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続々・怪異の掃除人  作者: 長埜 恵
第2章 誘う音楽
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8 微かな希望

 結局、発信機はどこにも見つけられなかった。クソッ、絶対あると思ったのに。

「まあまあ景清、これでも食べて元気出せ」

「なんですか藤田さん、この赤いの。うわっ、匂いだけで涙出る」

「ここのファミレスのラーメン、特別辛いからね」

「なんでファミレスにそんなイロモノが?」

 でも、たとえ激辛ラーメンじゃなかったとしても、今の僕の喉は通らなかっただろう。僕は、向かいにいる曽根崎さんの顔をチラッと見た。

「……曽根崎さんは、楽団員の皆さんを助けに行かないんですか?」

「行かない。もっとも、より正確に言うなら『行けない』と口にすべきだが」

 彼も特に何を食べるでもなく、肘をついて窓の外を見下ろしている。既に日は暮れ、街灯やこぼれる店の明かりを頼りに多くの人が行き交っていた。

「中伴氏や君たちの話を聞いたことで、うっすらとあの楽団に何が起きているか見えてきた」

 それら景色に言葉をこぼすようにして、曽根崎さんは言う。

「以上を踏まえて、君たちに伝えておくべきことがある」

「なんですか?」

「今後一切、楽団が演奏しようとするのを止めてはいけない」

「え」

 耳を疑う発言だった。

「でも、そうしたらますます被害が広がるんじゃ?」

「被害ってのはどのことを指している? それがまだ気絶していない楽団員というのなら、もう手遅れだよ」

 ──手遅れ。

 僕の脳内に、野辺さんの怯えきった表情が蘇った。

「君とて呼び出された者から聞いただろう。一度気絶した楽団員は、演奏を止めようとする者を決して許さない。縛りつけられて無理矢理曲を聞かされるだけならまだしも、暴力を振るわれたケースもあると」

「だったら尚更、野辺さんを助けるべきだったんじゃ」

「無理だな。我々に助けを求めた時点で、彼の運命は決まっていた。彼は──野辺氏は、外部に助けを求めるという致命的な“反逆”をした。演奏を中止にさせかねない行為をしたんだ。そんな彼を庇おうとするのは、我々にとっても危険極まりない。多勢に無勢、君と藤田君が無事でいられるかの違いだけで、彼が連れて行かれる結末に変わりはなかっただろうよ」

「そんな……!」

「でもそれにしたって不思議ですよねぇ」

 言葉を詰まらせる僕に代わって会話を継いだのは、藤田さんである。

「そもそも、どうやって楽団員は野辺さんの反逆を知ったんでしょう。ずっと外で見張ってましたけど、アイツら最初から知ってたみたいにあの部屋に来てましたよ」

「知ってたのさ、実際。もう気絶していない者も少ないし、最終公演も近い。見張られていないはずがないだろ」

「じゃあ、景清にメモを渡した時から野辺さんは見られていたと?」

「可能性は高いな。そこで目をつけられ、監視されていたんじゃないだろうか」

「言われてみりゃ、楽団員の二、三人と廊下ですれ違うことはありましたけど……。でも、全員部屋に来た人とは違いましたよ? 普通こういう時って、一人ぐらい目撃した当事者が来ませんか?」

「そうだな……特別腕の立つ者を集めたとか?」

「中には小柄な女性もいましたし、そういうわけではないと思います」

「ならばそこは違和感のある点だな。覚えておこう」

「あと、どうして一気に楽団員を気絶させなかったんでしょう。オレなら反逆の芽を残すようなことをせず、最初の段階で全員言いなりにさせますが」

「実はそこは予想がついているんだ。ま、いずれ話すよ」

「えー、なんで今話してくんないんです」

「おい見ろ藤田君、外で全裸サンバが始まったぞ」

「どこどこ?」

 藤田さんがまんまと曽根崎さんの嘘に誤魔化されている。しかしその隣で、僕は青ざめていた。

 ──監視されていた? それにも気づかず、僕はのこのこ野辺さんの元へ行ってしまったのか?

