番外編 シスター二河の最期
シスター二河の最期
主イエスは私達人間と同じ道を歩まれ、同じ苦しみを負い、人の罪を引き受けて磔刑に処されました。
主は人の苦しみをご理解くださる。痛む足を撫で、滴る汗を拭き、先の閉じた最後の時までおそばにいてくださる。
だから私はどんなに過酷な道だろうとたった一人で歩めるのです。さっと吹いた風やまばゆい日差しの中に主の存在を感じ取れます。祈りの声に静かに耳を傾けてくださる主の穏やかな横顔を見ます。主よ、主よ、私はあなたのしもべ。人の喜びを我がこととし、苦しみを共に抱く方。
ですから、土石流の下敷きとなりここで命が潰えようとする今も、何一つ後悔はしていなかったのです。強いて心残りを述べるなら、せっかく恵んでいただいた食糧を駄目にしてしまったこと、そしていまだ被災地で苦しむ人々に施しができないことでしょうか。ですがどんな人の心のなかにも善があると私は知っています。私以外の善が迷える彼らを救うに違いないと信じていました。
ですが、ああ、なんということでしょう。下半身が潰れ、腕は二目と見られぬほどに曲がって、真っ暗闇の中で肺に残った僅かな空気をやりくりしている今。突如として私は主の存在を感じられなくなってしまったのです。
抉れた目であろうと主を見られるはず。破れた鼓膜であろうと主への賛美歌を聴けるはず。それなのに、それなのに。
私の心にはじわじわと不安が広がっていました。凄まじい痛みも私を挫けさせる一因になっていたことは言うまでもありません。主は私を見てくださっているでしょうか。なぜ私はこのような目に遭わねばならないのでしょうか。手のひらに穴を空けられ命尽きるまで吊り下げられ晒し者にされる主と、全身の骨と肉を潰されながら誰にも知られず土の中で終わりを迎える私とではどちらがより残酷でしょう。いえ、比べるだけ愚かだと知ってはいるのです。ですがこの時の私は、自分一人の力ではどうすることもできないほどに弱い人間でした。
主よ、せめて、あなたの存在を感じたい。
秋の風に混ざる冷たさにあなたが微笑むのを見ました。撫でた野良猫の背にあなたが指が重なるのを感じました。それらがどんなに私の心を励まし強くしたでしょうか。
土に温度を宿してくれるだけでいいのです。あるいは、ほんのかすかに土をずらして星を見せてくれるだけで。
それだけで、私は。
主よ。
主よ。
主よ。
……。
閃光が私の身を貫いたのはその時でした。あまりの衝撃に私を構成する細胞という細胞が燃え尽きたのだと思ったのです。ですがそれは間違いでした。私は、生まれ変わっていたのです。
どこからともなく不思議な力が湧いてきて、試しに腕を大きく振り回してみました。するとまるで水をかき分けるかのように、私はすんなり土の中を泳ぐことができたのです。私は初めての感覚に子供のように夢中になって地上へとその身を浮かばせました。
あの時の感動をどう表現すればいいのでしょう。肺を満たすひんやりとした夜の空気と降るような星空。そして、そこから流れる美しくもおぞましい旋律。夜のオーケストラは私の聴覚と心を掴んで離さず、私の身をその場に釘付けにしました。
ああ――主よ。
ずっと、そこにいらしたのですね。
この奇跡を歌いましょう。
主から与えられた緑色の血を皆にも分けましょう。
愛を蘇らせ、人の苦しみを取り除くのです。
そして、再びその愛が奪われることのないように。
私が守りましょう。
私が導きましょう。
主よ。
主よ。
私は、二度とあなたを見失いません。





