9 不審
「守りたくねぇー」
それから時間はあっというまに過ぎて、僕らは事務所に帰ってきていた。ぼやく僕に「客を選り好みするな」と曽根崎さんから至極真っ当なツッコミが入る。よく僕の発言の主語が重元さんだとわかったな? さてはアンタもあんまり守りたくないな?
曽根崎さんは、重元さんがリアルタイムで配信していたという動画を確認していた。
「全然モザイク処理をしていないから場所の特定も楽勝だ。ここから車で三十分ほどの距離だよ」
カタカタと鳴るキーボードの合間に曽根崎さんが言う。
「今から行こうと思うが、君はどうする?」
「冗談でしょ。そこ銀の脳工場なんですよね?」
「彼らが訪れたのは一週間も前だ。私なら撤退している」
「根拠あんたの希望的観測かよ」
重元さんから説明を引き継いだ弁爾さんによると、その施設の一室で彼らが見たのは、頭を開かれて脳と銀の脳を入れ替えられる生きた人の姿だった。真実ならおぞましいことこの上なしだが、正直現実味に欠けた話である。以前の僕なら、無実のNPO法人を貶めるための悪質な妄想だと切り捨てていただろう。
だけど、数多の事件に関わってきた今は別だ。
「タクシーを手配しました」
僕はスマートフォンを操作しながら曽根崎さんに言う。
「十分後に事務所に到着します。それまでに準備を」
それから事務所の隅で小さくなっているゲンマさんに顔を向ける。けれど「一緒に行きましょう」と声をかける前に、いつのまにか背後にいた曽根崎さんに肩を叩かれた。
曽根崎さんは親指で後ろを指す。少し話したいというジェスチャーだろう。
「――で、彼はどうだ。信頼できる人間か?」
事務所の外に出たところで曽根崎さんに尋ねられる。言うまでもないだろう。僕は頷いた。
「重元さんよりは圧倒的に信頼できますよ。ゲンマさんはいい人です。あんたもいい加減名前で呼んであげてくださいよ」
「いやだ」
「なんでだよ。何が気に食わないんですか」
「何もかもだ」
苦虫を噛み潰したような顔である。これは珍しく感情と表情が一致している。
「三日ほど彼の様子を見てみたが、不可解な点が多すぎる。その上、背後を洗ってみてもめぼしい情報はないときたもんだ。品之丞氏はどこから彼を連れてきたんだか」
「品之丞先生の実子ではありませんし、出身も日本じゃないそうですからね。でもゲンマさん本人も出生はわからないそうですから、あまり本人を詰めるのも……」
「そう、そこだ」
「そこ? ゲンマさん自身も出自がわからないこと?」
「違う。君が明確に彼の意図を汲み取れている点だ」
はじめ、僕は曽根崎さんの言っている意味がわからなかった。僕としては、曽根崎さんや他の人とするように当たり前にゲンマさんとコミュニケーションをしていただけだったからだ。
でも、ようやく違和感がじわじわと僕を侵食し始めた。僕はおそるおそる口を開く。
「もしかして……曽根崎さん、ゲンマさんの伝えたいことが汲み取れてない?」
「それすら気づいてなかったのか」
「やっぱり!? じゃあなんで僕ゲンマさんの言っていることがわかるんですか!? いや、言ってすらないのか。考えていること?」
「妄想じゃないのなら別の力が働いていると考えるべきだな」
そう言うと曽根崎さんは長い指で僕の額を小突いた。そうされると、心当たりはひとつしかなかった。
「まさか、また〝解読者の記憶〟?」
「かもな」
「多彩すぎません? 僕、コイツのせいで、謎の文字を読んだり対抗曲の記憶を勝手に引っ張り出されて命を助けられたりしてるんですけど」
「今のところは結構プラスに作用しているのが驚きだよ」
「でも、どうして解読者の記憶を持っていることがゲンマさんとの良好なコミュニケーションに繋がるんでしょう? こうなるのはゲンマさんが初めてです。曽根崎さんが考えていることなんて、未だにさっぱりわかんないのに」
「だからこそ、気に食わないんだ」
曽根崎さんの目つきがますます鋭くなる。……どういう意味か尋ねる前に、事務所の前で車が止まる音がした。僕が呼んだタクシーが到着したのだ。
「しかし、品之丞氏の目的がわからずとも約束を反故にするわけにもいかない」心なしか早口で曽根崎さんは言う。
「彼は連れて行く。だが、用心しろよ。心を許さず、できるだけ相手の心も読み取ろうとしないように」
「そう言われても勝手にわかるんですよね……」
「心を閉じろ。誰も信用するな。この世は敵ばかりだ」
「曽根崎さんは?」
「私は例外だ」
「曽根崎さんの発言、ここだけ切り取って聞いたらモラハラ恋人の歪んだ独占欲なんですよ」
「失礼な」
事務所のドアを開けてゲンマさんを呼ぶ。ゲンマさんは所在なげな顔をして、やはり事務所の隅で小さくなっていた。
一緒に行きましょうと声をかけると、その表情はホッと緩んだ。胸の奥が罪悪感に痛む。もし僕がゲンマさんを敵だと思えば、この人はすかさずその思考を感じ取って傷つくのだろう。直感的にそう理解したけれど、これが解読者の記憶に由来するものなのか、それとも僕自身の感受性によるものなのかはわからなかった。