 いや、少し考えれば分かったはずじゃないか。楽団がおかしくなっていることは彼からのメッセージで気づいていた。僕はもっと慎重に行動し、周りに気を配るべきだったんだ。

 っていうか、最初から僕が動こうとしなければ彼は今も無事だったんじゃ……。

「おい」

 が、僕のぐるぐるとした懊悩は軽いデコピンで弾かれた。曽根崎の野郎である。

「な、何するんですか」

「また君が思い悩んでそうだったからな」

「アンタ悩む人にデコピンする人間なんですか?」

「時と場合によるが。……なあ景清君。あれほど抱え込むなと言っただろ」

 外に向けられていたはずの彼の視線は、今は僕に向けられていた。感情の読みにくい漆黒の瞳に、苦しそうな顔の僕が収まっている。

「……言われましたっけ」

「折に触れて言ってる気がするし、今も思ってる。何を考えていた?」

「……」

「君なぁ」

 呆れたように、曽根崎さんは息を吐く。

「おおかた、また答えの出ない問いでも考えていたんだろう。その堂々巡りの思考は、君の偏った主観に基づいた悪い癖だよ」

「え、えっと」

「いいからとっとと吐き出したまえ。君に中にある脳の数は一つだが、この場にぶち撒ければ三つになる。客観的思考とはそういうことだ。いくら普遍論に当て嵌めようとした所で、己が脳で考える限り主観の域を出ない」

「……」

「一人で悩むなってことだ。ここには君以外に二人もいるんだから」

 早口で言われたせいでうまく飲み込めなかったけど、最後の言葉にはなんとか頷いた。藤田さんも、ニコニコ笑って僕の頭を撫でてくれている。別にいいけど、匂いが辛すぎるのでラーメンを食べ終わってからにしてほしい。

「……ふむ。つまり君は、自身の行動が野辺氏を追い詰めたのではないかと懸念していたのか」

 そうして話してみた所、曽根崎さんは何でもない顔で言った。

「結論から述べると、それは否だな。追い詰めたという点で言えば私の責任だ」

「そ、そうなんですか?」

「ああ。私がステージに姿を見せなければ、彼は助けを求めようと思わなかっただろう。恐怖と諦念に沈んでいた所に私が希望の光を見せてしまったせいで、彼は動いてしまった」

「希望……?」

「溺れる者は藁をも掴むってやつかな?」

「藤田君の言葉が近いと思うよ。しかし、溺れる者とて藁が浮かんでいなければ手すら伸ばさない。たとえ、それが実存すら危ういものだったとしてもだ」

 曽根崎さんの右手がヒラヒラと動く。まるで、見えない藁を掴もうとするかのように。

「だから彼は手を伸ばしたんだよ。そうすることで逆に溺れてしまうとしても、知ってしまえば何もせずにはいられなかった。生きたいという欲は、時として堅実な生への道を呆気なく閉ざしてしまう。よく覚えておくといい」

「……」

「ま、パチンコなどのギャンブルでも『あとちょっと』が大体沼の始まりだろ。そういうことだ」

「例えで一気に台無しですね」

 ツッコみながら、少し笑ってしまう。……それでも、そんな彼にトドメを刺したのは結局僕なんだろうけど。なのに、曽根崎さん達に話したことで、小狡くも少し自分の心が晴れてしまったのは事実だった。

「──さて、そろそろあのホールに戻るとするか」

 そして藤田さんがラーメンを完食し、僕もミートドリアを食べ終えた頃。曽根崎さんは立ち上がった。

「もう一度中伴氏と話さねばならない。君の言う、野辺氏に会いにもな」

 その名前に心臓が跳ねる。だけど慌てて水を飲んでごまかし、彼に続いたのだった。

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【書籍化情報】
怪異の掃除人・曽根崎慎司の事件ファイル(宝島社文庫)
表紙絵
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