36 四者の目的
曽根崎さんの言葉に、僕はいよいよ額を片手で押さえた。――何がなんだかわからない。品之丞先生が事件の黒幕で、ツクヨミ財団すら彼女に嵌められて、挙句の果てに重元さんが落雷で命を落とす動画がSNS上で拡散されただって? 急展開にもほどがある。アマチュア小説か?
「そういえば、このたびの私は景清君に対して説明不足気味なんだった」ふと思い出したように曽根崎さんが言う。「ついさっきまで反省していたのにな。姦しいジジイがやってきたせいで、すっかり蹴散らされてしまった」
「誰がジジイかね。年金だって引き上げられているんだ、まだまだ社会的戦力だぞ僕は」
「姦しい点は否定しないんですか」ついツッコんでしまった。
「とにかく景清君、お茶はいいからこっちへ来なさい」
「は、はい」
曽根崎さんに言われたとおり、彼のデスクの近くへ向かう。やはり近くで見た今の曽根崎さんは、どんな人懐っこい子犬も尻尾を巻いて逃げ出すようなおっかない形相をしていた。
「順を追って説明しよう」
曽根崎さんの長い人差し指が空中で揺れる。
「まず、この事件のスタート地点についてだ。〝自分の命を守ってほしい〟という重元氏の依頼が事の発端だが、実はこの時点で四者の思惑が絡んでいたと言っていい」
「四者の? えっと、重元さん本人と、曽根崎さんと……」
「弁爾氏と品之丞氏だ」
曽根崎さんはパソコンを脇にどけてちょっとしたスペースを作ると、そこにメモ用紙とインクボトルと万年筆と一本差しのペン立てを置いた。
「一人ずつ話していくのがいいだろう。まず、重元氏」メモ用紙が動く。「彼の望みは、命を狙われる環境から逃れて平穏に過ごすことだった」
「あの態度で?」
「その疑問はもっともだが、あれも弁爾氏に扇動されたところが大きい。事実、全てのインターネット環境を遮断して私が監視した彼は、最初こそ落ち着かない様子だったものの、一週間の後半にもなると穏やかで親切な一面を覗かせることがあった」
「デジタルデトックスに成功している……。あれ、じゃああの一週間に更新されていたSNSは?」
「弁爾氏が書き込んでいたものだ」今度は万年筆が動いた。「弁爾氏の目的は、重元氏と彼の支持者の扇動。それにより社会的混乱を引き起こし、自らが所属する種まき人内での影響力を大きくすることだった」
「やっぱり、弁爾さんは種まき人だったんですね」
僕の脳内に蘇ったのは、地下室で見た弁爾さんの恍惚とした笑顔。『私の望みは、ただひとつ。〝教祖の破滅〟という悦楽を〝あの方〟に見せることなのです』。〝あの方〟とは、種まき人の司祭を差すのだろう。
「……弁爾さんは、種まき人の中で偉くなるために、重元さんに近づき利用したという理解でいいですか?」
「ああ。それと、一定数の支持者を根こそぎ横取りするためかな。君も地下室で白衣の素人集団を見ただろう。あれは、弁爾氏が以前破滅させた女性インフルエンサーを熱心に誹謗中傷していた人々で構成されていた」
「そうなんですか? っていうか、その女性インフルエンサーって、重元さんより前に曽根崎さんにメールをくれた人ですよね? 二人とも弁爾さんと繋がっていたんですか」
「うむ」
「もしかして、曽根崎さんが重元さんの依頼を受けた理由はそれです?」
「いや、弁爾氏の件はあとで知ったことだ。だが依頼を引き受けた理由は、種まき人の情報を掴むためで間違っていない。銀色の脳というワードを知っている重元氏なら、どこかで種まき人と繋がりがあるだろうと推測できたからな」
ペン立てが動かされる。その曽根崎さんの指の動きを、僕は複雑な胸中で見ていた。
「……それじゃあ曽根崎さんは、かなり早い段階で弁爾さんが種まき人だとわかっていたんですか?」
「疑惑を抱いたのは早かった。種まき人の拠点に案内したのが他ならぬ弁爾氏であったこともそうだし、彼がいる場所でしか重元氏の銀色の脳センサーが反応しなかったのもそうだ。もっとも、当初こそ、逆に弁爾氏が種まき人に敵対する者かと考えたこともあったがな。行動が愉快犯のそれだったために種まき人であろうとふんで調査した結果、弁爾氏が以前女性インフルエンサーと関わりがあったとわかったんだ」
