13 覗いた記憶
ゲンマさんの登場で、一気に安堵した僕である。そのままぶっとばしちゃってください! と小物めいた考えが浮かんだけど、罪に問われるのはゲンマさんのほうなので、代わりに別の言葉を叫んだ。
「僕のスマートフォンを取り返してください! 逃げましょう!」
男性に対してできる牽制はすべてできた……と思う。だけど逃げるため上体を捻った時、ガツンと殴られたような痛みが僕のこめかみを襲った。
一瞬本当に殴られたのかと錯覚した。そうじゃない。僕の脳に怒涛の勢いで情報が流れ込んできたのだ。
重元さんの顔。重元さんの顔。狂乱。真っ暗闇。重元さんの顔。取り出された白子のような何か。周囲に飛び散る血。重元さんのSNS。好奇心に満ちた殺意。重元さんの顔。僕の顔。大きな手。恐怖。苛立ち。
「あ……!?」
膝をつこうとする。しかしその前に僕の体はヒョイと掬い上げられた。ゲンマさんは、その体に見合う俊敏さでエントランスのドアをくぐっていた。
背後から声が追いかけてきたけど、何を言っているのかまではわからない。視界の端で、スマートフォンを持ってわらわらと集まる数体の人影を見た。ゲンマさんは一切顧みず、僕をタクシーに押し込み自分も乗り込んだのである。
タクシーは、無様に後部座席でひっくり返る僕を無視して発進した。
「ご苦労」
いっぽう曽根崎は、狭い車内で器用に足を組んでくつろいでいた。なんだこいつ。
「マンションにも不審な人物が出たな。君がマンションに入った時から、外でうろうろと様子を見ているのを見たよ」
「……見てたなら、一報ぐらいくださいよ。何のためのスマートフォンです……?」
「かなり具合が悪そうだな。君の身に何が起こった?」
露骨に話題を変えられたが。抗う気力もない。僕はたどたどしいながら、先程の一部始終を伝えた。おそらく、またしても〝解読者の記憶〟が僕に何らかの影響を及ぼしてきたことも。
「あの時見たのは、僕の腕を掴んできた男の人の記憶だと思います。でも、これって変ですよね?」ゲンマさんが取り返してくれたスマートフォンをしまいながら、僕は曽根崎さんに言う。「解読者の記憶が何かはわかりませんが、これまでのパターンを見るに、僕の命が危ない時か、謎の古代文字を解読する時か、怪物が関わった時に頭痛が起きています。でも、今回はそのどれでもない……。どうして僕があの人の記憶を見られたんでしょう?」
「ふむ、不可解だな」
……不可解? それだけ?
意外な反応に僕は曽根崎さんを凝視した。彼は腕組みをして、ぼんやりと外の景色を見ている。考える時の癖である、顎に手を当てる仕草もしていない。
もしかしてこの人、既に解読者の記憶が発現した理由に目星がついているんじゃないか? その上で僕を適当に煙に巻いているんじゃ?
そんなことを考えたけれど、そうだと仮定するとある壁にぶち当たる。どうして曽根崎さんは僕に秘密にするんだろう?
……あの男の人自身が実は怪物だったとか? いや、そうだとするとゲンマさんにビビってないか。記憶を読む限り、かなり怯えてたもんな。
「だが、こうなっては仕方ない。……景清君」
「はい!」
考え込んでいると、いきなり名前を呼ばれて飛び上がった。実際はシートベルトに抑え込まれたけれど。
曽根崎さんを見ると、鋭い視線とかち合った。僕が指摘し忘れていたので、また無精髭が伸びている。
「我々はしばらく別行動を取ろう。特に君は重元氏らにとって死んだ存在だ。堂々と生きていてもらっては、せっかく築き上げた信頼関係に支障が出る」
「今ものすごい勢いで人権を否定された気がする」
「そんなことはない。学生の君はしばらく学業に専念するという意味だ」
「そうかなぁ……。ちなみに、しばらくってどれぐらいの期間です?」
「ざっと一週間」
つまり、それまでは事態はそう大きく動かないということだろうか。一学生としては、怪異案件はぜひアルバイト時間の範疇でと考えているので、ありがたい申し出ではあった。
……それはそれとして、曽根崎さんの単独行動に不安はあるのだけど。僕は尋ねた。
「曽根崎さんの言いたいことはわかりました。でもゲンマさんは連れていきますよね? 品之丞先生の件もありますし」
「いや、彼も君に頼むよ」
「どうしてです?」
「さっき君と一緒にいるところを連中に見られたろ。無関係で通すのは難しい」
「ああ、確かに」
「また一週間後に連絡する。それまでたっぷり学生ライフをエンジョイするといい」
「言われなくてもエンジョイしてますよ」
だけど、そうなると一週間ずっとホテルと大学の往復になるのだろうか。僕は別にそれでも構わないけれど、大学生でもないゲンマさんにとっては窮屈な日々になるかもしれない。いや、彼だって大人なんだし僕が心配する必要はないか……?
「そのあたりも考えてある」
すると僕の脳内を見透かしたように曽根崎さんが言った。その言葉の意味を確かめるより先に、タクシーはあるアパートの前で止まる。
……めちゃくちゃ見覚えのあるアパートの前で、止まる。
「家主に事情を説明し、一週間宿を貸してもらえ」
唖然とする僕をタクシーから半ば強引に押し出し、少し下げたウィンドウ越しに曽根崎さんは、ほざいた。
「ま、相手は忠助だ。君が涙のひとつでも見せれば一ヶ月は住まわせてくれるだろ」
「この人でなし!」
「ところがどっこい、人間だ。おそろいで君も嬉しいだろ」
このやり取りの間に運転手さんは荷物とゲンマさんを下ろしていたため、曽根崎さんの合図と共にタクシーは速やかに発進した。僕の振り上げた拳は宙をさまよってしまったのである。
……言うまでもないが、曽根崎さんは弟の阿蘇さんに甘えきっているので、事前アポイントメントなんて取っているはずもない。僕は、深夜にも関わらず阿蘇さんの部屋を訪ね土下座することになったのだ。





