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続々・怪異の掃除人  作者: 長埜 恵
第1章 人喰いスナック
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23 脳もどき

「脳が、無かった……?」

「そう。脳幹を残して、あとは丸々脳が取り除かれてた。一応、頭がぶっ飛ばされても一年以上生きた鶏っつー例はあるけどね。人間だと話が違う。脳を丸ごと取り除かれちゃ、基本生きてかれねー」

「え、じゃあなんであの人は動いてたんですか?」

「分かんね。分かんねーけど、多分原因はコレじゃねぇかなと思う」

 そう言って彼がトレイの上で見せてくれたのは、ちょうど脳を一回り小さくしたような銀色の物体だった。傷や凹みの一つも無い綺麗な表面。スチールとかアルミとかの金属に似ているけど、よく見れば表面にびっしりと細かい模様が入っている。

 僕は、ことんと首を傾げた。

「なんですか、これ」

「さぁな。だが頭蓋骨の中でプカプカしてた所を見るに、コレが脳の代わりになってた可能性は高い」

「こ、これが?」

「うん。曽根崎はどう見る?」

 烏丸先生に言われて、曽根崎さんも物体を覗き込む。しげしげと見つめるその目には、恐怖よりもむしろ興味や好奇心の色が強く宿っているように見えた。

「……呪文」

 そして彼が発した言葉に、僕はビクリとした。

「直感的な判断ですが、表面に書かれているのは呪文のように見えます。細かすぎて何の言語かは不明瞭ですが」

「やっぱりか」

「やっぱりと言うと、先生にも心当たりがおありで?」

「まあね。割っても何も無かったから、じゃあ外の模様に意味があるのかとは考えてた」

「……は?」

 先生の発言に時が止まる。だが彼は全く意に介さず、「よっこいしょ」と両手で金属を持つ。

 真っ二つに、脳もどきが割れた。

「「うわーーーーっ!!?」」

「いやー、一応レントゲンとか撮ってみたけどやっぱ中見えなくてさ。こりゃ割るしかねーわと思って」

「だだだだからって割りますか、普通!?」

「まー何も無かったし、結果オーライってことで」

「曽根崎さーん! 烏丸先生がーっ!!」

「いや……うん。烏丸先生はこういう人なんだ、マジで。私もよく忘れるけど」

 ちょっとしたイレギュラーはあったものの、なんやかんやで脳もどきは曽根崎さんが引き取ることになった。お礼を言いながら花のほころぶように微笑む曽根崎さんは、本当は心底嫌だったんだろうと思う。

 けれど彼が僕に運搬係を命じたところで、ふと烏丸先生が口を開いた。

「そうだ、曽根崎。あの例の犯人、まだ現場にいるの?」

「はい、恐らく。見えないので確証はありませんが」

「そっか」

 彼にしては珍しくため息をつく。そしてその視線は、シュレッダーへと移った。

「なら今日の帰り、花でも持ってってやるとするわ」

「おや、お優しい。ですが、彼女は見えなくなっただけで死んだわけではありませんよ」

「知ってるよ。んでも、花ってのは見てるだけでもいいもんだろ」

 シュレッダーの脇には、まだ処分されていない紙束が置かれている。今回の犯人を突き止めるにあたって、先生がまとめていた資料だ。

 ……あれから、いくら調べようとしても犯人の名前は見つけられなかった。いや、記入はされているんだろうけど、どうしてもそれを認識することができなかったのである。

「なあ曽根崎。医術も僕も、どうしたって万能じゃねぇな」

 そしてそちらを向いたままで、烏丸先生は言う。

「分かっちゃいるんだけどね。でも、取りこぼした結果手遅れになった患者を見るのは、何度やっても慣れない」

「はい」

「そんでもさ、手遅れになった患者にだって医者は必要なんじゃねぇかと僕は思う」

 感傷的な色は無かった。世間話の延長線上にて、烏丸先生は話をしていた。

「……花瓶は、安いもんでもいいかねぇ」

 そんな彼に何故だかちょっと泣きそうになった僕は、事務所で持て余している花瓶を提供することを申し出たのだった。




 こうして繁華街連続行方不明事件は、連続殺人事件として一つの区切りを迎えた。けれど公表されて大騒ぎになる前、某事務所にてある警察官が頭を抱えていたことはあまり知られていない。

「――現場検証の結果、行方不明者の血痕と骨が発見された。残念だがこれで、被害者はあのバケモノに食われたことで確定だ」

「そうか。ならバケモノ退治も済んだことだし、依頼は解決だな」

「解決……?」

 ダン、と阿蘇さんが拳でテーブルを叩く。

「どこが解決だってんだ! 犯人の一人は消えてもう一人はバケモノになって、しかもバケモノの方は行方不明になってた別の人間だと!? なんっだよ、これ! どうすりゃいいんだよ!」

「うんうん、大変だな。大変ついでにもう一踏ん張り、全ての辻褄が合う見事な物語をよしなに頼む」

「ふざけんなよ名前すら認識できねぇって何なんだよまだバケモノに食われてた方が処理ができるわ何無責任に消えてんだよ、はぁぁぁ……」

 一息に愚痴を吐いた阿蘇さんが、苦悩の嘆息と共にソファーへと沈んでいく。僕にできることといえば、せめてたっぷり甘くしたココアを彼の前に置くだけだった。

「あー、ありがとう。……あれ?」でもその際、阿蘇さんが僕の顔を覗き込んできた。

「景清君、大丈夫か?」

「え、何がです?」

「結構疲れた顔してるぞ。兄さんほどじゃねぇけど、目の下にクマもできてる」

「ほ、ほんとですか」

「うん。……どうした、最近眠れねぇのか? 俺で良けりゃ、時間取るけど」

 そう言うと、僕よりよっぽど疲れていそうな阿蘇さんは、僕のポケットの中のスマートフォンを指さした。

「夜でも気にしなくていいから、電話かけてこい」

「……ありがとうございます」

「いいよ。……でも、そうだな。これは俺だけの話じゃねぇんだよな」

 ぐいと一気にココアを飲み干す。それから「よし」と膝を叩いて阿蘇さんは立ち上がった。

「色々吐いたらスッキリした。気合い入れて、早いとこ事件を解決するとするよ。じゃあ兄さん、財団と警察で話がまとまったらまた資料送るわ」

「はいよ、頼んだ」

「おー」

 男気あふれる背中だ。軽い返事だったけど、彼は申し訳なくなるぐらい頼りになる人だ。きっともう大丈夫だろう。

 今度阿蘇さん用に甘いものでも買っておこう。そんなことを思いながら窓ガラスに目をやると、普段通りの自分がこちらを見返してきた。……これは疲れてる顔、だろうか? 案外、自分の不調って分かんないよな。

 でも、確かにこの事件にはまだ気になることが残っている。それは事実だった。

 振り返る。雇用主も察したのか、ちょうど読んでいた本を机に置く所だった。

「……そうだな。情報も出揃ってきたし、そろそろ頃合いだろう」

 彼の手には、僕があの日部屋で見つけたカード。二つに折り畳まれた、漆黒のカードがあった。

「待たせたな。ではこれより、君の疑問を解決してやるとしよう」

 ――陽は傾き、もうすぐ沈もうとしている。真っ赤な夕陽に照らされるその人に、僕ははっきりと頷いたのだった。

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【書籍化情報】
怪異の掃除人・曽根崎慎司の事件ファイル(宝島社文庫)
表紙絵
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