41 分厚い雲
それから田中さんは年齢分相応にキレ散らかし、曽根崎さんはかなり早い段階でノイズキャンセリングイヤホンをつけた。
「とっととあのふざけた茶番を公に否定しなければならない」
帰り際、忌々しげに唇を曲げて田中さんは言った。
「煩わしいことをしてくれたものさ。非難の声は、既にツクヨミ財団と協力関係にある医療法人にまで及んでいる。このせいで医療に差し支えが起きようものなら、僕はあの女を掘削機に取り付けて永遠に回転させなきゃ気が済まないよ」
「掘削機は拷問器具じゃないんですが」僕はついツッコんだ。しかし田中さんは気にせず曽根崎さんに向き直る。
「とにかく曽根崎君、引き続き調査のほうは任せたよ。君が望むビジネス関係だ。きっちりやってくれ」
「はいはい」
「ガニメデ君も決してあの女豹に誑かされないように! まったく、ヘルメスのほうがよっぽどかわいい性格をしてるよ!」
そう息巻いたあと、田中さんは肩をいからせて事務所を出ていった。ヘルメスとはギリシア神話に出てくるゼウスの使いであり、旅人や商人の神様だ。生まれるやいなや牛を大量に盗むなど、だいぶ個性的な性格をしている。
――それはさておき、ここまでが1時間前のこと。僕と曽根崎さんは今、ある場所へと向かうためにタクシーに乗っていた。
「到着までに君も見ておくか」
タクシーの後部座席にて、ガムでも差し出すような気軽さで曽根崎さんは僕にスマートフォンを差し出した。なんだろう? たまに曽根崎さんが見せてくれる激バズおもしろ犬動画かな? だが、「なんです?」とスマートフォンの画面を覗き込んで後悔した。
そこに映っていたのは、重元さんが雷に打たれる決定的な死の瞬間の動画だった。
「いっ!?」思わずのけぞり、反対側の窓に背中を張りつける。「な、なんで、曽根崎さんがこんな動画を!」
「言っただろ? 今朝、この動画がSNSで拡散されたんだ」曽根崎さんは映像の時間を戻した。品之丞先生がみんなの前で演説しているところだ。「しかも重元氏のアカウントを乗っ取って投稿されている。動画自体はすぐに消されたが、すぐに保存した者達が今もなお拡散を続けているようだ」
「曽根崎さんみたいに?」
「人聞きの悪い。私は保存しただけだよ」
「それもどうかと思いますが」
「証拠保全証拠保全」
「絶対悪い好奇心も混ざってるでしょ」
恐怖を紛らわせるための軽口はほどほどにして、僕はもう一度動画を見てみた。動画は手に持ったスマートフォンで撮影されているのか、画面がよく揺れていた。でもそれが妙な臨場感を演出している。
家の中に入る前の重元さんが、みんなの前で片腕を突き上げる。次に映ったのは、重元さんが地下室で命からがら白衣の集団から逃げるシーンだ。そして、雨の中で「ツクヨミ財団が諸悪の根源だ」と訴える品之丞先生の姿が映る。最後は、重元さんが落雷に打たれるシーン……。
……なるほど。この映像だと、ツクヨミ財団がまったくの無実だと思うのは難しい。火のないところに煙は立たないというし、何よりこんなに凄惨な死は何らかの形で報われるべきだと思ってしまうからだ。
だけど、この動画には違和感がある。
「これ、誰が撮影したんですか?」
他の映像はともかく、地下にいた重元さんを撮影できる人は外にいた人ではまず不可能だろう。もちろん、落雷のシーンも。それこそ全体を俯瞰する特殊能力でもないと撮影できないはずだ。
そしてそれができる人がいることも、僕は知っていた。
「これから向かう先にいる男だよ」
曽根崎さんは頭の上で親指と人差指を使って丸を作ってみせた。種まき人の幹部が与えられる能力とされる〝見下ろす目〟の比喩だろう。〝見下ろす目〟ならば、こういった映像を撮り共有できるのかもしれない。
「これから私と君は、その男に会いに行く。もしかすると君の脳に居座る〝解読者の知識〟が君に何かを見せるかもしれない。その場合はどんどん教えてくれ」
「わ、わかりました。でも、危険はないんですか? 見下ろす目を持っているんだったら、それを通して僕らのことが種まき人側に筒抜けになると思うんですが」
「一応対策はしてある。どこまで効果的かはわからんがな」
「対策って?」
「男に目隠しをしたり、耳栓をしたり、頭にアルミホイルを巻いたり、電磁波を通さないと評判のガウンを着せたり」
「一気に不安になりました」
「あと、これを身につけておけ。このペンダントを首からさげておくだけで、世界中の電磁波は君を避けて通るだろう」
「いらねぇ」
そうは言うものの、一応ペンダントは装着した。今この瞬間にも僕はこのペンダントに守られているはずだが、案の定何も変化ない。事が終わったら速攻で捨てようと思う。いや、フリマサイトに出品するほうが有益か。
「……やっと種まき人の尻尾を掴めそうなんだ」
窓の外に目をやり、曽根崎さんは言う。
「君は解読者の知識を取り入れてしまい、既にそのことを司祭に知られている。このまま手をこまねいていれば、必ずいつか君はやつらに奪われるだろう。その前に……」
だけどその続きは、タクシーが止まったことで聞けなかった。「着きましたよ、お客さん」運転手さんの声に僕は身を乗り出し、曽根崎さんのカードで代金を支払う。
空には、まだ分厚い雲がかかっていた。





