14 ピアノ
僕、竹田景清は、これまで曽根崎慎司という男に数々の無茶振りを食らってきたと思う。
が、流石に今回ばかりは根を上げそうになった。
「僕が……藤田さんとピアノの演奏を!?」
それは最終コンサートより一週間ほど前のこと。藤田さんの研究室に呼び出された僕は、曽根崎さんから度肝を抜かれる申し出を受けていた。
「そう、君達には二人で一台のピアノを共有し、一つの音楽を形作ってもらうことになる。連弾とも言うかな」
「で、でも、なんで僕と藤田さんが? ちゃんとプロの人を雇うべきじゃ……」
「無関係な一般人を巻き込むべきではないだろう。それに……」
曽根崎さんは、楽譜をチラつかせて言う。
「聞けば、君と藤田君にはピアノの経験があるそうじゃないか。これは実に好都ご……もとい生かさない手は無いと思って」
「今好都合って言いかけましたね?」
「というわけで、君たち二人には次のコンサートまでにこの譜面をマスターしておいてもらいたい。よろしく頼む」
「無茶苦茶言う! 大体何なんですか、この楽譜は!」
「……中伴氏の失われた耳から聴こえる音楽を、起こしたものだ」
低い声に、ギクリとする。彼はそんな僕の反応をたっぷりと楽しんでから、長い指で自分の側頭部を差した。
「以前にも言ったように、今彼の頭にはある音楽と何者かの絶叫が聞こえ続けている。妄想ではないと断じるつもりは無いが、少なくとも楽譜に落とし込めるほどには彼にとって現実感のある話だ」
「……その音楽が、この曲なんですか」
「そう。そしてこれを奏でる楽器……ピアノの音に似ているとのことだが、一つだけ奇妙な点があってな」
曽根崎さんの手が、鍵盤を叩くように動いた。
「中伴氏曰く、演奏者は四本の腕を持っているそうだ」
「……え?」
「そこから伸びる六本、四本、三本、四本とまばらに生えた指を使って、音を奏でている。少なくとも彼はそう断言した」
「なっ……!」
ついおぞましい姿を想像してしまいそうになって、僕は慌てて頭を横に振った。――なんだ、それ。いくらなんでもそんな生物がいるわけないだろうに。
でも、楽器がピアノだというなら他に説明がつけられそうだ。
「ふ、普通に二人の人が演奏しているとかじゃないんですか? それこそ僕らがする連弾みたいに」
「私もそう尋ねてみたんだが、当の中伴氏に殺されんばかりの勢いで否定されてな。もっとも、何人で弾いていようがこちらもさしたるこだわりはない。更に言えば、人だろうとそうじゃなかろうと」
――恐ろしい絶叫の響く中で、十七本もある指を操りピアノを弾く者。あまりにちぐはぐで不気味な描写は、以前の僕であれば中伴さんの狂気が見せた幻だと鼻で笑っていただろう。
けれど、様々な怪異を見てきた今となっては。むしろ否定するほうが、非現実的な事のように思えた。
「ってことは、この曲には何かしらの有用性があるんですよね?」
一方飲み込みの早い藤田さんは、もう楽譜を見ながら空で指の動きを確認している。
「具体的にどういう効果があるか教えてもらえます?」
「良い質問だな。端的に述べると、これを聞き続けている限り『The Deep Dark』の支配に抗うことができる」
「おお、素晴らしい」
「……という可能性がある」
「なんだ、可能性ですか。その根拠は?」
「中伴氏を見てみろ。幾度となく曲を聴いたはずなのに未だ気を失っておらず、また狂気に侵されているも落ち切ってはいない。……まあ、これだと少々乱暴か。もう少し丁寧に説明しよう」
曽根崎さんは適当な丸椅子に腰掛け、長い足を組んだ。――彼の推理が始まるのだ。ちゃんと話に追いついていけるよう、僕は少し身構えた。
「そもそも楽団員の洗脳は、『The Deep Dark』の演奏による気絶がトリガーとなっている。これは疑いようも無い事実だ。しかし、だとすれば未だ中伴氏は気を失っていないのは何故だ? ……この謎を推理するにあたり、私はいくつかの仮説を立ててみた」
パチンと、彼は指を鳴らす。
「一つ目は、彼が事件の真犯人であったから。仮説としては最もシンプルだが、しかし彼が真犯人だと考えるといくつか不可解な点がある。例えば、わざわざ本番中に『The Deep Dark』を演奏したことなどな」
「……それは確かにそうですね」藤田さんが答えた。
「楽団員を洗脳したいだけなら、練習時に演奏しても良かったはずですから」
「その通り。故に、この仮説は一旦保留としている。次に二つ目の仮説だが……これは指揮者自体、演奏者側として組み込まれていなかった可能性だ」
指揮者が演奏者じゃない? えーと、それってつまり……。
「中伴さんは、演奏する側じゃなくて聴く側だったってことですか? 僕もそうでしたけど、観客側は気絶してませんでしたもんね」
「そうだ。この気絶させる条件というものはいくつか考えられるが、傾向から見るに対象が“演奏者”であるという点は間違いない。しかし、指揮者である中伴氏はこの演奏者側に該当しなかった。よって、洗脳はされずに軽い狂気に陥るだけで済んだというわけだ」
「でもさぁ、それもおかしくね?」ここで首を捻ったのは、阿蘇さんである。
「だって一回聴いただけで、景清君がヘンになっちまうような曲なんだろ? じゃあなんで何回も練習だの何だので曲を聴かされてる中伴さんが、まだ無事なんだよ?」
「そう、そこも違和感のある点なんだ。だから、私は三つ目の仮説を立てた」
曽根崎さんは、トントントンと指で机を叩く。
「中伴氏は、何らかの理由により真犯人によって『The Deep Dark』に抵抗できる措置を取られている。そうすることで、ギリギリ正気を繋ぎ止めさせられているとな」
「なるほど、そうか!」
藤田さんが膝を叩いた。
「その対抗措置が、中伴さんに聞こえているこの曲だったんですね! この曲を聴かせることで、犯人は中伴さんを気絶もさせず、狂気に陥りもしなかったってことか!」
曽根崎さんが頷く。僕の手に握られた楽譜が、くしゃりと歪んだ。





