1 二通のメール
その奇妙なメールが送られてきたのは、雨がしきりに窓を叩く日だった。
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私のことはご存じないかもしれません。ですが怪異の掃除人ならばきっと私が見聞きした恐怖についてはご存じでしょう。今にして思えばあれは窓だったのです。元はといえば南極大陸の海百合生物がその箱を設置したのが間違いでした。電気を止めないでください。私は電気料金を余分なほど払っているのですから本当にやめてください。
とにかく私は選ばれたのですからそれも当然と思い彼らの本拠地へと向かったのです。これもまた間違いでした。私はそこで恐ろしい真実を知りました。私が今まで見たすべての認識は真実と非常に食い違っていたのです。その日から私は狙われ始めました。彼らの仲間になるべきだったでしょうが、それも恐ろしくてできませんでした。今は自らを守る地下を作るべく穴を掘っています。
銀色の脳が私を呼んでいます。命を失ったはずの肉体が罵っています。人類は滅びます。信じてください。これらは全て真実です。
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ついさっき取得したかのようなフリーメールと、「助けてください」というタイトル。そしてこんな内容だったものだから、当時の僕は陰謀論じみた迷惑メールかなと考えたものだった(怪異の掃除人宛のメールアドレスを入手する方法は二つある。ツクヨミ財団や警察から教えてもらうか、以前曽根崎さんが作ったという個人Webサイトから辿り着くか。このメールは後者だった)。
だけど僕が判断するのもどうかと思い、メールを印刷して曽根崎さんに見せたのである。この時、既にメールが届いてから6時間ほど経っていた。
「気になるな」
文面を一瞥した曽根崎さんは、珍しい反応をした。
「景清君、この人物にメールを返してみてくれ。当たり障りのない内容でいいから」
その指示のとおり、僕は事務的な返事を書いた。返信はすぐにあった。
メールサーバから、宛先不明を知らせるものが。
それを曽根崎さんに伝えると、しばらく顎に手を当てて考えたのち彼はこう返したのだ。
「じゃ、いいや」
――翌日、一人のインフルエンサーが怪死したとの報道が流れた。彼女は自宅マンションの裏で自ら掘ったと思われる深さ数センチの穴の中に頭を突っ込み、その状態で感電死していた。しかし不思議なことに周りに漏電するようなものは一切なく、落雷も観測されていなかったという。
この出来事と例のメールに関連性があるかはわからない。でも、助けを求めてきたメールへの返信が間に合わなかったことへの渋い感情だけは、ずっと僕の胸の一部にこびりついていた。
だからこそ、今回の僕の動きは速かったのだ。
「何がおはようございます、だ」
目の前には心底迷惑そうな声の曽根崎さん。ベッド代わりのソファに身を横たえ、お腹の上に読みかけの本を開いて置いている。なぜかヤツの頭でヘッドランプが光を放っているため直視は難しいが、きっとしかめ面をしていることだろう。
「深夜二時にその挨拶は気が早すぎるだろ。200歳か?」
「いくらお年寄りだからって指数関数的に朝が早くなるわけじゃないんですよ。いいから聞いてください。また変なメールが届いたんです」
「また?」
曽根崎さんの中では、以前のメールと僕が今持ってきた新しいメールは紐づいていないようだ。でもそれも数十秒のことである。印刷したメールに目を通した曽根崎さんは、すぐに身を起こしてソファに座り直した。
「なるほど、思い出した。真実がどうのと言っていたメール、あれのことか」
「はい。完全に同じなわけではないですが、結構似ている部分も多いから気になって」
「確かあの時は返信しても宛先不明になっていたんだったか。今回はどうだった?」
「一時四十五分時点では送れました。二時になった現在ではわかりませんが」
この言葉に曽根崎さんははたと僕に顔を上げた。僕の視界がヘッドランプの真っ白な光一色になる。
「まっぶし! こっち見んな!」
「わかった、こっちのライトは消そう。代わりにリビングの明かりをつけてくれ」
「えー、僕が? つかそうやって本読むのやめればいいのに……」
「この状態が一番寝落ちしやすいんだよ。それに私は部屋が明るいと眠れないから」
「ヘッドライトの真下で寝られるなら大丈夫では?」
「しかし優秀じゃないか、君。私に指示されるより先にメールに返信しているとは。いい手際だ、褒めてやろう」
「あ、ありがとうございます」
心なしか弾んだ声の曽根崎さんに、単純な僕はあっさり機嫌が直ってしまった。実は僕自身も密かに上手く動けたと思っていたのだ。
「それで、次のメールは?」
「いえ、まだ……あ、今来ました。読み上げます」
「おい、自分のスマートフォンに怪異の掃除人宛のメールを受信できるようにしてるのか? 私の許可は?」
「う……すいません。ここのところドタバタしていてすっかり忘れていました」
「そうか。だが今後は仕事に関わることならなんでも事前に報告しておいてくれ。一言メッセージを入れるだけでもいいから」
「はい、わかりました」
一気に気持ちがしょんぼりとする。ひとつうまくいったと思っても別のところでミスをしては台無しだ。だけどここで反省のポーズを取り続けるのも違うと思い、僕はついさっき届いたばかりのメールに目を落とした。
――結果として、僕らは深夜にも関わらずすぐに準備を整えてタクシーを呼ぶことになった。またしても、怪異は曽根崎さんを手招いていたのだ。





