5 気絶した楽団員
一方曽根崎は、引き続き中伴の話を聞いていた。
作曲家である古和イオは、かつて音楽学校で講師をしていた中伴の教え子だったという。その縁があって、彼女は自身の曲を彼の楽団に提供したらしい。
「だからこそ、突然の訃報には驚きました」
椅子に座った中伴は、肌寒い気温でも無いのに腕をさすった。
「ですが曲の素晴らしいことは一目見て分かりましたし、何より志半ばに死んでしまった彼女の意志を汲んでやりたかった。なのに……まさか、こんなことになるなんて」
「異常性には、早い段階でお気づきでしたか」
「ええ。貴方の仰った通り、初めて曲を演奏した時から妙なことが起こっていました。一つは指揮をしている最中、私自身激しい陶酔感と眩暈を覚えたこと。そしてもう一つは……演奏中、楽団の半数が気を失ったことです」
当時を思い出したのか、中伴は一つ身震いした。
「『The Deep Dark』は、表にされるべき曲ではない。すぐにそう悟りました」
「だが、結局演奏をやめることはなかった」
「……ええ」
中伴の視線がドアへと動く。人の気配を窺っているのだろう。立ち上がった曽根崎がドアの鍵を閉めると、ホッと表情を緩ませた。
「練習を終えた後、私は楽団員に囲まれました」
一層声を抑えて、中伴は言う。
「『演奏を続けろ。必ず客の前で披露しろ』と。勿論最初は断りました。演奏した我々ですらこうなるのなら、客が聴けばどうなるか……。で、ですが、私がそう言うと、か、彼らは、何やら叫びながら、わ、私の、体を押さえつけ……!」
頭を抱え、ガクガクと中伴は震え出す。
「わ、わわわ私の耳、耳、を……ひ、ひひ引きちぎったのです……!」
「……」
──しかし曽根崎の目には、中伴の耳は両方とも存在しているように見えた。が、姿はあっても“そこには無い”。そういったケースがあることも、彼はよく知っていた。
「つ、連れて行かれた私の耳からは……たたた絶え間なく、お、音楽が、聴こえるように、なりました。そ、それから……」
「それから?」
「……ぜ、ぜぜぜ、“絶叫”、が」荒い呼吸の隙間に、彼は言葉を捩じ込む。
「く、苦痛と絶望に満ちた、お、おおおぞましい絶叫が聞こえました。そ、そそその時は、まだ遠かった、のですが。で、でも、私には分かる。も、もう一つの耳も連れて行かれたら……こ、今度こそ絶叫の主に、届いてしまう……!」
「……」
「し、しし死が、見えた。い、いや、死よりも恐ろしいものを、わ、私は見たのです」
その言葉に、曽根崎は顎に手を当てて考えた。……事情は分かった。嘘をついているようにも見えない。
だが、ひとつだけ違和感があった。
「ちなみに、あなたを押さえつけた楽団員は演奏で気絶した者達でしたか?」
「は、はい」
「気絶した者達に、以前と変わった所は?」
「……僅かですが、ありました」
「ほう」
……やはりか。曽根崎は体を前に乗り出した。
「び、微妙に奏でる音が違っているのです。そして、以前までできていたことができなくなっている……。奏者とは、繊細で個性的な存在です。ごく微かな違いであっても、私には分かります」
「つまり、別人に変わったと?」
「別人とまでは言いませんが……いえ、そうですね。私には、別人にも思えました」
「なるほど」
それもまた、曽根崎の想像した通りの答えだった。気絶した者には、全員何らかの変質があったのである。
なお、片耳を連れて行かれた中伴は、今もまだ音楽と絶叫が聞こえ続けているという。残った耳で周りの音に気を向けるようにしていればなんとかやり過ごせるらしいが、夜はガンガンに音楽をかけねば眠れないそうだ。
(さて、そうと分かれば迂闊に楽団員には近づけないな)
さりとて、話も聞かないわけにもいくまい。虎穴に入らずんばなんとやらと自身に言い聞かせ、曽根崎は尋ねた。
「ところで、まだ楽団員はこの建物内に?」
「え、ええ。練習が控えてますので、今の時間であれば休憩か個人練をしているかと」
「ふむ。……そういえば、あなたは先ほど『演奏するごとに耐性がついている』と仰いました。ということは、一度気を失った者は二度と気絶することはないのですか?」
「あ……は、はい。言われてみれば、見たことがありません」
「では、まだ一度も気絶していない者は?」
「います。ほんの数名ですが……」
「その者の名を教えてください。──景清君、話は聞いてたな? 今から彼らの話を聞きに行こうと思う。故に藤田君にもその旨を……」
伝えてくれ、と言いかけて息が止まる。振り返った先にいると期待した青年の姿が、忽然と消えていたのだ。
狭い部屋の中を見回す。……やはり、どこにもいない。が、しっかり閉めたはずのドアが薄く開いているのを見つけた。
──アイツめ。
「あ、あの、まだ気絶していない者の名前ですが……」
「失礼、それどころじゃなくなったので」
「え?」
びしりと片手で中伴に断りを入れて、ドアへと向かう。
「中伴様、さっきまでここにいた青年がどこ行ったかわかります?」
「し、知りませんよ。トイレにでも行ったんじゃないですか」
「トイレねぇ」
平然とドアを開けて出て行こうとする曽根崎に、当然驚く中伴である。慌てて彼は曽根崎にすがりついた。
「ちょ、ちょっと! これから私はどうすれば……!」
「大変恐れ入ります。急用ができたので」
「急用!? じょ、冗談じゃない! このことは誰にも話すなと言われていたんですよ! まさか私を見捨てるつもりじゃないでしょうね!?」
「んー……中伴様は、もう気絶されてます?」
「は!? いや、していないが……」
「ならまだ大丈夫じゃないですかね。少なくとも完奏するまでは」
「どういうことです!?」
「じゃ、そういうことで」
雑な仕草で中伴の制止を振り払い、曽根崎は颯爽と部屋を去る。それからおもむろにスマートフォンを起動させ、あるアプリを開いた。
画面には、マップと小さく点滅する赤い点。
……うん、そう遠くにはいないな。表示された点の場所を目指し、曽根崎は長い足を踏み出したのだった。





