分かりました。やります」
だけど、ここで僕が個人的な感情でグダグダ抜かすわけにはいかなかった。腹の底から滲みてくる何かを殺しながら、僕は曽根崎さんを見る。
「時間のある限り練習し、一週間後までにはミスの無い演奏を仕上げられるよう努力します。ですが何事も百パーセントの保証とはいきません。人がやる以上失敗はつきものですし、こと演奏においてはそれがあってもおかしくはありません。なので、曽根崎さんもそれを踏まえた上で行動してもらいたいんです」
「……そうか、分かった。では極力君達の音楽を軸に据えなくて済むよう、いくつか方法を考えてみるとしよう」
「お願いします」
すんなり提案が通って、ホッとする。が、その直後、曽根崎さんは真顔で僕の両肩を掴んできた。
「しかし何故だろうな。結局君たちに頼ることになりそうな予感がものすごくするんだ。すさまじく、とてつもなくする」
「そ、そうなんですか? 痛いな、肩が」
「だからマジで気を抜かずにしっかり練習しておいてほしい。運が良ければ全く頼らずに終わるかもしれんが……最悪私が出張らなきゃいけなくなったら必須になるし、そうなったら君たちの音楽が無いと私は発狂するし、下手したら」
「わ、分かりました、分かりましたよ! ちゃんとやりますから早く離してください!」
変な所で弱気なオッサンである。……本当に大丈夫かな? そうでなくてもこの一週間、僕はピアノの練習で事務所には行けないのである。もう少ししっかりしてほしいものだけれど……。
「……ちなみに僕がいない間、曽根崎さんのお世話ってどうなるんです?」
「忠助に頼もうと思ってる。よろしくな、弟」
「げっ! 今から役所と縁切寺行ってくるわ」
「念入りに絶縁しようとするな」
やっぱり阿蘇さんに皺寄せがきた。申し訳ないけど、曽根崎さんが餓死するのは忍びないので、阿蘇さんには堪えていただきたいと思う。
「これを景清と演奏するのかぁ」
そんな中、一人ニコニコと楽譜を見ているのは藤田さんだ。彼は僕の視線に気づくと、爽やかで人懐っこい笑みを向けてみせた。
「頑張ろうな、景清! オレも景清となら頑張れるから!」
……対する僕は、そんな彼に返す正しい表情を作る為に必死になっていて。
上手くできていたかは、正直分からなかった。





