24 種まき人の影
「単刀直入に言おう。今回の事件には、黒幕がいる」
曽根崎さんの言葉に、僕は「でしょうね」と返した。
『給餌は、一週間程度に一度。
必ず人間の肉を成人一体分与えること。子供の場合、二体から四体に増やすなどして調整。
与えられた呪文を活用すること。
被験体のエネルギー不足に気をつけること。機能不全に陥る恐れあり』
漆黒のカードに書かれていた文言である。あれは間違いなく誰かから指示されたもので、そしてその指示をした誰かは呪文についても言及していた。
ならば、ここから考えられることは――。
「今回の黒幕は、呪文を与えることができる者……。つまり、黒い男が関わっていると見ていいんですね!?」
「いや、そうとは言い切れない」
「違うの!?」
嘘だろ、絶対そうだと思ってたのに。
黒い男とは、曽根崎さんと因縁のある謎の男の呼び名である。底知れぬおぞましい力を使うことができ、『玩具の試練』と称して目をつけた人をいたぶっては楽しむ悪趣味な野郎だ。
そんな奴と契約し、“玩具”たる資格を得た者には呪文を与えられる。曽根崎さんもその一人で、だからこそ奴がまたちょっかいをかけてきたんだと思ったのだけど……。
「違うんですか?」
「うん。黒い男と契約しなくても呪文は得る方法はあるからな。本とか」
「な、なるほど」
「とはいえ、奴が黒幕で無い根拠は他にあるが。まずはこちらをご覧頂こう」
そう言うと、彼はノートパソコンの画面をこちらに向けてきた。妙に判然としない映像から判断するに、どうやら監視カメラの録画らしい。
「何です、これ。どこを映してるんですか?」
「ビルに突入する直前に寄った居酒屋。あそこの入り口に設置されているカメラだ」
「へぇ」
「そこの店主が結構な変わり者でな。店の前でいざこざが起きたら必ずその映像を残し、後で晩酌の肴にするそうだ」
「変わり者過ぎる上に、何かしらの法に触れてそうですが」
「バレなきゃ犯罪じゃないから」
「で、それがどうしたんです?」
「まあ見ててくれ。これは一ヶ月半ほど前の映像なんだがな」
再生ボタンを押すと、向こうからガラの悪い男の人が歩いてきた。そして、手前から来たスーツの男性とすれ違いざまに肩をぶつける。だけどスーツの人が謝りもせず行こうとしたことで、男はカチンときたらしい。いきなりスーツの人の胸倉を掴むと、凄み始めた。
と、ここで僕はある事に気づく。
「あれ……。ねぇ曽根崎さん。このガラの悪い男性って、行方不明のヤクザの方ですか?」
「ああ、まさしくその通りだ。だがそれだけじゃないぞ。相手のスーツの男を見てみろ」
「……ん? この人もどこかで……」
「名は、真日留沢朗という」
「え!?」
画面に食いつく。……確かに、少しやつれてはいるけど、曽根崎さんに見せてもらった写真の男性にそっくりだ。いや、でも……。
「おかしくないですか? だって、僕らがビルで彼を見つけた時には既にバケモノの姿になってたじゃないですか」
「そうだな。ってことは、あのビルにいる間に変異したんだろう」
「ど、どうして?」
「そこまでは知らん」
それもそうか。ひとまず、引き続き映像を見ることにする。
ヤクザの人は、まるで人形みたいに無抵抗な真日留さんを連れて画面外へと消えた。多分、ビルに向かったんだろう。
「これで終わりですか?」
「いや、まだだ。むしろここからが本番だよ」
映像が早送りされ、ある場所で一時停止する。
「ここだ。見てみろ、景清君」
「見てみろったって、そんな変わったものは……あ!」
思わず声を上げる。荒い画質の隅っこにいたのは、モーニングコートを着た小太りの男。
そして、僕はこの男を知っていた。
「『種まき人』の司祭……! なんでここに!?」
「そりゃあビルに用事があるからだろう」
「じゃあ事件の黒幕ってまさか……!」
「ああ。私と田中さんは、『種まき人』だと睨んでいる」
――宗教団体『種まき人』。二十年前に潰れた過激なカルト教団であり、二年前に復活してからは慈善事業を中心として活動している団体だ。けれど、それはあくまで表の顔。実態は怪しいもので、それこそ人に寄生し命を奪うような恐ろしい植物を作っていた疑いも浮上しているぐらいだった。
そして、そのトップにいると言われているのが、この司祭と呼ばれる男だったのである。モーニングコートを着た背の低い小太りの男で、首に六本の線によって囲まれた目の刺青が彫られている。経歴不詳で神出鬼没、なんとも掴みどころが無い印象だ。
「でも、なんでその種まき人が関わってるんですか?」
「分からん。だがかつて研究施設を持っていたアイツらなら、脳もどきの製造にも関わってる可能性が高い。『種を蒔き、収穫する』。奴らの信条だが、結局ロクでもない目的なのは間違いないな」
「ど、どうしましょう。そんな奴ら、野放しにしちゃいけませんよね?」
「といっても、確たる証拠も無いんだよな。一応、既にツクヨミ財団は動いてるが……」
「……」
なんか、頭の中がぐるぐるしてきた。……えっと、つまりまとめるとこういうことか?
