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続々・怪異の掃除人  作者: 長埜 恵
第1章 人喰いスナック
27/285

幕間

 その日、曽根崎が帰った自宅には既に電気がついていた。

「よ、おかえり」

 我が物顔でリビングのソファに座っていたのは、彼の異母弟である阿蘇忠助。彼は片手を上げると、わざとらしくニヤリとした笑みを作った。

「じゃ、懺悔の時間といこうか」

 そんな彼を前にし、曽根崎は観念したように額に手を当てたのである。




 弟は、鋭い。竹田景清とはまた違った視点でよく人を見ており、動物的な直感で相手の真意を見抜くことができる。

 だから、今回もバレるかなとは思っていたのだが……。

「存外早かったな」

「あ? なんか言った?」

「なんでもないです」

 自分と似た鋭い目がこちらを捉える。今、彼は曽根崎の為にブランデーを入れてくれていた。

「……忠助。君はいつから気づいてた?」

「今日犯人の資料を漁ってた時」

「そうか」

「それまでも怪しいとは思ってたけどな。お前、なんか俺を避けてたし」

 酒がやってくる。違った、弟がやってくる。彼はそのまま自分の隣に座ると、グラスを手渡してくれた。

「つっても、他の誰にも言うつもりはねぇよ。でも、兄さんにだけは直接聞いとかなきゃ気が済まねぇ」

「……」

「本題に入るけどさ」

 自分もブランデーを一口飲み、阿蘇は言う。

「消えた犯人、本当は景清君の力を借りれば助けられたんだろ?」

 その指摘に、曽根崎は鼻で笑って肘掛けにもたれかかった。

「ご名答だな。彼を利用しさえすれば、あの時犯人は消滅から救われた可能性が高かった」

「利用とか嫌な言い方すんなよ」

「だが正確だ。よもや君とて、竹田景清がどんな人間かを知らぬはずは無いだろう」

「知ってるから言ってんだよ。もしこれを景清君が知ったら、すげぇ自分を責めるだろうが」

 まあ正しいな、と曽根崎は思った。だからこそ、自分も彼にははぐらかし続けてきたのだし。

 犯人の呪文の肝は、“存在感”である。つまり対象を知れば知るほど、その認識は明瞭になる。ならば、元々他者に対し強い関心を持っている竹田景清に犯人の情報を詰め込んだらどうなるか。

 恐らく、彼はごく当たり前に犯人の姿を視認できるようになるだろう。そしてそうなれば、どんな状況でも犯人を引き戻すことができたはずだ。

「……だが、それで犯人を救えるかといえば、そうじゃない」

 曽根崎は、グラスに浮かぶいびつな氷に目を落とした。

「光。そして始点と終点。これらは、神の定めし必然だ」

「何だよ突然」

「いずれにしても、犯人はあの時に死んだ可能性が高いってことだ。まひるさんとやらに食われるなどしてな」

「ンなの誰にも分かんねぇじゃねぇか」

「そうだな。しかし、もし景清君が犯人の実体を呼び戻したタイミングがあの状況だったとすれば? 呪文を破られた犯人が自暴自棄になり、化け物に食われたとしたら? 目の前で犯人が死んだら、果たして彼はどう思ったろうか」

「……」

「出身高校が同じだった程度で、呪文の効力を打ち消すほど犯人に親近感を覚えた彼だ。本気で肩入れして救えなかった場合、受ける精神的ダメージは計り知れない」

「だからお前は、あえて景清君を遠ざけようとしたのか」

「秤にかけただけだ。一方しか選べないのなら、どちらに傾くかは明白だろ?」

 眉間に皺を寄せる阿蘇を一瞥し、曽根崎は悪びれることなくグラスに口をつける。数秒、静かな時間が流れた。

「……仕方ないだろ。今の景清君は、私が『記憶を曇らせる呪文』を使うことを良しとしないんだ」

 その沈黙に乗せるようにして、曽根崎は言う。

「それに、結果として彼が自責の念を抱くことは無かった。何故なら犯人は、景清君にとって“同じ高校出身の連続殺人犯”のまま、自業自得に消滅したからだ。それは我々の眼前で起こったこととはいえ、あくまで消滅であって死ではない。

 そう、ただ誰からも見えなくなっただけ。生も死も観測されず、残り続けるだけの存在。つまり……」

 ――幽霊。

 彼女が“なった”ものはそういう存在だと、曽根崎は言った。

「故に、もし忠助が私を人殺しとして非難するなら、それはむしろ真比留氏のほうだろうな。もっとも、彼に人権が適用されるかは微妙な所だが」

「……」

「さて、これで私の懺悔は終わりか?」

「……お前はさ」

 阿蘇は長いため息をつくと、一気にグラスを空にした。

「あれだな。まるで、なんでもかんでも見てきたかのように言うんだな」

「何、単純な悲観的推測だよ。お望みなら君にもやり方を伝授するが」

「いらねぇいらねぇ。秒で病むわ」

「そう言わずに。ついでに酒のおかわりも頼む」

「サービスは一回きりとなっております」

「いくら払えばいい?」

「湯水のように金を使うな。それに、俺はもう帰る」

 阿蘇は腰を上げると、曽根崎のグラスを引き取りキッチンまで向かう。ざっと水で洗って布巾の上に置いてから、置いてあった肩掛け鞄を持ち上げた。

「まあ、話を聞けて良かったよ。兄さんが何を考えてたのかも大体分かったし」

「おや、許された」

「許す許さねぇの問題じゃねぇだろ。もう終わったことだ」

「そうだな。君も同じ状況なら、私と同じ行動を取るだろうし」

「アホか。もうちょい悩むわ」

 否定はしないんだな、同じ行動。

 ともあれ、自分の思考と行動は阿蘇忠助の倫理の範疇だったらしい。こういう価値観は、兄弟として結構似ている所なのだろう。

 そんなことを思っていると、靴を履き終えた弟がこちらを振り返った。

「じゃーな。ちゃんとメシは食えよ」

「分かった。景清君にも伝えておく」

「お前だよ。お前が自発的に食わなきゃいけねぇんだよ。……つーかさ」

「なんだ?」

「そもそも論だけど、なんでたかが他人の景清君が簡単に呪文を破ったんだ? やっぱ、普段から周りにすげぇ気を遣ってるから?」

「いや、解釈としては正しいだろうが、単なるお人好しとは違うと思う」

 そう答えると同時に、曽根崎は小さく胸がざわつくのを感じた。だが、気づかないふりができる程度にはささやかなものだった。

 いつかの病院の食堂で、二つ隣の席の男が立ち上がった時を思い返す。一瞬だけ、彼が見せた緊張した横顔。その開かれた目の色に、宿っていたものは……。

「……多分、ずっと警戒してるんだろうな」

「ああ?」

 聞き返してきた弟に、冗談にも聞こえるよう軽い調子で言う。

「私と同じで、彼は少し怖がりなんだよ」

 阿蘇は何か返そうとしているように見えた。否定か、同意か、もしくは全く違う言葉を吐こうとしたのか。だがこれ以上答える気もなくて、曽根崎は片手を振って背を向けたのである。




 幕間・完

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【書籍化情報】
怪異の掃除人・曽根崎慎司の事件ファイル(宝島社文庫)
表紙絵
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