16 雨の降った夜
ゲンマさんが僕の大学の送り迎えをする。これは事情を把握した阿蘇さんが、僕を心配して取り決めてくれたことだ。また、時間の都合が合えば阿蘇さんが迎えに来ると約束してくれた。
「重元の野郎にも困ったもんだ。もっとも、一番困るのは、そいつに乗せられて遊び半分で犯罪行為に手を染めるやつらだけど」
帰りの車の中で、阿蘇さんが吐き捨てるように言った。阿蘇さんは、曽根崎さんのマンションに来た人は重元さんの支持者の一部だと考えているらしい。
「とにかく写真を撮られてるのが気色わりぃ。ま、今は景清君の身の安全と精神の安定が最優先だ。俺も手伝わせてくれよ」
自分のことを心配してくれるのが申し訳ない一方でありがたくて、涙が出そうだった。
だから、筋骨隆々の男性二人に送迎をさせている大学生・竹田景清という客観的な構図に気づいた時、僕の全身から変な汗が噴き出た。変な噂が立っていないといいんだけど。
……僕自身の焦燥はどうでもいいことだ。それよりもこの一週間、わかったことがいくつかある。ひとつは僕が撮影した男性――曽根崎さんのマンションに現れた不審人物の身元だ。
「彼の名は治郁元吉。某商事に勤める人物で、重元氏のSNSをフォローしているうちの一人だよ」
連絡をくれたのは六屋さんである。僕が阿蘇さんを通してツクヨミ財団に相談した時、すぐに協力を申し出てくれた。
「ここだけの話、治郁君が根っからの重元氏支持者かと言われると疑問が残るな。治郁君は、重元氏の行動を煽りたて、より過激な方向へ進ませようとしているように見える。それが面白いことだと心から信じているかのように」
つまり治郁さんの行動は、重元さんを支持するがゆえというより、話題に乗っかってやろうという興味本位なノリに思えるとのことだ。そうだとしたら、きっと治郁さんにとっての僕は人じゃなくて、重元さんをより燃え上がらせるための薪でしかないのだろう。
そんな重元さんのSNSは、絶えることなく連日更新されていた。
〝※とある政治家の画像が添付されている〟
いつまでこいつは国民を騙すのか!
またも銀色の脳! 皺のないツルツル脳は自らを肥やす権力利益しか頭にない!
皺のある脳を持つ人々へ。私は何度でもあなたたちに呼びかける!
今こそ大和国の真の人間として目を覚ますべきだ!
真実を知り、力を合わせて銀色の脳を持つ人非人を糾弾すべきだ!
真実を知った私は命を狙われている。もう長くはないかもしれない。
しかし後悔はない。ここにいるということは、その分多くの同志を得たということだから。
真の人間たちよ、あなた達が掴んだ正義を途切れさせないでほしい!
覚醒の声を上げ続け、いまだ眠る皺の脳たちを救ってあげてほしい!
あなたが胸と脳に置いてくれた真実のなかで、重元川太郎は永遠に生き続けるのだ!
重元さんのSNSには今日も支持が集まっている。中には大げさすぎるほどの賛同の声をあげる人もいて、頭がクラクラした僕はスマートフォンを放り投げてしまった。
以前、ツクヨミ財団の田中さんが言っていた「人々は正義の陣取り合戦をしている」という言葉を思い出す。重元さんを囲む世界は、僕の思う正しさが一つも見当たらない。彼を支持する心底僕を心細くさせた。
(こういう時、曽根崎さんならなんて言うんだろう)
(立っている場所が違うだけで、君も同じだって笑うかな)
夜、幾度となく僕は真っ暗な天井を見上げながら考えたものである。だけど本人がいない以上、答えはない。代わりに必ずゲンマさんがむくっと起きて、僕を見た。
「あ、すいません。起こしましたか」
「……」
「いやいや、気を遣ってるとかじゃないです。でも、目が冴えて眠れませんね……」
「……」
「外に? 散歩?」
その日、阿蘇さんは夜勤だった。なので、僕らが深夜の散歩に出かけても誰も咎める人はいなかったのだ。
外は生憎の雨である。そこで取りやめてもよかったはずなのに、僕はゲンマさんが促すまま靴をはいて傘を手に取った。コンクリートでできた階段には僕ら以外の足跡が点々とあって、辿っていけばいずれどこかの部屋の前に到達できるのだろうと容易に想像できた。
傘を開き、暗い雨の中に一歩を踏み出す。ビニールに跳ね返る雨の音のせいで、僕はもう自分が息をしていることすら忘れそうだった。
「ちょっと寒いですね」
ゲンマさんに話しかけると、肯定を示す沈黙が返ってきた。いい人だ。曽根崎さんにはゲンマさんに気をつけるように言われたけれど、僕にはどうしても怪しい人には思えない。
でも、その理由はこの雨にもあるのかもしれない。傘の下から少しでも外に出てしまえば、あっという間にずぶ濡れになってしまう今の状況。一人で歩くには寂しくて、自然とゲンマさんの存在を心強いものにしていた。
(曽根崎さんは、夜の雨の中でも不安になったり、誰かにいてほしいと思ったりしないのかな)
(そういう人を、強い人っていうのかも)
ゲンマさんと並んで歩く。僕に目的地はなかったけれど、ゲンマさんは迷うことなく足を進めていた。
そうして、二十分ほど歩いた頃だろうか。僕はふと道沿いの公園に目をやった。
(あれ? こんな時間に誰かいる……)
目を凝らす。失礼かもしれないと思ったけど、この暗さと距離ならわからないだろう。だけどそんなことをしている間に、その人はくぐもった声で呻き始めた。何かトラブルがあったのかもしれない。
「すいません、ゲンマさん。僕あの人の様子を見てきます。ここで待っていてください」
ゲンマさんは頷いて承知してくれた。僕は泥を跳ねるのも構わず、その人のそばに駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「あ、は、はい……」
聞き覚えのある声に戦慄した。ゆっくりと僕に向かって顔が持ち上がる。
その人は、重元さんの部下である弁爾さんだった。





