4 今回の協力者
顔を上げ、控室の時計を見る。……ヤバい、約束の時間まであと二十分しか無い。
でも、楽団がおかしくなってるってどういうことだ? “なかとも”ってのは指揮者の中伴さんのことだよな。彼が操られてるって、じゃあもしかして今も……。
いや、ここで内容を丸呑みにするのは早計だ。この誘い自体罠である可能性だってある。
「──あなたとて、この曲は恐ろしいものだとお分かりのはずです」
考え込む僕をよそに、曽根崎さんは中伴さんに詰め寄っている。
「合奏をするのは、何も本番だけではありません。もしや楽団員が気絶したのは、コンサートが初めてではないのでは? 練習も含めて、『The Deep Dark』は完奏できていないのではないですか」
「……ッ!」
「中伴様は、何故そこまでしてこの危険極まりない曲を演奏したがるんです」
……核心に迫っている曽根崎さんを、今引き離すことはできない。かといって、このメモを無視するのも違う気がする。
どうしよう。時間が無い。何を根拠にするべきか。僕はどうするべきか。
悩んでいたその時、僕のスマートフォンが振動した。
(もー、誰だよ、こんな時に……!)
焦れながら取り出し、画面に表示されたメッセージを確認する。そこには、ポップな絵文字付きでこう書かれていた。
『こんにち○こ!』
……。
藤田直和である。
そのままスマホの電源を落としてやろうかと思ったが、それもできない。実はこの人、今回の協力者の一人なのだ。
『ヤッホー、景清。一応お客さんにはうまく事情をでっち上げて帰ってもらったよ。念の為、ツクヨミ財団の人を手配してお客さんを監視してもらってる。
ひとまずオレは待機でいいかな? さっき曽根崎さんからは“連絡するまでそこで待て”って言われたけど、オレのこと忘れてないよね? ね?』
軽い調子で有能な文面である。お客さんが疑問に思わないよう、裏で財団と動いてくれたらしい。
藤田さんは僕の叔父であり、かつ阿蘇さんの幼馴染でもある大学院生だ。普段は人類であれば抱けると豪語するちゃらんぽらんぶりだけど、その根はイケメンで頭の回転が速く運動神経もいいというとんでもない高スペックの持ち主だ。
で、そんな彼が何故今回の事件に関わっているかというと、シンプルに人手が足りず曽根崎さんに雇われた為である。怪異事件は、一般人による協力を仰ぎにくい。それなりに内部事情を把握し、口が固い人でないと務まらないのだ。
だから、今まで幾度となく不気味な事件に遭遇し、信頼関係もある藤田さんが力を貸してくれていたのだけど……。
(そうだ、藤田さんなら)
あることを思いつき、彼に短いメールを送る。……これでよし。僕はもう一度、曽根崎さんと中伴さんに目をやった。
「なっ……何故そんなことを貴方に話さなくてはならないんですか! いいから解決してくださいよ! それで済む話でしょう!」
「解決するにしても、情報が足りないことには動きようがありませんので」
「だからって、不要な情報まで話す必要はあるんですか!」
「不要か否かは私が判断することです」
「うううっ……!」
うーん……まだかかりそうだな。僕は、抜き足差し足でそっとドアへと近づいた。音を鳴らさないようこっそりドアノブを回し、開く。それから細い隙間に自分の身を滑り込ませた。
静かにドアを閉める。だから僕は、これ以降の二人の会話は聞いていなかった。
「……わ、わかりました。話します」
「おや、よろしいのですか」
後で曽根崎さんが言うには、この時の中伴さんは酷く怯えた様子だったらしい。
「で、ですが、くくくくれぐれも他言しないよう頼みますよ! い、今だってずっと、お、おお音が、聞こえて……!」
「音?」
「わ、私は、演奏を……『The Deep Dark』を、ぜ、ぜ絶対に完奏させねばならないのです……!」
彼はか細く震える声を、必死で喉から絞り出していた。
「そうでないと……わ、私のもう一つのみ、耳、まで、つつ連れて行かれるんだ……!」
「景清」
「藤田さん!」
指定された時刻まであと十分。僕は、藤田さんと合流していた。
曽根崎さんに頼れない今、少なくとも僕よりは適切な判断をしてくれる人は彼しかいない。そう期待してのことだった。
「で、お前が言ってた例のメッセージってのが、これ?」
紙切れを手にし、ムムと顔をしかめる。なのに、整った顔は一向に崩れないのが不思議だ。
「確かに罠っぽいけどね。でも行けば情報を掴めるかもしれないし、乗る価値はあるんじゃない?」
「そ、そうですか?」
「うん、少なくともオレなら行くかな。あー、でも実際行くのはオレの可愛い景清だしなぁ」
藤田さんは、困ったように唇を尖らせた。
「またオレが景清に成りすましてみる? 墨汁とかで髪染めてさ」
「墨汁で染まるかなぁ……。いやいや、行くならちゃんと僕が行きますよ。そこまでお願いできません」
「んー……」
爽やかな顔がじっと僕を見つめる。どうしたのかとドキドキしていると、彼の細い指が僕の前髪を払ってきた。
「メモを渡してきた人の顔さ、景清は見たの?」
「は、はい」
「どんなだった?」
「どうって?」
「違和感とか無かった? 結構そういうのって大事なんだよ。助けてあげたい印象だったとか、なんか嫌な感じがしたとかさ」
「えーと」
そう言われて、あの時のことを思い出してみる。
──見開いた目で、こそこそと周りの様子を窺っていた。こちらを見上げた時の彼の顔には、縋るような恐れがあったように思う。
本当は、曽根崎さんの所に行きたかったのかもしれない。けれど彼は中伴さんと話していたし、何より注目を浴びていた。僕に近づくのでやっとだったのだろう。
「……そうですね。僕には、本当に助けを求めているように見えました」
自信なんて一つも無い判断だったけど、藤田さんは否定することなく頷いてくれた。
「それに、もし疑ってあの人が手遅れになったとしたら、僕はすごく後悔すると思います。だから行ってみたいんですが……藤田さんは、どう思いますか?」
「いいよ。オレはオッケー」
親指と人差し指で丸を作って、へらっと笑ってくれる。その優しい笑顔に、やっと少しホッとした。
「じゃあオレもついてくね。でも部屋の中にまで入ったら相手も警戒するだろうだから、外で控えとくよ」
「はい、ありがとうございます」
「だけどな景清、いざとなったらマジで大声で呼べよ? オレすぐ飛んでくから。指一本でも触ってきたらギルティ判定出していいし、その時はオレが責任持ってもぎ取ったげるから」
「もぎ取っ……どこを?」
指? 指だよね? いや指でも十分ヤベェけど彼が言うと他の部分みたいに聞こえるもんだから。
とりあえず、聞かなかったことにした。