まず、種まき人が何らかの目的で真日留さんの脳を脳もどきに入れ替えた。そして脳を入れ替えられた真日留さんが何故か繁華街を歩いていた所、ヤクザの人に絡まれビルに連れ込まれた。で、その人を食べてしまった真日留さんを追ってビルを訪れた司祭は、何かしらの理由により犯人に呪文を与え彼の管理を任せたと……。
いや、不明点が多過ぎるな。っていうかこれではむしろ――。
「なんか……行き当たりばったり過ぎません……?」
「それなんだよなぁー」
はぁー、と曽根崎さんが肩を落とす。
「君の言う通り、この事件は何から何まで場当たり的なんだよ。ともすれば、消えた犯人までもが事件に巻き込まれたかのような無計画ささえある。
何が起こったのか。何が起こっているのか。何が隠されているのか。情報が足りないこともあって、考えていると酷く脳が煮えてくる」
「おお……」
「だからもう、次の情報が入ってくるまで私は推理を中断することに決めた。君もあまり考えすぎるなよ」
「考えるも何も、曽根崎さんに分からないことが僕に分かるとでも?」
「それもそうか」
「この野郎」
言い出したのは僕だが、肯定されると腹立つな。
「……そういえば」
「なんだ?」
けれど怒る代わりに、ふと思い出したことを尋ねてみた。
「曽根崎さんが僕を事件から外そうとした理由って、結局何だったんですか?」
「は」
口を開けたまま、オッサンが固まる。おい、まさか忘れてるんじゃないだろうな。
「いや、アンタが言ったんじゃないですか。今回の事件、僕がいると苦しい結果になるって」
「あー、あれか。そういやそんなことも言った気がするな」
「マジで忘れてた時の反応ですね」
「まあなんというか、そこまで大きな理由じゃないんだよ」その割には気まずそうにそっぽを向いて、彼は言った。
「あの時点で、私は犯人が存在感を操れると推測できていた。だが、君はそんな犯人を視認できてしまったろ? そうなりゃ必然、私に同行すれば犯行現場なども直接見てしまいかねない」
「は、はい」
「それは君の精神衛生上、良くないと思ったんだ」
「……ふーん」
「納得できないか?」
……できないことはない。でも、まだ微かな違和感が拭えないでいたのだ。かといって、どこがどう変なのかも上手く言えないのだけど。
「……理由か」
しかしだんまりを決め込んでいると、沈黙に耐えかねたらしい曽根崎さんがぼそりと呟いた。
「そうだな。君に潰れられると困るから、と言えばいいだろうか」
「はあ」
「いや、うん、私は君を心配したんだと思うよ。事件に関わることで、君が消耗するのを避けたかった」
「……」
「……それは、理由にならないだろうか」
――これで、曽根崎さんが優しく微笑んでいれば僕も納得できたのかもしれないが。実際は言葉を選びに選びまくっていたらしく、もうものすごい形相になっていた。
やっぱ何か隠してんな、コイツ。
「……分かりましたよ。これ以上は聞きません」
だから仕方なく、僕が折れてやることにしたのである。
「その代わり、必要以上に僕を庇護するのはやめてくださいね。僕は大丈夫ですから」
「分かった」
「あと、変にごまかさないこと」
「別にごまかしては」
「どの口が言う。アンタ結構分かりやすいんですよ」
「ぐ」
不満げに顔を歪めたが、スルーする。ちょっと子供っぽい人なんだよな。
窓の外に目をやる。すっかり日は暮れ、辺りは暗くなってしまっていた。
……今日も一日が終わる。けれどそのささやかな感傷は、バンバンと机を叩く音に遮られた。
「なんですか、どうしました」
「もう六時半だというのに、君がまだ夕食を作る素振りを見せない。よって催促している」
「だからって机叩くなよ。チンパンジーか」
「チンパンジーか。いいよな、アイツらは。決まった時刻にメシが出てくるんだから」
「はいはい作りますよ作りますよ。だから羨ましがるな、動物園のチンパンジーを」
「よしよし」
わがままな三十一歳独身男性の要求を一身に受け、キッチンへと強ばった足を動かす。
さて、そろそろ僕も気持ちを切り替えるべきだろう。どうせ平和な時間なんてごく僅かだし、きっとまた明日にも怪異が舞い込んでくるに違いないのだから。
「今日の夕食は何だ?」
「よくぞ聞いてくれました。リンゴとバナナです」
「チンパンジー扱いをやめろ」
「天井から吊り下げておくんで、棒と踏み台をうまく使って取ってくださいね」
「チンパンジー扱いをやめろ!」
いつも通りのやりとりに、彼に分からないようフフッと笑う。未解決の問題は山積みだし、百点満点の幕引きとはとても言えないけれど。でもこれ以上人喰いスナックの犠牲になる人はいないわけで、僕の通帳残高はまた跳ね上がるわけで。
それに、なんとなく今日はよく眠れそうだと。変わらないぼさぼさ頭の彼を背にし、僕はそんなことを思っていたのである。
第1章 人喰いスナック 完





