24 人間じゃない、なら
その場に崩れる藤田の腰に手を回し、阿蘇は彼の体を支える。それから雑に床に転がしておいて、阿蘇は集落の人々を振り返った。
視線の先は不気味なほどに静まり返っており、皆一様に無感情な目で阿蘇を見つめていた。
「ラッパ……」
誰かが呟く。途端に火が燃え広がるようにして全員ががなり立て始めた。
「そうだ、ラッパだ! シスターのラッパを返せ!」
「持ってるんだろ!?」
「盗まれたって聞いたわよ! 返しなさいよ!」
怒号の渦の中心で、阿蘇は怯まずまっすぐ立っていた。が、鞄のチャックを開けると手を突っ込む。
複数人が息を呑んだ。集落の人々の前に、くすんだ金色のラッパが掲げられていた。
「ああ、俺が持ってるよ」
阿蘇の声だけが地下に反響する。
「心配しなくていい。ちゃんと傷ひとつない状態だし、返す気もある。だが、俺と藤田に手を出さないことが条件だ」
「……!」
「もちろん、俺らの親族にあたる曽根崎慎司と竹田景清にも危害を加えるな。いずれかの条件が破られた瞬間、俺はこのラッパを床に叩きつけて壊す」
僅かに持ち上がる阿蘇の腕に集団がざわめく。先頭にいた一人の女性が嗚咽混じりの大声を張り上げた。
「そんな理屈が通るわけないでしょ!! 私は夫を――ジョウジさんを殺されてるのよ!? アンタは見逃してやってもいい! だけどその男は許さない!!」
「……夫か」
女性は藤田を指差していたが、阿蘇は射線を断つように立ち位置を移動する。そして床に広がるゴミの塊を一瞥した。
「その夫の正体は、こうだったわけだが」
「だから何!? 私にとっては唯一で、やっと帰ってきた夫だったのよ!! それが、あんな酷い殺され方をして……!」
「本物じゃねぇ。本物によく似せて作られた偽物だ」
「違う!!」
女性の声は胸が潰れるような苦しみに満ちていた。そんな彼女を阿蘇はじっと見据えていた。
「あなたは何もわかっていない! 彼の中身がゴミを寄せ集めた異形だったとしても彼は間違いなくジョウジさんだった! 私の記憶にあるとおり、優しくて、頼もしくて……! 返してよ! ジョウジさんを返して!!」
「そうだ……サユリさんの言うとおりだ」
わっと泣き崩れる女性の隣からふらっと出てきたのは、一人の男性である。彼は阿蘇を見ていなかった。藤田が滅多刺しにしていたゴミの山を凝視していた。
「俺達はそいつもお前も仲間にしてやろうとしただけなのに、なぜこんな仕打ちをされないといけない? 永遠に愛しい人と一緒になって……幸福になれたのに」
「どうかしてる! この人達には人間らしい温かな心がないのよ!」
「そうか、同じじゃないんだ……。同じ人間じゃない。血が通っていて骨も肉もあるかもしれないが、肝心の心を持っていないんだ」
「あんた達に比べたら、たとえゴミでできていたとしてもジョウジさんのほうがずっと人間らしかった!」
「人間じゃない。人間じゃない!」
「人間じゃないなら、殺していい!!」
「ああ、だが、ラッパが……!」
「どうしてそこまで残酷になれる? どうして……!」
絶え間ない怨嗟の声が阿蘇と藤田を取り囲んでいる。しかし阿蘇はまったく臆せず、いつでもラッパを床に叩きつけられるよう神経を尖らせていた。
だがこの膠着状態は、ラッパを取り戻したいという住民たちの共通意識によってかろうじて保たれているにすぎない。もし一人でも瓦解すれば、呆気なく自分と藤田は袋叩きにされると阿蘇はわかっていた。
蒸し暑い。生臭い。空気が重い。呼吸が苦しい。これ以上はどうにもできない。
――地下に眩いばかりの光が差し込んだのは、この時である。
「やあやあやあ、やはりここにたどり着いていたか、我が弟の伉儷よ」
聞き慣れたもったいぶった話し方に思わず顔を上げる。が、懐中電灯の光にすぐに目を潰された。
「無理もない。突如何の説明もなく愛しい配偶者を奪われたんだ。方舟の人々との関連性を疑い、かの者たちにとって大切なラッパを盗んで取引に持ち込もうと考えるのもむべなるかな。だが状況を見るに、少々短絡的と言わざるを得ない」
「……どういうつもりでそこにいる? 義兄さん」
阿蘇の問いに、懐中電灯を持つ曽根崎は不気味に口角を吊り上げた。だがその表情は、阿蘇には逆光で見えなかった。
「なぁに、単純な話さ。私とてかわいい弟が嬲り殺されるのは非常に心苦しい。だからこうして手助けに来たんだ」
「そんなのだめよ、曽根崎さん!」
叫んだのは先程の女性だ。
「こいつは私の夫を殺したの! 何度もナイフで刺して……! 同じ目に遭わせるべきよ!」
「そうだ! こいつらは人間じゃない! 殺すべきだ!」
「ええ、普通はそう思われるのが人情というもの。ですが、これは私だけの結論ではないのです」
曽根崎が右によけると、地下にいた人々がどよめいた。
「そうでしょう? シスター二河」
曽根崎の声に応じて現れたのは、修道服に身を包み口元に穏やかな笑みをたたえた女だった。





