3 新たなる協力者
〝銀色の脳〟。それはかつて「まひるさん」と呼ばれた男性の脳に代わりに入れられていた金属製の物質。それはかつてポリバケツに汚物まみれで収められ「ゴミ神様」と崇められていたもの。この銀色の脳が関わる二つの事件のバックには、種まき人と呼ばれる異常なカルト組織が存在していた。
だから、普通なら一笑に付して終わりだろう様子のおかしいメールに曽根崎さんが反応したのである。
「この依頼人の裏には必ず種まき人がいる」
弁爾さんとの待ち合わせ場所に向かう前、曽根崎さんはニヤリと唇を歪ませた。
「前回は機を失したが、今回はどんな手を使っても情報を手に入れてやる。君もそのつもりで、私の行動に合わせて臨機応変に対応してくれ」
「臨機応変に……わ、わかりました」
緊張したが、「君ならできる」と曽根崎さんが執拗に言うので信じることにした。そして実際、僕は曽根崎さんの無茶振りに完璧な演技でもって応えたのだ。
よって、このたび依頼人の代理人である弁爾さんが逃げたのは完全に曽根崎さんのミスである。
「君、自分の演技力の話になると突然自信過剰になるよな」
ぶすっとふてくされた曽根崎さんが、緩慢な速度で椅子ごと回っている。今の時刻は十四時半。僕たちは一旦自宅に帰って休んだあと、事務所へと来ていた。
「やーらーれーたーってなんだよ。今どき幼稚園児でもそのやられ方じゃ満足しないぞ」
「いやいや、演技の問題じゃないんですって。普通目の前で殺人が起こったら、びっくりして逃げるもんなんですよ。それはそれとして僕の演技は見事なものでしたが」
「ほんと譲らねぇ」
とにかく、これで依頼人との繋がりが切れてしまったのは確かだ。あれからメールを送ってみたが、むべなるかな一切返事はなかった。
僕らは、種まき人に続く手がかりを失ってしまったのだ。
「どうするんです。これじゃまた近々不審死が起きかねませんよ」
まず連想したのは怪死した女性だ。彼女が最初のメールの送信者である確証こそないものの、いくつかの共通点から一連の事件として見なされていた。
対する曽根崎さんはフンと鼻で笑うと、ぐるりとこちらに体を向け、親指で時計を差す。
「私がのんべんだらりと手をこまねいていると思ったか。既に次の手は打ってある」
「そうなんですか?」
「ああ。もうすぐここに人が来るよう手配した。政治家だ」
その肩書きにぎょっと身を引く。
「なんで政治家が関係してくるんです?」
「そりゃあ君、かの者が今回の依頼人に関係しているからに決まってる」
「依頼人に……」
「あの廃屋に入る直前、不審な位置に停めてあった車。レンタカーだったが、弁爾という名と紐づければ情報を引き出してくることなど容易い。調べた結果、弁爾氏はとある議員の秘書をしているとわかった」
「まさか、その議員さんがこれからここに?」
「違う。来るのは別の議員だ」
同時にピンポーンと軽やかなチャイム音が鳴った。おそらくくだんの政治家だろう。僕は慌てた。
「ちょ、来客予定あるならなんでもっと早く言ってくれなかったんですか! 今お茶菓子切らしてるんですけど!」
「最近商店街のくじ引きで景品を当てていただろう。あれでいい」
「いいわけないだろ! ケーキ型の消しゴムですよ!」
めちゃくちゃなオッサンにツッコミを入れながら、ヤカンに水を入れて火にかける。その間に来客を迎えるべく、ぱぱっと身だしなみを整えた。
ドアの前に行き、ひとつ深呼吸をしてドアノブを握る。
「お待たせいたしました、こちら曽根崎――」
――目の前にあったのは、壁だった。
いや、壁じゃない。分厚い胸板だ。
「……」
おそるおそる視線を持ち上げる。僕を見下ろしていたのは、身の丈2メートル以上あるんじゃないかという褐色の肌をした男の人。
彼が僕を見下ろした拍子に長い髪が頬に触れる。柊ちゃんみたいなロングヘアじゃなく、数本ずつ束にして編みこんだブレイズヘアだ。アジアの店に入った時のようなエキゾチックな香料が、ふわりと僕の鼻先を掠めた。
この人が、政治家?
「あら、そちらではなくこちらですよ。素敵なお兄さん」
穏やかな女性の声にハッとして周囲を見回す。ころころとおかしそうな笑い声を背に、大きな男の人が右に動いた。
現れたのは、僕より一回り小さな品のいい女性だった。髪には白いものが混じっており、50代後半から60代ほどの年齢に見える。
「ごめんなさいね。この子が大きいものだから、いつも私は影に隠れてしまうの」
「紹介しよう、景清君」
いつの間にか曽根崎さんが僕の後ろに来ていた。彼も高身長だけど、目の前の男の人と並ぶと随分低く見える。
「彼女が、今回ご協力いただく衆議院議員の品之丞信子さんだ」
曽根崎さんの言葉に、品之丞さんは微笑と共に一礼する。その姿にようやく僕は、いつか見たテレビに映る彼女を思い出したのだった。





