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続々・怪異の掃除人  作者: 長埜 恵
第8章 それはされど幸福な
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35 必要だったのは

 僕の体が、無意識のうちに僕を動かしている。

 にわかには信じがたい話だったけれど心当たりはあった。少し前の事件を通して得た〝解読者〟としての知識。その膨大な量に一時は思考全てを食いつぶされそうになった僕だが、気合いでそれら知識を制圧し従えることに成功したのだった。

 ……今思い返しても意味がわからない。でも実際起こった以上受け入れるしかないだろう。

 よって僕の体を守る行動をとった何かがあるとしたら、この〝解読者の知識〟だと思うのだけど――。

「あくまで可能性の話だがな」

 曽根崎さんも同意見らしく、うんうんと頷いている。

「〝解読者の知識〟の行動原理は生存本能に近いのだろう。あの時の君は神に繋がる門を前に危機に瀕していた。対抗曲を声に出していなければ座間氏同様あちら側に連れて行かれたに違いない」

「だから〝解読者の知識〟が勝手に僕の記憶を引っ張り出して体を動かしたと?」

「そう。寄生体としては宿主に死なれちゃ困るからな」

「寄生体て」

「体内にある異物には違いないだろう? だが君が不利益を被らず互いに利を得ているのなら寄生という表現は必ずしも正しくない。引き続き経過観察と検証が必要だ」

「今実験用モルモットの気持ちをうっすらと理解し始めています」

「君は優しいやつだな」

「慈愛に目覚めたわけじゃないです。他人事と思えなくなっただけです」

 だけど曽根崎さんの言葉はそのとおりで、頭の中にあるものに対して僕ができることはないのだ。

 ……正直に言うと、手の形をした黒いモヤに心臓を撫でられているような不快感があった。助けてくれていたのなら悪い存在ではないのかもしれないけれど、あの時の僕が取りたかった行動は座間さんに話しかけることだ。それなのに現実の僕の体は歌うばかりで、座間さんに伝えたかった言葉は届いていなかった。僕の意思よりも〝解読者の知識〟の意思が優先されてしまったからである。

 ――僕の脳と体は、いつか僕が知らない間に〝解読者の知識〟に取って代わられるかもしれない。そう思うと目の前が暗くなる気持ちだった。

「……ん? 景清君、その服ってそういう模様だったか?」

「え? ……あ」

 だけどその思考は阿蘇さんの指摘によって打ち切られる。彼が指さしていたのは服に染み込んだ赤黒いシミ。それでやっと僕は数十分前に起きたことを思い出したのだ。

 同時に、鈍い痛みも。

「いた、いたたた……」

「か、景清君?」

「すいません、阿蘇さん。僕、宇津木さんにナイフで刺されたんです」

「藤田直和!!」

「宇津木さんです、宇津木さん」

 傷を押さえてその場にうずくまりながら阿蘇さんにツッコむ。この兄弟、なんで藤田さんを責める時にフルネームを叫ぶんだ。

「忠助、見てやれ」

「兄さんは傷見るの怖いもんな」

「そんなことはない。私は周囲に気を配る役を担おう」

「わかったわかった。ほら景清君も手をどけて」

「うう、なんだかめちゃくちゃ痛い気がしてきました……。これ多分輸血しなきゃ助からない傷」

「大丈夫だって」

 血でばりばりになった服を捲りあげて阿蘇さんに確認してもらう。幸い、ナイフは皮膚の浅い部分を少し広く削っただけで僕が思うほどの怪我ではなかった。

「傷薬がほしいな。清潔な包帯も」阿蘇さんは立ち上がり、ぐるりと首を回す。「家を片っ端から調べりゃ見つかるんだろうが」

「僕は平気ですよ。傷の具合がわかったらあんまり痛くなくなりました」

「そりゃよかった。でも専門機関で診てもらうに越したことはないし、傷口から菌が入ってもいけねぇから処置はしとこうな」

「菌? ……また痛くなってきた気がします」

「君、恐怖心で痛みがガン増しするタイプか」

「痛い。怖い。手術して菌を摘出しなきゃ助からない」

「大丈夫だから」

「そう、もう大丈夫だよ」

 僕がまた傷を庇ってしゃがみこんでいると、ずっと遠くを見ていた曽根崎さんが口を開いた。併せて聞こえてきたのは、たくさんの話し声と足音。

「計画は成功だ。助けが来たぞ、景清君」

 曽根崎さんと同じ方向を見る。海岸へと続く道から現れたのは、藤田さんと彼と一緒に逃げた方舟の人たちだ。藤田さんの手には、曽根崎さんが持っていたはずのツクヨミ財団のレーダーが握られている。そして――

「やあ! やーっと正義の味方のご到着だよ! 諸手を挙げて歓喜の声をあげるといい!」

 ツクヨミ財団の理事長、田中さんだった。




 それからあれよあれよという間に事態は収束し、気づけば僕は船に乗っていた。

 ぼんやりと手すりにもたれて、揺れる木彫りの十字架越しに波の狭間を見つめる。こうしていると、船が進んでいるのか海が逆流しているのかわからなくなりそうだ。

「お疲れさん。おかげさまで計画どおりにコトが進んだよ」

 そんな僕の隣にやってきたのは曽根崎さんだ。背の高い影が、ゆらりと海へと伸びる。

「途中藤田君が君への言伝を忘れるという不測の事態もあったがな。結果的には十分成功の範囲だろう」

「対抗曲の件ですよね? あれ、藤田さんは曽根崎さんが伝える手筈だったって言ってましたけど」

「そんなことはない。私に瑕疵はないはずだ」

「どうですかね。あんたも大概うっかりだから……」

「チッ、いいよいいよ。そこまで言うなら今後は逐一書面を用意した上で行動に移すことにしよう」

「腹いせに手続きを煩雑にしないでください。風通し最悪の職場かよ」

 ツッコんだ拍子にチリとお腹の傷が引き攣った。それを悟られたくなくて、わざと大げさにため息をついてうつむく。風に漂う潮の味が、かすかに舌に張りついた気がした。

「……曽根崎さんの計画は、成功でしたね」

「ああ」

「僕の計画は失敗しましたが」

「あれは計画と言わない。期待と言うんだ」

「依頼主の座間さんを助けることがですか?」

「そうだ。座間氏の依頼は方舟集落までの同行。そこから追加された依頼はない」

 一息分の間が空く。そして曽根崎さんは断言した。

「我々の計画――島からの脱出のために必要だったのは、座間氏ではなく宇津木氏だった。だから私は彼を懐柔するためだけに、すべての舞台を用意したんだ」


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【書籍化情報】
怪異の掃除人・曽根崎慎司の事件ファイル(宝島社文庫)
表紙絵
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