19 一週間ぶりの再会
阿蘇さんは手早く外出の準備を始めた。上着に手をかけながら、ゲンマさんに顔を向ける。
「君もついてきてくれ。兄さんから指名があった」
ゲンマさんは頷き、支度を始めた。といっても、ゲンマさんの荷物は小さなスポーツバッグひとつっきりである。すぐに用意は整った。
ところで僕はどうすべきだろう。同行できるならそうしたいけど。
「もちろん景清君も連れてくぜ」阿蘇さんに尋ねると、力強い言葉が返ってきた。「一週間前とは状況が変わった。俺も全て把握してるわけじゃねぇが、景清君は俺や兄さんと離れるべきじゃない」
保護対象っぽいのは歯がゆいが、僕に曽根崎さんや阿蘇さんほどの解決能力があるかと問われれば否だ。僕の基本的な立ち回りは、他の人の足を引っ張らず、頭をフル回転させてサポートに徹することである。
一方、ゲンマさんの立ち回りはまた違う。品之丞先生曰く、〝今回の事件に同行し、見届けること〟だ。その割にはこの一週間、僕や阿蘇さんと力を合わせて大きなオムライスを作ったり、ポーカーのルールを完全マスターしたりしていたが。
……あとで曽根崎さんは、品之丞先生に怒られるんじゃないだろうか。
「さて、行くか。兄さんは時間に厳しいし」
腕時計に目を落としながら阿蘇さんが言う。
「あと、景清君。言われすぎて耳にタコができてるかもしれねぇが、くれぐれも自分の身には気をつけろよ」
「は、はい。無鉄砲な行動はしないようにします」
「ああ、油断すんじゃねぇ。特に今回、俺は途中で離脱させられるだろうから」
「離脱?」僕は眉をひそめる。「どういう意味ですか?」
「兄さんは、この事件の最後に俺を立ち会わせたくねぇはずだ。だから俺は君を守れなくなる」
「そうですか? でもあのオッサン、現時点で相当阿蘇さんを図々しく巻き込んでますよ」
「それはそうだが……。むしろ兄さんが君を俺に預けたのは、俺を隔離する意図があったかもな」
「いや、これは考えすぎか」と小さく笑って阿蘇さんは顔を背けてしまった。意味深で、実際僕には何もわからない。
そこでやっと僕は、今回の事件に関して自分が何もわかっていないことに気づいたのである。曽根崎さんが何をするつもりなのかも、重元さんの行動の理由も、マンション下に現れた不審者の動機も――更には、品之丞先生の思惑も。
曽根崎さんが重元さんの隠れ場所に選んだのは、なんと以前種まき人が拠点に使っていたあの建物だった。
「遅かったな。予定された時刻を四分三十二秒過ぎている」
曽根崎さんは、三階の階段に座って僕らを出迎えた。予想された早速のダメ出しに、阿蘇さんは不愉快さを隠そうともせず舌打ちした。
「不測の事態が起きたんだよ。電話で話しただろうが」
「ああ、弁爾氏の件か。確かにあれは考慮に入れねばならないな」
僕を一瞥して曽根崎さんは言う。……僕の名前を出さなかったのは、わざとだろうか? であれば、まだ僕は弁爾さんの前に姿を見せるべきじゃないのかもしれない。僕はゲンマさんの背後に身を潜めた(彼は大きいので僕一人ぐらいならすっぽりと影に隠れられる)。
「ついてこい。弁爾氏のもとに案内しよう」
曽根崎さんのあとに続き、三階のフロアに入ってすぐ左手の個室に入る。むっとこもった匂いがした。部屋は、真っ白なベッドとテーブルの上に置かれたノートパソコンが目立つ、殺風景なものだ。あとは、お菓子の袋や飲みかけのペットボトル、コンビニのビニール袋に入ったゴミが散らばっているぐらいか。
それらに取り囲まれるようにして、弁爾さんが憔悴した様子で立っていた。
「あ、曽根崎さん……と……ええと、こちらの方は?」屈強すぎる阿蘇さんとゲンマさんの姿に、弁爾さんが恐る恐る尋ねる。曽根崎さんはなんでもないような軽やかさで答えた。
「私のボディガードですよ。職業柄、荒事に巻き込まれることも少なくはありませんから」
「つまり、これからその荒事が起こると?」
「いいえ、その可能性は低いでしょう。こちらの彼には車の運転をお願いするだけです。今回の件には関わりません」
僕はハッとして、ゲンマさんの影から阿蘇さんを見た。阿蘇さんは、いつもより鋭くなった目で曽根崎さんを見ていた。
「もう一人の彼は、あなたと重元氏を暴漢から守るための者です」弟の視線を相手にすることなく、曽根崎さんは、入口近くに立つゲンマさんに視線を向ける。
「事前にお伝えしておりますとおり、彼は品之丞先生から借り受けた方。信頼に値するかと」
「品之丞先生の? は、はい。それならもう、全然……」
「では改めて状況を整理しましょう。弁爾さん、あなたは昨日の夜11時に重元氏から連絡があった。〝こどもの会〟に関する特大のタレこみがあったから、それを調査するために自分と入れ替わるようにと。だからあなたは撮影機材などを準備して重元氏を逃がし、彼の代わりに部屋にいた。間違いありませんね?」
「……おっしゃるとおりです」
弁爾さんの体が一回り小さくなったように感じた。
「この一週間、重元先生は自分が表立って動けないことに危機感を抱いておられました。支持者の皆さんは、常に自分が熱狂できる刺激的な情報を望んでいます。ですが、燃料がないと火はすぐに消えてしまう……。重元先生は、支持者の熱が冷めるのを何より恐れておいででした」
うつむいて丸くなった弁爾さんの背中から「うう」と唸り声がする。公園で聞いたのと同じ声だ。彼の手は、意識的にかどうかはわからないが、頬の真新しい赤みに触れられている。
「だから、〝こどもを守る会〟の次なる拠点を発見したと聞いて、いてもたってもいられなくなったのでしょう。重元先生は、逃げた先の〝こどもを守る会〟があらゆる不正の証拠を有していると推察しておりましたから。……申し訳ございません。私では……先生を止めることができませんでした」





