20 阿蘇さんの車で
「重元先生は、現場でリアルタイム配信を始める予定です」弁爾さんが曽根崎さんに言う。「そうおっしゃっていました」
「ええ、先生のSNSでも告知されていましたね。文面も、〝こどもの希望を守り続ける会〟への誹謗中傷及び名誉毀損ラインを盛大に踏み越えた印象的なものでした。その上、大まかな住所と現場の写真まで添えるとは……。急がねば野次馬が集まって面倒なことになるでしょう」
「はい。……ああ、どうしてこんなことに……」
また唸り始めた弁爾さんだが、僕としてはもう匙を投げたい気持ちでいっぱいだった。結局重元さんの行動の動機は支持者へのアピール、すなわち承認欲求に過ぎないのだろう。自分に迫っている命の危険より、過激な振る舞いで世間の目を引きつけるほうが重要なのだ。匿ってもらった一週間を曽根崎さんに返してあげてほしい。
そんな僕の思いとは裏腹に、曽根崎さんは冷静なものだ。
「とにかく現場に向かいましょう。よろしいですね、弁爾さん」
「は、はい。あの、ですが……」頬のあざに手をあてつつ、言いにくそうに弁爾さんは口をもごもごとさせる。
「もしよろしければ、私と曽根崎様は別の車で向かっても構いませんか。曽根崎様はともかく、重元先生は私がいることにいい顔をなさらないでしょう。今先生を刺激するのは、経験上得策ではないかと……」
「わかりました。では弁爾さんは、品之丞先生のお墨付きである彼が運転する車で現地へと向かってください」
「え? ……あ、しょ、承知しました」
これには弁爾さんだけでなく僕も驚いた。ゲンマさん、運転できたの? こっそりゲンマさんを見上げると、彼は深く頷いて返してくれた。免許センターで律儀に試験を受けるゲンマさんがうまく想像できないが、そういうことらしい。
「それでは一同、後ほど現場で落ち合いましょう」
落ち着いた声で曽根崎さんが言う。
「まずは重元氏を発見するのが先です。見つけ次第、私に連絡するように。いいですね?」
同意の声を最後に、みんなそれぞれの車へと向かった。僕はといえば、弁爾さんの視界に入らないよう気をつけながら、ゲンマさんの背中から阿蘇さんの背中へと隠れ場所を移したのである。
雨をかき分けて乗り込んだ車で、僕は曽根崎さんの隣に腰を下ろした。……一週間ぶりに会った曽根崎さんの横顔は、なんとなく痩せているように見えた。屋根があるとはいえ、閉鎖されてから長い時間が経ったビルだ。かなり過酷な生活を強いられていたのかもしれない。
「さて、ようやく腹を割って話せるようになったな」
そう切り出した曽根崎さんに「おう」と阿蘇さんが返す。
「わかんねぇことだらけだわ。色々聞かせてもらうぞ、兄さん」
「答えられる範囲には絞られるがな」
「つまりまだ手の内全部は晒さねぇってこと? はぁ……」
運転席にいる阿蘇さんのため息は、後部座席の曽根崎さんにしっかり聞こえるほどの大きさだった。だけどあいにく、曽根崎慎司の心臓はそんな嫌味で動揺するほど脆くない。あますところなく剛毛が生い茂っている
「……まずひとつ。今回重元さんが逃げ出した件だが」気を取り直して阿蘇さんが尋ねる。「お前、こうなるって知ってたんじゃねぇか?」
「え!?」
「おや、鋭いな。流石忠助だ」
「曽根崎さん、そうだったんですか?」黙っていられなくて、僕も二人の会話に割り込んだ。「だとしたら、この一週間重元さんをあのビルに閉じ込めていたのは重元さんの脱走を誘発するためだったと?」
「うむ」
「うむって……。脱走なんてどうやったら誘発できるんです? 拷問?」
「君は私を何だと思ってるんだよ。そんな強引な手段に頼らなくてもいい。強い依存性と快楽性が伴う趣味を持っている相手ならな」
「強い依存性と快楽性……」
「人間、えてして執着は弱点になるものだよ」
すぐにピンときたのは重元さんの動画だった。SNSこそ更新されているものの、動画はこの一週間一本もアップロードされていない。以前は少なくとも三日に一度は上がっていたのに。
で、ここ半年ぐらいの重元さんの動画の反響がなかなかすごいものなのだ。重元さんの発言と思考に凝り固められた人々が、コメント欄やSNSで一斉に彼を褒め称える。インターネット空間において、重元さんは人々が抱える社会や政治への不満を打ち倒してくれるヒーローだった。
そして重元さんは今、〝悪の組織〟である〝こどもの希望を守り続ける会〟の拠点の秘密を詳らかにするべく、カメラを構えて脱走した。一週間前までは、銀の脳を持った集団から電磁波攻撃を受け、監視されていると怯えていたのに。
つまり重元さんは、あの称賛が恋しくなって飛び出したということか。確かに、同じ生活空間にいる唯一の人間(曽根崎慎司)は、天地がひっくり返っても褒めてくれないだろうしな。
考えていると、阿蘇さんが呆れたように言った。
「それだけじゃなくて他にも仕掛けてたんだろ、兄さん。本人がいる前で『トイレの窓が壊れた』と言ったとか」
「またまた御名答。よくわかったな」
「何年の付き合いだと思ってんだよ」
「あとうっかり脚立もしまい忘れていた」
「それもう逃げてくださいと叫んでるようなもんじゃねぇか。……どうせ、重元さんが向かったのは〝こどもの会〟の拠点じゃないって裏は取れてるんだろうけどさ。野次馬の中から怪我人でも出てみろ。お前も同罪だぜ」
「こんな時間だ。怪我人が出たとしても、偶然巻き込まれた一般人ではないだろう。首を突っ込むほうが悪い」
「つべこべうるせぇ」
ここまでを総括すると、今の事態は曽根崎さんの想定内ということだ。だけどそうなるとまた新たな疑問が浮かぶ。なぜ、重元さんを脱走させる必要があったのだろう。
尋ねると、曽根崎さんは存外真摯な目を僕に向けた。そんな目をされると思っていなかったので、僕は少し面食らった。
曽根崎さんの背後で雨粒が窓を打つ。もうとっくに日付が変わった時刻だというのに、不思議と眠くなかった。
「……私の目的は、最初から変わらないよ」
静かな声だった。あまりにも静かだったので、その声は運転席の阿蘇さんには届かなかっただろう。それは僕だけに伝えられた言葉だった。





