34 メッセージ
「そんなバカな」
僕と阿蘇さんが言葉を発したのはほぼ同時だった。だって、そんなことありえない。
「つまり、座間さんの体はまだそこにあるけど、本人の魂が持っていかれたせいで見えなくなってるって言いたいんですよね? でもそれ変ですよ」
「景清君の言うとおりだ。兄さんの理屈だと、すべての人間は死んだ瞬間肉体が見えなくなることになる」
「そう。ゆえに一般的には死んだ人間にも魂なるものが残存していることになる。それはたとえ燃やされようが砕かれようが変わらない」
「じゃあ人間は死んでも意識を保ってるってことですか?」
「違う。私が考える定義では意識と魂は一致しない。もっとも、魂に対して意識は十分条件ではあるが」
何を言っているかわからない。阿蘇さんもそうなのだろう。今の僕らは眉毛の角度まで同じだった。
「……忘れてくれ。これはあくまで私の仮説だ」曽根崎さんはふいと座間さんがいた場所から目を逸らした。「狂気に片足突っ込んだ男の戯言だと思ってくれていい」
「片足?」
「半身浴ぐらいはしてるんじゃ?」
「私の言っていることがわからないからって幼稚な揚げ足を取るんじゃない」
それで曽根崎さんの見解はひとまずおしまいだった。かといって助けるべき人がいないのにここに残る意味はない。僕らは藤田さんがいる場所に移動することにした。
だけど、その場を去ろうとする直前。
「景清君」
阿蘇さんが僕を声をかけ、手招きをした。彼がしゃがんでいるのは座間さん夫妻が最後にいた場所だ。僕はまた心臓をぎゅっと握りつぶされたかのような気持ちになった。
「ど、どうしました?」
「ここに君あてのメッセージが書かれてある。来てごらん」
「僕あての?」
思わず目を剥いた。おそるおそる近づき、阿蘇さんの隣に座る。それは地面に指で書かれたもので、雨でも降ればたちまち消えてしまうだろうと思われた。
でも、読めた。一字一句、はっきりと書かれていた。
『すまない景清君。彼女が何であろうと置いていけない。私はもう二度とスミレを一人で送り出したくない』
『君を息子と呼べて嬉しかった。私も君のような息子がほしかった』
瞬間、感情が僕の胸の内側から湧き出した。巨大な渦になって僕の思考を呑み込もうとするのを感じ、急いで頭を振る。突きつけられた無力感をごまかそうと、僕は無意識に地面の文字を消すべく手を伸ばしていた。
「……」
が、思い直してやめる。代わりに、その隣に文字を書いた。さっきの曽根崎さんの言葉が頭に残っていたせいだろう。もし座間さんの体が見えなくなっただけでそこにあるのなら、意味はないとしても僕の言葉を置いていきたいと思ったのだ。
『はい』
『僕もあなた達を父さん母さんと呼べて幸せでした』
「後悔しているのか」
上から降ってきた声に驚いて飛び上がった。見上げて目に飛び込んできたのは、冷ややかな不審者面。
「座間氏は今際の際に君の助けを拒否し、妻の形をした傀儡と運命を共にすることを決めた。そこに君が介入できたとは思えない」
「わざわざ言われなくてもわかってますよ。……」
「何か疑問でも?」
「スミレさんは、自分の耳を塞いでいた座間さんの手を取って、僕の耳に押しあててくれました」十字架に目を落とす。「もし彼女が本当にシスターの傀儡だったのなら、ラッパの音を聞かせないようにするこの行動は変じゃないですか? だって神様のもとに行く人間は一人でも多いほうがいいんですから。だからもしかしたら、スミレさんは座間さんと過ごす間に本当にスミレさんそのものになったんじゃないかって思って……」
「だが結果はどうだった?」
「それは」
言うまでもない。座間さんは僕の耳から手を離して、スミレさんを一人で行かせるまいと彼女を抱きしめた。その弾みで座間さんの耳を塞いでいた僕の手は彼から離れてしまい、二人は二度と帰らぬ人となったのだ。
「アレは全て織り込み済みだったんだろう」
氷のような冷たい声で曽根崎さんは言う。
「君が座間氏の耳を塞いだままだったら、アレは彼すら連れて行くことができなかった。だからこそセンチメンタルな一芝居を打ち、座間氏を動揺させて自分側につけたんだよ」
「センチメンタルな一芝居って……いや待ってください。今『彼すら連れて行くことができなかった』って言いました? その言い方だと、最初から僕は連れて行くことができないってスミレさんに思われてたことになりますけど」
「そうだよ。大声で対抗曲を歌っている君を連れて行くのは至難の業だろう」
対抗曲とは、以前遭遇したある事件を解決するために作られた旋律のことだ。シスターのラッパと同じく神に繋がる『The Deep Dark』という曲。聴き続けていれば狂ってしまうその音楽に唯一対抗できるメロディーを、僕は藤田さんと一緒に演奏したことがあった。
演奏したことはあったけれど……。
「僕、対抗曲なんて歌ってませんでしたよ?」
「は?」
「はい、歌ってたのは普通のJ‐POPです。同じ空の下、届かない僕の声で君の名を呼んでいました」
「該当する曲が多すぎる。え、君はそういう認識だったのか? 私のもとに戻ってきて対抗曲を歌う手筈だと藤田君から聞いていたんじゃなかったのか?」
「藤田さんからは『助けたい人がいるんだろ? 行ってこいよ』とかっこよく送り出してもらいました」
「藤田直和!!」
怒りのあまりフルネーム呼びだ。どうやら僕の知らないところで行き違いが発生していたらしい。
「だが、君は間違いなく対抗曲を歌っていた」
気を取り直して曽根崎さんが言う。
「君の歌を直に聴いて助かった私が言うんだ。間違いない」
「あの時の曽根崎さん、僕を助けに来たんじゃなくて自分が助かりに来てたんですか」
「そうとも」
「堂々と言う」
「そして少なくとも私が観測した限りでは、君は一度も対抗曲を歌うことをやめていなかった」
「いや、そんなはずないですよ。僕は座間さんと会話をして……」
「それはない。座間氏が君に話しかけているのは見たが、逆はない。君はずっと対抗曲を歌っていた」
「……」
「ゆえに、座間スミレも危機感を覚えて君を邪魔したのだと判断していたんだが……」
曽根崎さんは一呼吸置いて続ける。
「君の脳と体は、無意識のうちに君を守る行動を取っていたのかもしれないな」
鋭い目つきは僕の脳の中を覗いているかのようだった。