「だとしたら、弁爾さんが重元さんの命を狙っているのも、とっくにわかってましたよね?」
僕の問いに曽根崎さんの指先がぴくっと動いた。それを見ていながら、僕は胸に渦巻く奇妙な感情を吐き出しておきたかった。
「つまり曽根崎さんは、依頼どおりに重元さんの命を守る気はなかったってことですか?」
「景清君……」
「確かに重元さんは、僕から見てもインターネットや現実世界にまたがり人を傷つけるろくでもない大人でした。人間のクズだと思います。でも、見殺しにすべきかと言われたら、僕は……」
「待て。聞いてくれ、景清君。君は誤解をしている」
曽根崎さんの声に焦りが滲んでいるように聞こえて、僕は慌てて口をつぐんだ。瞳孔との境目もわからないほどの真っ黒な瞳に、不安そうな顔をした僕が映っている。
曽根崎さんは口を開いた。
「私が、これはもう見捨ててもいいかなと割り切ったのは重元氏だけじゃない。弁爾氏もだ」
「もーーーーーーーーー!!」
「不可抗力だろう。なぜなら彼らは種まき人に目をつけられていた。破滅はほぼ確定的だったんだ」
呆れる僕の前で最後の文房具が動かされる。最後の一人を示す、メモ帳だ。
「品之丞氏。彼女が種まき人の一員だとすれば、かなり高い地位にある。現役の政治家だしな。その早急な動きから見るに、以前から重元氏らに目をつけていたと考えていい」
「……曽根崎さんは、どこで品乃丞先生が種まき人と関わっていると思ったんですか?」
「今のところ状況証拠しかなくて恐縮だが、あの家屋で電波妨害が発生しているとわかった時点で弁爾氏以外の種まき人が絡んでいるだろうと推測していた。生配信をしなければならない弁爾氏が、そんなことをする道理はないからな」
「つまり、電波妨害をしていたのは弁爾さんじゃない種まき人だと? 何の目的で?」
「そこで起きた出来事を利用したかったのだろう。現に、家屋で扇動に加担し、重元氏の死の瞬間にもいた男――あれも種まき人である可能性が高い」
「僕の傘を持っていた人ですか?」
「ああ、そうなのか? なぜ君の傘を?」
「わかりません。弁爾さんにお渡ししたはずだったんですが」
「ならば、ますます男が種まき人である可能性が強まるな。おそらく、弁爾氏は君と会った直後にその男と会っていたのだろう。君の傘は、その時に譲渡された」
「……」
僕の知らないところで、人が動いている。それは当然なのだけど、あまりにも把握できていないことが多くて頭の中がこんがらがっていた。
いや、こういう時こそシンプルに考えないといけない。そう、僕はまだ品乃丞先生の目的を知らないのだ。そして曽根崎さんならその答えをくれる。
「曽根崎さん、それでどうして品乃丞先生はそんなことをしたんですか?」
「うむ。彼女の目的は、重元氏の支持者の横取りだと私は見ている」
……もっと頭がぐちゃぐちゃになってしまった。
弁爾さんもそうだけど、重元さんの支持者って色んな人に狙われていないか? そもそも品之丞先生が重元さんの支持者を横取りしようと狙ったとして、それがうまくいった結果がツクヨミ財団への謂れなき誹謗中傷というのも理解しにくい。脈絡が全然ないように思える。
「君の困惑は当然だ」
僕の状態を察するのが早い曽根崎さんが、呟くように言う。
「だが安心しろ。そんな君と哀れなる渦中にいるジジイのために、今日は特別ゲストが訪ねてくる予定だ」
「特別ゲスト?」
「ほら、呼び鈴が鳴っているぞ。応対して茶を出してくれ」
いきなり人使いが荒いが、僕の仕事である。特に文句もなく、呼び出し音に応じてインターフォンの画面を覗き込んだ。
瞬間、そこにいた人物に息を飲んだ。
品之丞信子。もう一人の渦中の人物が、ざらついたインターフォン映像の中で微笑んでいたのである。





