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続々・怪異の掃除人  作者: 長埜 恵
第9章 破滅は弱者の顔をして
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39 理想

「人類の選別? また荒唐無稽な妄想を持ち出してきたものだ」

 対する田中さんは、皮肉めいた笑みを覆った手の向こうに隠した。

「一体いつのまに、君は人を選別できるほど上等な人類になったんだい?」

「誤解ですよ。〝この世界に上等な人類などいない〟。以前あなたとの対談で至った結論を、どうして私が蔑ろにしましょう」

「おや、てっきり忘れているものだとばかり」

「まさか。他ならぬあなたとの時間だったのに」

 この品之丞先生の一言だけは、他の言葉と少しだけ温度が違うように思えた。でも、すぐに元の凛とした態度に戻る。

「ですが、上級な人類はおらずとも、下等な人類はいるのです」

 苛烈な差別主義者と捉えられてもおかしくない発言である。何にせよ、人類を選別するだなんて普通じゃない。

 だからこそ、品之丞先生の視線が今一度僕に向いた時、僕も下等存在の一人なのかと身構えたのだ。

「竹田さん」だけど、品之丞先生から出てきたのは、むしろ慈しみに近い優しい声だった。「あなたは、人生を幸福に生きていくにあたり、何が必要だと思いますか?」

「幸福に生きていくにあたり、ですか?」

「ええ。正解はありません。思うがまま教えてください」

 思わぬ質問に面食らいながらも、少し時間をかけて考えてみることにした。曽根崎さんをちらりと見る。意外にも視線が合った。でも、僕の答えが気になるというよりは、品之丞先生の問いの真意を測りたいのだろう。

 光の届かない夜の隙間のような目に、心の中で問いを投げる。――僕が幸せに生きていくためには、何が必要か。

 お金だろうか。

 友人だろうか。

 信念だろうか。

 自由だろうか。

「……難しいなら、こう考えてみてください」

 答えに窮する僕に、品之丞先生はゆったりと言う。

「あなたは、何を奪われようとした時に、力の限り抵抗するでしょうか? 他の全てを踏みにじられたとしても、絶対に手放したくないとなおも声を荒げられるものは何ですか?」

「それは」

 そう言われ、ある名前が口をついて出てこようとした。けれどそれは結局喉のあたりで留まり、迷い、腹の中に戻っていってしまった。

「……僕が思いついた答えを、どんな汎用的な言葉で表現すればいいのかわかりません」

 うつむき、言葉を選びながら答える。

「でも、あえて言うなら……人との繋がりなんじゃないかなと思います。僕に優しくしてくれる人だったり、一緒に笑ったりできる人だったり……。そういう人がいる人生なら、僕は幸福に生きていける気がします」

「人との繋がり……なるほど」

 品之丞先生は、嬉しそうに微笑んだ。

「素晴らしい回答ですね。人の尊さを知っている方でなければ、とてもそのようなことは言えませんよ」

「え? えっと……」

「ゲンマが竹田さんに親しみを抱いた理由がわかります。あなたはとても愛情深い方なのですね」

 褒められてつい口元を緩めてしまったけれど、なんで褒められたかがわからない。ひとまず照れていた僕だったが、続く品之丞先生の言葉に背筋が凍った。

「……そう。人は、愛によって互いに培われるべきなのです。選ばれるのは、あなたのような人でなければならないのです」

 見ると、品之丞先生の真摯な瞳が、僕を見つめていた。

「善良なる人を苦しめる者がいます。愚かな根拠で加担する者がいます。思い上がり、足を引っ張り、間違いを認めず、あるいは罪悪感すら抱かず、うすら笑いながらのうのうと害悪を撒き散らす者がいます。もちろん、人が構築する社会ですから、法で裁くべきなのでしょう。けれどご存じのとおり、現状全く追いついていないと言わざるを得ません。こうして今私達が話している間にも、悪人は自らが傷つけた無辜の人々を見下ろし、せせら笑っているのです」

「品之丞先生……」

「私が政治の道を志したのは、ともすれば食い物にされるような優しい人々が安心して生きていける社会を作るためです。ですが、数十年かけてわかったのは、私が及ぼせる影響の小ささだけ。このままでは、到底理想社会の実現に間に合いません。いえ、たとえ何百年かけて善意のバトンを繋ごうと、悪意の種が蒔かれ続けている限り、そんな日は訪れないのかもしれません」

「――だから、種まき人を頼ったと?」

 尋ねたのは、田中さんだった。冷ややかな声だった。

「ええ」けれど、品之丞先生は怯まない。「種まき人と関わる中で、私は確信しました。この組織が持つ真実さえあれば、私が描いた理想の社会を実現できると。日本のみならず、地球という星が、当たり前に愛情を分け合い、互いを補い合える優しい人々のための楽園になれると」

「地球ぅ? これはこれは壮大な計画を立てたものだ!」

 ついに田中さんが声を立てて笑ってしまった。だけど本当はひとつも面白くなんてないのだろう。真顔に戻ると、どっかりとソファの背もたれに身を預けた。

「つまりなんだい? 君は、君が下等と判断した人達全員を片っ端から切り捨てて、善人星を作ろうって考えているのかい」

「そのとおりです」

 品之丞先生の姿勢は崩れない。

「私はある基準に従い、この星に下等人類の死体の山を積み上げようと考えています。審判を越えた人類のみで、理想郷を築き上げるのです」

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【書籍化情報】
怪異の掃除人・曽根崎慎司の事件ファイル(宝島社文庫)
表紙絵
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― 新着の感想 ―
スケールがでかいなぁ
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