7 演奏の邪魔
中に入ってきたのは、ステージ上で見た楽団員の人たちだった。十人ほどいるだろうか。
そのうち先頭の女性が、僕を見て目を丸くした。
「あら、あなたは探偵さんの助手の……」
「はい、竹田と申します」
「ここで何をされているんですか?」
「……調査です」
心臓が早鐘のように鳴っている。……嘘は言っていない。でも、ここに野辺さんがいたことは絶対に話せなかった。
幸い、彼は上手く隠れているように見える。後は、うまくこの場をごまかせれば……。
「野辺さん」
だけど、女性の言葉とともに、別の楽団員数名がまっすぐ部屋の隅へと向かう。そこには、使わない資材が埃防止の布をかけられていたが──。
「合同練習の時間ですよ」
その布が取り払われ、縮こまった野辺さんの姿が露わになる。悲鳴をあげる彼を抱え、楽団員は拉致同然に連れて行こうとした。
──まずい。僕は前へ出た。
「待ってください!」
「……どうされました?」
死人のように感情の読めない目が、僕を捉える。
ゾクリとした。──全員だった。そこにいた楽団員全員が、全く同じ目で僕を見ていた。
「い、今……僕は、野辺さんから話を聞いていた所なんです。もうあと五分もすれば行きます。だから、皆さんだけ先に行っててもらえませんか?」
「いいえ、野辺さんは連れて行きます。彼がいないと完全なる合奏の妨げになりますから。……それとも、あなたは」
女性は、機械的な仕草で首を傾げる。
「……我々の演奏を、邪魔をしようと言うのでしょうか?」
「ち、違う! 違うんだ!」
叫んだのは僕じゃなく、彼らに捕らえられた野辺さんだった。
「ぼくには演奏を続ける意思がある! 邪魔しようなんて思ってない! 本当だ! だから、こんな無理矢理連れて行くような真似は……!」
「ええ、分かっていますよ。演奏はあなたの意思です。行きましょう、野辺さん」
「大丈夫だ、信じてくれ! ぼくは本当に演奏をしたいんだ! た、竹田さん……!」
野辺さんが、僕を見る。恐怖に晒され、怯えに歪んだ顔が。
“たすけてくれ”。彼の口が、そう動いた気がした。
「……お騒がせしました」
けれど助けに動こうとした僕の体は、横から伸びた腕に阻まれた。
「練習にお戻りください。我々は引き続き、皆様が滞りなくコンサートを成功させられるよう尽力させていただきます」
「藤田さん……!」
「『The Deep Dark』を最後まで聴けること、私共も心より楽しみにしております」
そう言って頭を下げる藤田さんに、僕は自分のできる限界がここまでなのだと悟った。自分の無力と、見殺しも同然な罪悪感に唇を噛む。あえてうつむき、奴らには表情が見られないようにした。
野辺さんの悲鳴が遠ざかっていく。それらが聞こえなくなるのを待って、藤田さんはようやく顔を上げた。
「……今は引くのが正解だよ、景清」
優しい声だった。尚更、胸は苦しくなったけど。
「外でお前たちの会話を聞いてたけど、やっぱりこの楽団は変だ。多分、オレたち二人じゃどうにもならない相手だと思う」
「でも、人は人じゃないですか。今からでも警察とか財団の人を呼べば、人海戦術で野辺さん一人ぐらい助けられるんじゃないですか?」
「……景清は、本当に彼らが人間だと思ってる?」
「どういう意味です」
藤田さんは折り曲げた人差し指を唇に当て、真剣な目をしている。同じ男とはいえ、思わずドキリとするような横顔だ。
「演奏で気絶したことにより、彼らの身に何かが起きた。一見何ともないように見えるけど、そうじゃない。誤解を恐れずに言わせてもらうなら、オレの目から見た楽団員は『The Deep Dark』を演奏させたい“何か”に操られているみたいだった」
「……はい」
「ということは、向こうの手が分からない以上、下手に突っ込んだらオレ達まで巻き込まれかねない。ここは一旦引いて、情報を集めるのが先だ」
「でも、そうしたら野辺さんは……!」
「……わかんねぇかな、景清」
藤田さんの眼光が鋭くなる。
「よく聞け。……さっきここにいたアイツらを、オレは誰一人としてあまり抱きたいと思えなかった。これが何を意味するか……お前になら分かるな?」
「……!」
言葉を失う。──分からないはずがない。だって、あの藤田さんが性欲を持てないってことは……!
「嘘でしょ、藤田さん……! まさか、楽団員は既に人じゃないって言うんですか!?」
「ああ、間違いない。残念なことだが……」
「でも、あまりってことはまだ少しは人の要素が残ってるんですよね!?」
「おそらく。不可逆的なものなのかは分からないけどね」
「くっ、なんてことだ……!」
説明しよう!
藤田さんは、人類ならあまねく抱けると豪語する性的人類愛者である! そしてその性質故、逆に人類じゃないものを見抜くことができるのだ!
ちなみにこの精度はとんでもなく高く、過去の事件では誰より早く敵の正体を察知した。マジでどうなってんの、この人。
「景清、曽根崎さんのところへ行こう。報告することがたくさんある」
「え、ええ、そうですね。とにかく今は現状を知らせないと……!」
「やあ、ここにいたのか景清君。困るなあ、勝手に出歩かれちゃ」
「うわあああああああ曽根崎さん!? な、なんでここに!?」
「曽根崎さん、大変です。オレこの楽団の奴らに性欲湧きません」
「ちょ、藤田さん! 流石に脈絡が……!」
「馬鹿な! すると彼らは、既に人外のものになっているというのか!」
「秒で信じるんだもんなぁ」
安心と信頼の実績、藤田直和である。ほんと血の繋がりが恥ずかしい。
こうして無事合流した僕らは、一度ファミレスにて情報交換をすることになったのである。
「──ところで曽根崎さん。なんですぐに僕の居場所が分かったんですか? どこに行くかは言ってませんでしたけど」
「あーあ、また君は勝手に行動したなー。あれほど言ったってのになー。危険な相手だったらどうするつもりだったんだろうなー。あー」
「すいませんでした」
「まあ過ぎたことだ。ちゃんと藤田君に応援も頼んでいたことだし、今回に限っては水に流し……」
「それはそれとして、どうして僕の居場所が分かったんですか?」
「あー、しかも君、どういう性質か知らないのに楽団員に噛み付いていったんだってなー。藤田君が止めなきゃどうなってたことかなー。あー」
「すいませんでした」
それでもしつこく食い下がったら、左の足首を指差して「あれじゃないか? 絆の力」などとほざきおった。後で自分の服に発信機がついてないか、確認しなければならない。多分、ついてる。





