18 唯一笑顔でない者は
また〝あれ〟だと直感した。時折僕を襲う解読者の記憶。この間の時には、曽根崎さんのマンション前にいた不審者の記憶が流れ込んできたのだ。だとすると、今回僕が見るのは――。
笑顔。
知らない人の笑顔。順序よく行儀よく並んだ大勢の人の笑顔。だけどなぜかどの顔もハンコを押したようにまったく同じで、それが見渡す限り続いていた。髪の色や肌の色を見るに全員日本人だろうか。でもずっと向こうまでいけばわからない。僕にはあるラインを越えれば突然人種が変わるように思えてならなかった。
無限に続いていく笑顔、笑顔、笑顔。その中で、たった一人だけ違う人物がいた。
いや、あれは人だろうか。人にしては薄すぎる。まるで両側から押しつぶされたかのように縦に細長くなっているのだ。それだけじゃない。真っ黒だった。肉が焦げるような異臭が鼻をつく。僕は目を背けたくてたまらないのに、記憶は容赦なく僕にその正体を暴かせようと迫ってきた。
着ている服に見覚えがあった。ちりちりに焦げた髪の真下にある引き伸ばされた顔を知っていた。ああ、笑っていない。たすけてくれと叫んだ形のまま口が固定されている。
その人は、重元川太郎だった。
「君、大丈夫ですか!?」
ハッと気がついた。見上げた空からは雨が降り注ぎ、僕の頬をぱたぱたと濡らす。僕は、仰向けに倒れていた。
「今からでも病院に行ったほうがよろしいのでは? 救急車が必要なら呼びますが……」
「あ……」
平気です、と言葉を続けようとして、うまく声が出せないことに気づいた。外傷はないだろうから、おそらくショックのせいだろう。けれど今意思疎通ができないのは非常に困る。どうしよう。
考えていると、「ひっ!?」と弁爾さんの短い悲鳴が聞こえた。同時に僕の体が宙に浮かぶ。
僕はゲンマさんの肩に担がれていた。
「あ、あなたは……?」
「……」
弁爾さんの問いにゲンマさんは少し首を傾げたあと、くるりと背を向けた。そして、短距離走者もかくやという勢いで走り出した。
ゲンマさんも喋れないのだ。呆気にとられる弁爾さんを僕の傘と共に残し、僕らは疾風の如き速さで公園をあとにした。
家に帰ったら、阿蘇さんがいた。
「何してやがった」
「すいません!」
その頃には声が出るようになっていたので、僕は床に這いつくばって謝罪した。数日前と同じ構図だけど、誠意を伝えるためには手段を選んでいられない。
夜勤だったはずの阿蘇さんは、のっぴきならない急用ができて、上司に仕事を代わってもらい帰宅したらしい。で、僕らがいないことに気づいたと。
「心配したんだぞ」
僕の頭をわしゃわしゃと乱暴にタオルで拭きながら阿蘇さんが言う。両手にはココアが入ったマグカップ。温かくて、こんな時なのに涙腺が緩んでしまいそうだった。
「それで、どうしてこんな夜に出かけたんだ? まさか散歩に出かけてたってこたぁねぇだろ」
「う、すいません。そのまさかです」
「はぁー? 外結構雨降ってたろ。なんでそんな中で出てったんだよ」
「なんだか眠れなくて……。それでゲンマさんと夜の散歩に行こうという話になったんです」
「危ねぇし風邪をひく。今後は控えとけよ。んで、このあたりをぐるっと一周して帰ってきたのか?」
「いえ、それが……」
僕は手短に弁爾さんと公園で出会った話をした。少し迷ったけれど、解読者の記憶が僕に見せてきた弁爾さんの記憶についても。阿蘇さんはあぐらをかいて真剣な目で聞いてくれていたけれど、やおら立ち上がった。
「偶然とは思えねぇ」
どういう意味か尋ねる前に、阿蘇さんはスマートフォンを取り出して電話をかけ始めた。コール音の間に玄関へと向かっていく。内容を僕らに聞かせないためだろう。
背筋がスッと冷える。僕はまた何か余計なことをしてしまったんじゃ……。
たっぷり十五分ほど待っただろうか。見るからに苦々しい顔をした阿蘇さんが帰ってきた。
「嫌な予感ほどよく当たるもんだ」
後頭部をかきながら言う。
「兄さんと話してきた。匿っていた重元さんが、いなくなったらしい」
「え!?」
「さっき覗きに行ったら、重元さんを閉じ込めてた場所に本人はいなくて代わりに秘書? の男が布団をかぶって震えてたとよ」
「弁爾さんですね。どうして身代わりに」
「そのオッサン曰く、一時間ほど前に電話で呼び出されて、自分と入れ替わるよう指示されたとのことだ」
一時間前ならちょうど僕と弁爾さんが話していた時だ。あの時、既に重元さんから命令されたあとだったに違いない。
雨の中途方に暮れたように佇みながら、唸っていた弁爾さんの姿を思い出す。彼はどんな気持ちであの場所にいたのだろう。
「それなら弁爾さんは重元さんがどこに行ったかご存じなのでは?」
「ああ。〝こどもの希望を守り続ける会〟の引っ越し先を見つけて、そこに行ったんだとさ」
「こどもの会の!? でも、以前もこどもの会だと思って向かったら種まき人の潜伏先だったんですよね? じゃあ今回もそうなんじゃ……」
「だとしたら重元さんの身が危ねぇな」
ごくりとつばを飲み込む。僕の頭に、真っ黒に焦げた重元さんの死体が蘇った。





