25 嘘をついていた
〝いやだ〟。重元さんの口がそう動いた。だが動いただけで、肝心の声は外からの歓声にかき消されてしまった。
愕然とする重元さんを無視し、弁爾さんは僕にカメラを預け、段ボールを動かす。引き戸がはっきりと姿を現した。取手に手を引っ掛ければ音もなくすんなりと開き、それでこのドアは今でも頻繁に使われているのだと僕は察した。
湿っぽい空気が鼻腔をくすぐる。見下ろした中は暗いが、懐中電灯で照らす限り階段はコンクリートで固められ崩落の心配はないように見えた。
「行きましょう」弁爾さんが重元さんの背中を押す。「先生が暴き、止めるのです。〝こどもの希望を守り続ける会〟の陰謀を」
〝いやだ〟。また重元さんの口が動いた。
「ええ、先生、先生」だが弁爾さんの声は、質量をもって重元さんを地下に押し込んでいく。「あなたは特別な方です。そこらの凡百とは違います。銀色の脳を感知し、選別ができる……いわば選ばれた存在なのです」
〝言うな〟
「弱い私達には先生しかいないんです。先生だけが光であり、正しい道を示してくれるのです」
〝やめろ〟
「先生! 私達はどこまでもついていきます! どうかあなたの手で悪に鉄槌を!!」
〝それ以上言うな――!〟
――重元さんの足が、地下室に向けて一歩、また一歩と進み始めた。彼の顔色は死人のように真っ青で、唇は震えている。なのに、再び弁爾さんの手に戻ったカメラに向けて、重元さんは右の手を裏側にして掲げてみせたのだ。
重元さんの逃げ道はなくなった。弁爾さんが向けるカメラと言葉によって、全て潰されてしまった。
「ありがとうございます、先生、ありがとうございます」一気に十歳以上老けたような重元さんに、弁爾さんは何度も頭を下げる。満面の笑みを浮かべながら。
その笑みを見た瞬間、また僕の胸に言いようのない不快感が込み上げたのだ。同時に僕の頭の中に蘇ったのは、公園で見た幻覚。
無限に続く人間の列。ハンコを押したような笑顔。
今の弁爾さんの顔に張りついたものは、それとまったく同じだった。
「……!」
その時、ようやく僕の頭の中で違和感の点と点が繋がったのだ。重元さんと弁爾さんは階段を降りていく。今なら僕は二人の目を盗んで逃げられるだろう。でもそれは、お金で釣られたふりをしてこの二人についていく時に決めたことと反した。僕は懐中電灯を握り直し、彼らのあとに続いた。
「弁爾さん」
覚悟を決めて、口を開く。弁爾さんは足を止めない。それどころか返事すらない。
「弁爾さん。あなたは、嘘をつきましたよね」
僕が言い終える直前、弁爾さんがカメラを操作したのが見えた。無音撮影に切り替えたのだとしたら、きっと弁爾さんから反応が返ってくるのだろう。
「それは言いがかりですよ」案の定、弁爾さんは困った声で言った。後ろから照らされる懐中電灯の明かりに、頬の痣が浮かび上がる。「私には取り柄らしい取り柄などありませんが、忠実さにだけは誇りを持っているのです」
「だったら曽根崎さんに説明したことはなんだったんですか? 重元さんがシェルターを脱走したのは、〝こどもの希望を守り続ける会〟の拠点をゲリラ撮影したいからだと言っていましたよね」
「え?」振り返ったのは弁爾さんではなく重元さんだった。「どういうことだ? 撮影? 俺は、そんなこと一言も……」
「ああ、なんだ。竹田さんはその件で私を嘘つき呼ばわりしてらっしゃったのですね」重元さんの困惑に、弁爾さんの弁解が割り込む。
「誤解ですよ、竹田さん。あれは曽根崎様を一時的にごまかすための方便に過ぎません。おわかりでしょう? 曽根崎様は我々の立場につけこみ、法外な料金を請求してきました。そんな彼の目を欺くには、ああ言うしかなかったのです」
「ついた嘘はそれだけじゃありません。あなたは、重元さんを国外逃亡させるつもりなんてないにも関わらず、それをチラつかせて重元さんをシェルターから脱出させた」
ついに重元さんの足が止まった。おのずと弁爾さんと僕の足も止まる。重元さんは、段差二つ分上にいる弁爾さんを凝視していた。
「弁爾さん。あなたは最初から、重元さんにここでライブ配信をさせるつもりだった」僕は畳み掛ける。「カメラと撮影に十分なルクスがある懐中電灯を持っていたのも、今思えば用意がよすぎます。それに、SNSだってよく考えればおかしい。重元さん、この一週間あなたはSNSを更新しましたか?」
「い、いや……俺はやっていない。SNSどころかインターネット環境にすら触れていない」
「そうですよね。重元さんは以前から電磁波攻撃を受けており、電波傍受による場所の特定も恐れていた。本気で逃げている人が、せっかく逃げ込めたシェルターからそんなことをするとは思えません」
――ならば誰がSNSを更新していたか? 挑発的な文章で支持者の勢いを煽り、ライブ撮影を宣言し、その場所を大衆の目に晒したのは……。
「弁爾さん。この状況は、全部あなたが誘導したことなんですね?」
だがこの言葉を発した次の瞬間、僕の腕は掴まれ前へと引き倒された。視界がひっくり返る。僕の体は、階下に向けて真っ逆さまに落ちていった。





