24 探索
弁爾さんは落ち着いた声色で、しかし淀みなく言う。
「実のところ何も問題はないのです。あの銀色の脳の集団がこんな民家に潜伏するでしょうか。一度我々に見つかっているというのに?」
「大丈夫、大丈夫なのです。外にはほら、大勢の人がいるでしょう? あれほどの人に囲まれて騒ぎを起こせるはずがありません。それに、いざとなれば叫べばいいのです。今晩ここに集まった支持者はあなたを救世主のように慕っております、すぐに駆けつけてくれるでしょう」
「まあまずは一度、ライブ配信をするのがいいかと……。無論、何もなくてもいいのです。〝こどもの希望を守り続ける会〟が自分が来るのを察知して逃げ出したと言えば、支持者はあなたの影響の大きさを再認識し感服します。何より外にいる者たちも納得し、おのおの帰宅するでしょう。そうなればあなたは英雄としてこの国を出られるのです」
「この国を出る?」
呆然と聞いていた僕だが、ひとつのフレーズに自分を取り戻した。弁爾さんに何か言われる前に、僕は重元さんに体を向ける。
「重元さんは逃げたいって言ってましたよね? それって日本から逃げ出したいってことですか?」
「あ?」
「どうなんですか」
一度は僕を威圧しようと眉間に皺を寄せた重元さんだったが、散々僕にみっともない面を見られていることを思い出したらしい。舌打ちすると、拗ねたこどものように言い捨てた。
「そうとも。俺はこの国を出る。四六時中監視されて命を狙われるなんざまっぴらごめんだからな。助けを求めようにもこの国には馬鹿しかいねぇんだ。残された時間を自由に生きるには国外へ出るしかなかった」
「監視……曽根崎さんに送ってくれたメールでもおっしゃっていましたね」
「ああ、俺にはわかるんだよ。監視されていると頭の中にキーンって音が響く。相手が銀色の脳かどうかもそれで判別できるんだ」
「じゃあ、弁爾さん越しに僕の声を聞いた時も音が鳴ったんですか?」
「そうだ。まさか生きていたとは思わなかったがな。とはいえお前は銀色の脳の持ち主なんだし、それも当然か」
「……その音、今も聞こえてます?」
この問いに重元さんはハッとした顔で僕を見た。それに覆いかぶさるようにして声を割り込ませたのは、弁爾さんである。
「重元先生、外はまだ騒がしゅうございます。こんな状態では、彼の銀色の脳の電波を感じ取ることは不可能でしょう」
「お、おお……それもそうだな、弁爾」
「では、ライブ配信をいたしましょう。準備は整っております。流れとしましては、家屋の中をひととおり歩き……怪しげな物品があれば、先生のご考察の出番というところでしょう。狭い家でございます、二十分もあればじゅうぶん記録しきれるでしょう」
「待ってください」僕は、外の喧騒に負けじと声を張り上げた。「まだ重元さんに聞きたいことがあります。残された時間って、一体どういう……」
「3、2、1、スタート」
だが僕の制止も虚しく、ライブ配信がスタートした。撮影が始まれば、重元さんは別人のように余裕たっぷりの態度で「皆様、こんばんは。重元川太郎です」と会釈をした。あまりの変わり身の早さ、こんな状況じゃなかったら僕は吹き出していただろう。
重元さんは、カメラに顔を寄せると露骨に声を落とした。
「リスナーの中には既に私の状況をご存知の方もおられるかもしれません。そう、私は今、〝こどもの希望を守り続ける会〟の重要拠点に潜入しているのです」
弁爾さんのカメラが暗い室内に向けられる。その裏で重元さんが僕に顎をしゃくってみせた。僕に、スマートフォンのライト機能を使って撮影補助をしろと言っているのだ。すっかり僕もスタッフの一員である。渋々スマートフォンを取り出し、弁爾さんが持つカメラの方向を照らした。
「一見もぬけの殻に見えますね。ですが私の目――ひいてはリスナーの目をあざむくことはできません。皆さん、少しでも違和感に気づいたらコメントに残してください。あなたの声が私に前進する勇気を与えるのです」
確認こそできないけれど、重元さんの配信チャンネルでは怒涛のコメントが流れているのだろう。そしてコメントの盛り上がりはそのまま動画の盛り上がりに繋がる。今、どれほどの人が彼の動向に注目しているのだろうか。
床が軋む音がする。人が住まなくなった家は急速に朽ちると聞くが、この家はそこまで老朽化が進んではいないようだ。
「ここも空き家です」重元さんが厳かに言う。「普通、空き家は専門機関の手により厳重に管理されます。それがなぜ〝こどもの希望を守り続ける会〟の手に渡っているのか……。そこには想像を絶する闇が隠されているのです。おお、この壁の傷を見てください! 経年劣化によるものに見えますが、そう考えて見逃してしまえば奴らの思う壺。これは仲間への暗号なのです。私が解読するに意味は……」
重元さんは家の中を巡りながら、妄想としか思えない説明を続けている。だが、重元さん本人はあまりこの内容を信じていないように見えた。むしろ荒唐無稽な解説を通じて、自らの恐怖を薄れさせているのだろう。
――“それ”が見つかったのは、重元さんがそろそろ動画を終えようかという時だった。
「重元先生、あれは何でしょう」
ずっと撮影に注力していた弁爾さんが、廊下の隅に無造作に積み上げられた段ボール箱を指差した。つられて僕もスマートフォンのライトでそこを照らす。気をつけて見てみれば、箱の裏にうっすらと隙間があるのがわかった。
あれは……扉?
重元さんも気づいたらしく、雄弁だった舌がぴたりと静止した。眼球が飛び出そうなほど大きく開かれた目は、段ボール箱裏の隙間に釘付けになっている。
「確認してみましょう……」
そう言いながら弁爾さんはカメラのレンズを重元さんに向ける。重元さんは片手を大きく振って遮った。これ以上撮影はするな、ここも調べる必要はないと伝えようとしたのだろう。
「参りましょう」しかし弁爾さんには通用しなかった。彼の声には、抑えきれないほどの興奮と恍惚があった。
「ついにこの時がやって参りました。銀色の脳たる〝こどもの希望を守り続ける会〟を、重元先生の手で直々にこの国から排除するのです」





