28 成功者の影を舐める者
重元の支持者が集まる表玄関は避け、家の裏へと回る。曽根崎は手慣れたものだが、ゲンマにとっては良心の呵責に苛まれる行動だったらしい。明らかに動きが鈍くなった。
しかし当然曽根崎は無視する。
「ふむ、こうも内側からしっかり施錠されているとなると侵入は難しいな。君、ひとつこの窓枠を外してくれ」
「!?」
ゲンマはぶんぶんと首を横に振って拒否した。曽根崎は面倒くさそうに頭を掻く。そこら中に水滴が飛んだ。
「事の緊急性を把握していないと見えるな。君が懇意にしている竹田景清は今、重元氏及び弁爾氏と共にいる可能性が高い。これが何を意味するかわかるか?」
「?」
「この家屋は、重元氏を破滅させるために弁爾氏が用意した舞台だ。そこにうっかり第三者が現れたらどうなる? 当然逃がしはしないだろう。余計なことを喋られては敵わんからだ。ならば最適解はひとつ。連れて行くしかない」
「……」
「繰り返すが、ここは弁爾氏が用意した破滅の舞台だ。そこに連れて行かれた第三者が、無事に帰れると思うか?」
曽根崎の言葉はそこで終わらなかった。次いで彼の口から落ちたのは、人が理解できる範疇を超えた狂気的な音の羅列。それがゲンマの耳に届いた瞬間、ゲンマの体は窓へと向かっていた。
太い指が窓枠に添えられる。ミシミシと音を立てて壁に指がめりこんでいく。そして完全に窓枠を握り込んだゲンマは、ごぼっと窓を丸ごと取り外した。
「ご苦労」
パチンと指が鳴り、ゲンマはハッと我に返る。雨の向こうに立つ曽根崎は、荒い息を抑えながら唇を曲げて笑った。
「行くぞ。時間が惜しい」
ゲンマが心を決めるより先に、不思議と彼の足は家屋へと向かっていた。
「――僕なら、この状況をもっと面白くできますよ。教えてあげましょうか?」
ぼんやりとした明かりと重元さんの悲鳴に満ちた部屋。そこで僕は今、弁爾さんと対峙していた。機転をきかせ、どうにか弁爾さんの気を引くことには成功した僕だったが――。
これより先の策は無……!!
よって今から考えないといけない。早急に。一刻も早く。弁爾さんも納得でき、重元さんを助けられる奇想天外な策を……!
「……どうしました?」弁爾さんが僕を気遣うような声色で言う。「演出はタイミングが命。あまりあなたの話に時間をかけるわけにはいかないのですが」
「大丈夫です。僕の話はすぐ済みます」
何か言え。思いつけ! もうなんでもいい!
「弁爾さん」
僕は、咄嗟に頭に浮かんだことを口に出した。
「悪役が死んで終わる話というのは、ちょっと時代遅れじゃないですか?」
「はい?」
「弁爾さんは、重元さんを悪役に見立て、彼の破滅でもって終わりにしようとしているんですよね? そしてその一部始終を〝あの方〟に見せようとしている。でも、最近は悪役が改心する物語のほうが好まれているんですよ」
「……根拠は?」
「根拠? たとえば、えっと……昔話のかちかち山だって、本来なら最後タヌキが池に沈められるところを最近はうさぎに助けられて改心し、ハッピーエンドの大団円を迎えていますし」
「……」
「その……破滅エンドは、後味が悪いです。読後感も最悪です。〝あの方〟が尊敬できる人なら尚更、僕と同じことを思うと……思うんですが……」
説得力が死んでいる。どんどんしどろもどろになっていく。わかっていた。〝あの方〟が僕が想像しているとおりの人なら、おそらく弁爾さんの用意したシナリオのほうが好みだと。
自分の体たらくに情けなさが募る。なんで僕、こんなにダメなんだ。
「もういいです、竹田さん」
ぴしゃりと断言され、僕の肩が跳ねた。恐る恐る見た弁爾さんの表情に息が止まる。彼は、心底失望した顔をしていた。
「どんな興味深い話が聞けるのかと思いきや、底の浅い一般論だとは。いえ、一般論ですらありませんね。あなたが語るのは、〝善なる者はこうあるべき〟という理想論に過ぎません」
バリカンの機械音が止む。だけど重元さんの悲鳴はより大きくなった。ついに白衣の者の手が電動ノコギリに伸びたのである。
「やめろ!」
咄嗟に僕は白衣の人を振り切って重元さんの元へ向かおうとした。しかし呆気なく背中を押され、床に押さえつけられてしまう。チクショウ、最近こんなんばっかだ!
「誰しもが暴力的で醜悪な娯楽に飢えています」
暴れる僕を眺め、弁爾さんは言う。よく通る、はっきりとした声で。
「地位も名誉も金もあり、褒めそやされながらふんぞり返る者を人は成功者と呼びます。ですがどれほどの者が気づいているのでしょうか。その足元で、勝手に敗北した者達が粘っこい目で見つめていることを。その者たちが寝る間も惜しんで成功者の影を舐め、ああなんて苦いのだ、どうか転んでしまえと嘆いていることを」
弁爾さんのカメラのレンズは、泣き喚く重元さんから離れない。
「だからこそ成功者は最高の娯楽の種となるのです。私は成功者に寄り添います。全てを包んであげて、一番の理解者となって、私なしでは生きられないようにするのです。そうして私の肯定で膨れ上がり、私が誘導する挑発的な発言で周りからの注目を集め、かの者が成功者として最も価値が高まった時に――」
「敗北者たちの前で、一気に落とすのです」
電動ノコギリが唸る。重元さんは号泣しながら枯れた喉で叫んでいる。痩せているわけでもないのに、その顔は骸骨のようだった。
「やめろ! やめろ!! ダメだ!!」
重元さんに迫る刃に向かって声をあげる。だけど実際は何も言えず顔面蒼白のまま見つめるだけだったかもしれない。確かなのは、今から重元さんの身に起こることから目を逸らさないでいるのが、自分の罰だと思ったことだけだった。
何もかも行き詰まっていた。僕の行動は無駄だった。二人についてきたところで、何も止められなかった。そう思った次の瞬間。
大きな黒い塊が、階上から転がり落ちてきたのである。





