10 ビルの中
僕たち一行は、タクシーの運転手さんにすごい目で見られた。特にゲンマさんは二度見されていた。
目的地まで運ばれながら、夜に染まる街をぼんやりと眺める。窓を開けると、冷たい風が頬を撫でた。
「それで、〝こどもの希望を守り続ける会〟は、種まき人関連の組織なんですか?」
風の音にまぎれて曽根崎さんに尋ねる。曽根崎さんは首を横に振った。
「違う。更に言えば、〝こどもの希望を守り続ける会〟がこの場所を支部にしていた事実もない。その名を利用した何者かが重元氏を誘導したんだろう」
「やっぱりそうですか。で、その利用した何者っていうのは誰です?」
「今の段階でははっきりしたことは言えんが、種まき人に関わりはあると睨んでいる」
「ふーん……何にせよ、名前を勝手に使われたこどもの会は災難ですね」
「ああ。ただでさえ重元氏のターゲットになって以降、インターネットの暇人どもから誹謗中傷の的になっているのに」
驚きの発言に、僕は思わず上体ごと曽根崎さんに向けてしまった。今この人、NPO法人を庇った……!?
「なんだ、その顔」
「いえ、別に」
「重元氏ほどデマの旨みを知っている者はいない。強烈な嘘ほど、信じさせてしまえばコントロール下に置けると理解しているんだ」曽根崎さんは話す。「そして、仮想敵を作るのは組織の結束力を高める有効な手段だ。だが言葉には責任が伴うことを、重元氏はどれほど理解しているのだろうな」
つくづく珍しい言葉に、僕はぽかんと口を開けて聞き入っていた。意見自体はまったくもって同感なのに、それを言ったのが曽根崎さんなのが意外すぎて何も反応ができなかった。
「あ……そういや僕、種まき人の拠点に行っても大丈夫なんですか?」驚きすぎて話題を変えてしまった。「向こうも僕が解読者ってことは知っているし、話を聞く限りかなり重宝される立場でしたよね。僕、飛んで火にいる夏の虫になりません?」
「種まき人にとって、今の君の優先順位は低いだろうと考えている」
「そうなんですか?」
「椎名が向こうについた今、君の能力は固有のものではなくなった」椎名さんとは元ツクヨミ財団の言語学者だ。複雑な事情から、今は種まき人側についてしまっている。「少なくとも、失われた文字を読める者は君と椎名の二人いる。しかも君は種まき人の思想に否定的な上、なぜか解読者の記憶を従えてしまった。君が協力しない限り、やつらは君を利用できないだろう」
「つまり、僕をさらっても、言うこと聞かないから使えないってことですか」
「そのとおり。無論、他に目的ができれば何を置いても君をさらいに来るだろうがな。しかし逆に言えば、それが実現していない現状、種まき人も様子見をしているのだろう。……言っとくが、種まき人が本気になれば私はもちろん、ツクヨミ財団も君を守りきれない可能性がある。やつらの組織力と行動力は異常だからな」
「そんなに?」
「考えてみろ。今の椎名のようなヤツが束になってかかってきたら、普通に負けるだろ」
一息に言った曽根崎さんに「ああ」と納得する。最後に僕らが見た椎名さんは、全身から総質量に見合わない大量の黒いどろどろを出して、自在に操っていた。椎名さんに理性が残っていなかったら、曽根崎さんと僕、そして助けに来てくれたツクヨミ財団の人々の命はなかっただろう。
とにかく、今の僕は多少息のつける状況にいるらしい。多少ホッとして背もたれに体を預けた。
「だからこそ、逃げ回るのではなく今のうちに種まき人の情報を集めておきたい」
曽根崎さんはまっすぐ前を見たまま言う。
「解読者の記憶がどういうものかも調べなきゃいかんしな。やることが多いが、全部片付けていくぞ」
「はい」
気合を新たに入れ直し、しゃんと座り直す。助手席にいるゲンマさんは、僕らの会話なんてひとつも聞こえていないみたいに、微動だにしていなかった。
タクシーは、〝こどもの希望を守り続ける会〟の支部と説明された、郊外にあるビルに到着した。
……結論から述べると、中はもぬけの殻だった。曽根崎さんの言うとおり、ここにいた種まき人たちはトンズラしていたのである。
「無駄足だったってことですか」
そう言いながら、少しでも痕跡は残っていないかとあたりを探る。長く使われていないビルにしては、殆ど埃が積もっていない。ここに誰かがいて、何かをしていたのは確実だろう。
「無駄足ではない。ここに来たことによっていくつかわかることがある」曽根崎さんは、顎に手をあててスマートフォンを眺めている。「まず、地下。ここは電波が入る。つまり、当時の重元氏は電波妨害をされていたことになる」
「そんなの、もともと種まき人がやっていそうなもんですけど」
「まだある。重元氏や弁爾氏の話だと、ここを訪れたのは一週間程前であり、大掛かりな機器も複数あったという。それが今や空っぽだ。これほど綺麗に痕跡をなくすとなると、重元氏に見られてからすぐに行動を開始したと考えられる。これが何を示すかわかるか、景清君」
「何を示すかって……」
考える。視界の隅では、小さな虫を見つけて小走り気味に追いかけるゲンマさんがいた。それに気を取られているうちに、曽根崎さんのスマートフォンがメッセージの受信を知らせる。
「弁爾氏からだ」
こんな夜更けに? メッセージを読んだ曽根崎さんは、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「……重元氏が襲われたらしい」
それでやっと僕は曽根崎さんが表情をうまく作れていないと気づいた。
「今から弁爾氏が来る。私一人で対応するから、君たちは隠れておくように」





