2 待ち合わせた廃屋にて
はじめまして。立場がある身であるゆえ名を明かすことはできませんが、私は貴殿の助けを必要としている者です。この助けの声を貴殿が一蹴してしまわないことを祈ります。
私は命を狙われています。真実を知ってしまった者の宿命とはいえ、おちおち自宅で眠ることもできません。自宅は今、例の集団による監視と電磁波攻撃を受けています。
警察にも相談しようかと思いましたが、既に例の集団の手先に成り下がっているのでできませんでした。私が少しでもその話題に触れようものなら病院に向かうよう指示するのです。そこで私は病院や医師もとっくに例の集団の手に落ちているのだと(中略)
ここまでいえば流石の貴殿も例の集団が何者であるかはお察しいただけたかと思います。日本はもう終わりです。これだけは間違いないでしょう。
つきましては、貴殿には私の身の安全を保証していただきたいのです。どんな手段を取っていただいても構いません。領収書さえ用意してもらえれば雑費もお支払いいたします。
ですがもし貴殿が気づかぬうちに銀色の脳を移植されていた場合に備え、念には念を入れ、私の部下を派遣し確認させていただきます。お気を悪くしないでいただけますと幸いです。
まもなく星辰が揃う日が訪れるでしょう。その日をなんとしてでも生き延びねばなりません。そしてそれは真実に選ばれた私でなければならないのです。
早急のご連絡お待ちしております。
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「あなたが怪異の掃除人でいらっしゃいますか? 夜分にも関わらずこのような場所まで御足労いただき、平に感謝いたします」
そう言って頭を下げたのは40代も半ばの男性だった。物腰は柔らかいが、優しげな八の字眉毛といい少し掠れた声といい、どことなく苦労人の気配が漂っている。
僕は薄汚れた作業着の裾を無意識にはたこうとして、やめた。まだこの服装には慣れなかったけど、先方が指定してきたのだから平気そうな顔を保つべきだろう。
僕らは、今にも潰れそうな廃屋の中に呼び出されていた。
「私の名は弁爾と申します。このたびは依頼主より指示されてこちらに参りました」
「ええ、初めまして。私が怪異の掃除人、曽根崎慎司です。今後は曽根崎とお呼びください。こちらは補佐の竹田」
「竹田です。よろしくお願いします」
「つきましては弁爾殿、早速ご依頼人のお名前をうかがいたいのですが」
青いキャップを被った曽根崎さんが尋ねると、弁爾さんは途方に暮れた顔で肩を落とした。
「申し訳ございませんが、まずは曽根崎様と竹田様が銀色の脳の持ち主でないか確認させてくださいませ。すぐに終わる簡単なテストです」
「承知しました。こちら側の準備は?」
「ございません。肩の力を抜いてリラックスしていてください」
そう言うと弁爾さんは作業着のポケットから小型の機器を取り出した。聴診器に似ているが、本来イヤーピースがある部分には黒い箱のような機械が取り付けられている。彼は先の部分を曽根崎さんの額に当てると、黒いダイヤルを忙しなく回し始めた。
……そこはかとなくオカルトな光景である。柊ちゃんが見たら手を叩いて喜びそうだな。
「ご依頼主曰く、銀色の脳は普通の脳とは違い、頭蓋骨の中でゆっくりと自転しているそうなのです」弁爾さんが曽根崎さんに説明している。「その際に発生する擦れるような音で見分けられるのだと」
「なるほど。では、この機器はその音を分析できるのですね」
「いえ、分析するのは機器ではございません。この機器の向こうにいるご依頼主が耳で聴き、判断します」
「……なるほど?」
「銀色の脳を持った者がいると知ったご依頼主はすぐにこの方法を閃き、遠隔でも集音できる機器を発注しました。今のところ、銀色の脳を持つかどうか見分けられるのは世界中を探してもこの方しかいないでしょう」
「なるほど?」
曽根崎さんの相槌が適当になってんな。というか、頭の中の音を聴くのに喋っていて大丈夫なんだろうか。
「はい、おわりました。曽根崎様の脳の音は非常にクリアだったそうです」
大丈夫だった。見た目によらず機械の通信性能はいいらしい。
「次は竹田さんですね。どうぞこちらへ」
促されるまま弁爾さんの前に立ち、額を突き出す。ぺたりと聴診器を当てられると、なんだか保育園の頃に付き合わされたおままごとを思い出した。
「……ふむ……ん? なんと……」
だが様子がおかしい。弁爾さんは困惑を隠そうともせず、「しかし」「いやでも」と呟いている。そこでようやく、僕は彼がイヤホンをつけているとわかった。
弁爾さんは少し黙考したのち、八の字眉の端を更に下げた顔で僕を見た。
「恐れ入ります。ご依頼主がおっしゃるには、竹田様の脳に異常音が認められたとのことです」
「え!?」
「銀色の脳の持ち主が関係者に存在する以上、ご依頼主が表に出てくることはありません。この話はなかったことに……」
「ま、待ってくれ! 竹田が銀色の脳をしているだと!?」
そそくさと去ろうとした弁爾さんの肩を曽根崎さんが掴んだ。
「なんということだ! こんな身近にスパイがいると気づかなかったなんて……! 教えてくださってありがとうございます!」
「え……」
「しからば、人ならざる人類の敵に天誅を!」
言うやいなや、曽根崎さんの長い体が僕の前に躍り出た。腹部に軽い衝撃。目を落とすと、僕のお腹が真っ赤に濡れていた。曽根崎さんが引き抜いたその手には、血の色に染まったナイフが――。
それを認識した瞬間、僕はお腹の底から叫んだ。
「うわあ! やーらーれーたー!」
「ヒィッ! ヒィーーッ!!」
だけど最高の演技をしてその場に倒れたにも関わらず、弁爾さんは脇目も振らずに逃げてしまった。残されたのは、ありふれた手品で僕を血糊まみれにしたオッサンと、名俳優の僕。
「……」
「……」
曽根崎さんの目に僕への非難の色が見て取れる。そいつの腹に向けて、僕はそれなりの一撃を叩き込んだ。





