12 撮影
帰りのタクシーの車内にて。さきほどの流れを通し、いよいよもって今回の依頼に対する情熱が尽き果てた僕である。重元の野郎、なんてやつだ!
「まあ怒ったところで仕方ない」
怒りで胃がねじ切れそうな僕の隣で、曽根崎さんは余裕綽々である。
「彼がこういうやり方を好む人間というだけだ。それに、こちらも一応対策済みだし」
「対策? ああ、そういえばそんなことを言ってましたね。何したんですか?」
「あの手の輩には情報を制限するかフェイクを混ぜて伝えるのが一番だよ。そういうわけでもし重元氏が私の事務所を訪ねてきた場合、彼が見るのは某警察署の入口になる」
「絶対阿蘇さんの勤め先でしょ! あんた事件のたびに弟巻き込まないと気が済まないのか!」
「ゆえに安心して事務所に戻れるよ。無論、君の家にも」
「自分の家を指して僕の家って言うのやめてくれません? 事実だけど」
そういえば、重元さんは曽根崎さんの通り名を〝怪異退治人〟と微妙に間違えていた。あれもフェイクの賜物だったのだろうか。
「いや、そそっかしいだけだろうな」
ほんと褒められたところがねぇな、重元。
ふわ、とあくびをひとつする。時計は既に夜の十二時を回っていた。今日もゲンマさんは事務所の床で寝て、僕らはその付き添いなのだろうか。さすがに仮にも客人に対してこの扱いはどうなのだろうと思うし、明日は僕も大学の授業がある。一度曽根崎さんの家に帰りたいところだけど……。
「……!」
助手席のゲンマさんが身を乗り出すのと、タクシーが急停止するのはほぼ同時だった。思いきりつんのめった僕と曽根崎さんだが、何か言葉を発する前にゲンマさんに腕を引っ張られる。
「……」
ゲンマさんが指を差す先を見る。事務所の前に、数人の影が立っていた。それだけならたまたまそこを通りがかった人かもしれないと思えただろうが、事務所を見上げ、そのうちの一人が指図するように右腕を大きく動かしていたとあっては警戒するしかない。
「……某警察署の入口に誘導されていたんじゃなかったんですか」
「フェイクに引っかからない者も往々にしているものだ」
「どうするんですかコレ! 戻れませんけど! もう終わりだ、顔写真撮られてSNSで晒されてインターネット上でおもしろミームにされるんだ……!」
「大体三ヶ月もしたら次のミームが現れるからそれまでの辛抱だよ」
「デジタルタトゥーを気にも留めないタイプ?」
「しかしこうなっては致し方ない。今晩はホテルに泊まろう」
「わかりました。あ、その前に曽根崎さんのマンションに向かっても構いませんか? 明日大学で使う教材と着替えを取りに帰りたくて……」
「ならば経由するとしよう。ついでに私の着替えと適当な本を数冊持ってきてくれ」
「はいはい。すいません、運転手さん。今から言う住所に向かってください」
タクシーは慎重に方向転換し、事務所とは真逆のほうに向けて走り出す。これでひとまず危機は去ったと言っていいだろうか。
後部座席からゲンマさんの肩をつつく。振り返ったゲンマさんに笑いかけて言った。
「ありがとうございます、ゲンマさん。暗かったのに、よくあの人達に気づけましたね」
「……」
ゲンマさんは自身の目を指差した。かなり夜目が効くとのことだ。頼もしい限りである。
マンションに到着した僕は、無事曽根崎さんの部屋からお目当てのものを回収することができた。曽根崎さんとゲンマさんはタクシーで待っている。車内の空気は実に重たいだろうと推測され、僕は運転手さんのためにも早く戻らねばならなかった。
だけど、マンションのエントランスまで降りてきた時。ふいに後ろから声をかけられた。
「失礼します、景清様。ひとつお尋ねしてもよろしいですか?」
ついいつもの癖で「はい」と答えて、そちらに顔を向けようとする。が、遅れて戦慄した。
今この人、僕の名前を呼んだ?
振り向いて見た女性の顔は、僕の記憶のどこにもなかった。心臓の音が段々大きくなる。首の後ろが冷たくなって、息ができなくなる。
「904号室」
返事ができずにいる間に、女性は言葉を続ける。
「お住まいのお部屋はこちらでお間違いないですね?」
それは、紛れもなく曽根崎さんの部屋番号だった。
そうわかった瞬間、弾かれたように僕の体が動いた。女性の横をすり抜け、全速力で出口に向かって走る。が、ちょうど入ってこようとした人とぶつかってしまった。
「すいません、僕急いでいて……!」起き上がりながら謝罪する。でもその声は、軽薄なシャッター音に遮られた。
「竹田景清!」
僕にスマートフォンを向けて撮影を繰り返す男性の目は、邪悪な好奇心に満ちていた。
「やった、ついに正面からの写真を手に入れたぞ! なああんた、曽根崎ってやつに匿われてるんだろ? そいつはどこ? 部屋?」
なおも男性はシャッターを切るのをやめない。それで僕はプチッとしてしまった。
自分のスマートフォンを取り出す。男性に向けながらカメラアプリを起動させる。連写。連写連写連写!
男性は僕の行動が意外だったようで、目を見開きまばたきを繰り返している。その間抜け丸出しの顔に向かって、僕は言葉を叩きつけた。
「その写真を勝手に利用してみてください。僕はこの写真からあなたの個人情報までたどりついて、全部公の場に晒しますからね!」
「は? 脅迫?」
「僕の話が脅迫に聞こえるならあんたのも脅迫ですよ!」
男性の腕が伸びる。避けたつもりだったが、僕の右手はしっかり掴まれてしまっていた。
「離せ……!」
抵抗虚しく僕のスマートフォンは男性に奪われる。だけどそのまま叩き壊されようとした瞬間、男性の動きがぴたりと止まった。
そちらを見る。男性の手首は、自分より遥かに身長が高い筋骨隆々の大男によって握りしめられていた。





