19 欲しがり屋
そのあとの夕食の時間は、信じられないぐらい和やかなものだったと思う。
「いくらでもおかわりしていいのよ。たくさん作ったから」
「妻の唐揚げは絶品なんだ。景清君と慎司君にもそう思ってもらえると嬉しいな」
「あら、景清君。ほっぺたにご飯粒がついてるわよ」
「こうしていると、まるでずっと昔から家族だったみたいだね」
飛び交う会話は僕を優しく包み、否が応にも胸のうちを掻く。――スミレさんは人じゃない。僕が教会の地下で見たように、そして阿蘇さんが教えてくれたように。彼女の正体はゴミを固めて作られた人モドキだ。
だから、絆されるなんてもってのほかなのに。
狭い喉に無理矢理食べ物を通していく。たくさんお茶を飲んだ。主張が強いランタンの明かりに、スミレさんと座間さんの穏やかな横顔が照らされている。――家族。そんな言葉が会話に出てくるたび、僕は自分の本音に必死で蓋をした。
「そういえばスミレ。景清君に渡す十字架はできたのかい?」
「それがね」
座間さんに話題を振られ、スミレさんは眉尻を下げる。彼女が座る傍らには、彫刻刀などの刃物が入った小箱があった。
「まだ全然できていないの。いつもなら二時間もあれば完成するのに……」
「おや、君にしては珍しい」
「サボっていたわけじゃないのよ? うーん……お友達とやったほうが手が動くのかしら……」
小箱から覗く木片は、ほんの端っこが削られただけで少しも十字架の形になっていなかった。
スミレさんが十字架を作れなかったのは、人に見られていないがために動けなかったからじゃないか?
「そうだろうな」
僕の推論に、隣で布団を並べて寝転がる曽根崎さんが頷いた。食事を終えた僕らは、仮の自宅へと帰ってきていた。
「スミレさんはこれまで座間氏と共に動くことが多かったはずだ。しかし、今日は祭りが明後日に迫り座間氏は留守にしていた。観測者がいない以上、彼女は一定時間以降静止してしまう」
「……」
「不服そうだな」
「そんなことは」
慌てて否定する。――曽根崎さんから見る今の僕は、不合理極まりない存在なんだろうな。実際自分でも歯痒く思っていたので、彼の視線を遮るために布団をかぶってしまう。ちょっとだけ隙間を開けて、会話はできる状態にした。
「情の深いことだ」
案の定、彼から発されたのは呆れ声だった。
「ついでに欲も深い」
「う……」
「足るを知るべきだよ。君は既に〝そういうもの〟を得ている」
「え?」
曽根崎さんが言ったことの意味がわからなくて、頭を持ち上げる。だけど尋ねる前に、布団の足側に何か入り込んできた。
「これ」
左足首につけたアンクレットが引っ張られる。え? いや、ちょ。
コイツ、足の指でアンクレット掴んでる?
「やめろ!」
「起き上がるの面倒くさい」
「だからって足を使うな! アンタつくづく器用ですね!?」
「わからず屋の欲しがり屋にはこの対応で十分だろ」
「わからず屋って……!」
「そんなに君は〝家族〟からの〝十字架〟がほしいのか?」
念を押すように単語に重さが乗る。妙に暗喩的で、僕は思わず言葉を詰まらせてしまった。
勢いで出てしまった布団から見たのは、思ったより近い曽根崎さんの不審者面。まだ、彼の足の指は僕のアンクレットに引っかかっていた。
「……これじゃ、足りないか?」
冷たい目に息が止まる。いや、そう思っているのは僕だけだ。曽根崎さんのほうは違う気持ちなのかもしれない。
「君が満ちるには、どうすればいい?」
低い声に段々落ち着かなくなってくる。どう返しても正しい気がしない。曽根崎さんを納得させられると思えない。
「あ、の」
声がうまく出てこない。そもそもまともな返事すら用意できていないのだ。だけど僕が変な汗を流しながら、見えない制限時間に焦っていた時である。
「もし、もし」
コンコン、とドアをノックする音と女性の声がしたのだ。僕は跳ね起きた。
「は、はい! います! どなたですか!?」
「二河です。夜分にすいませんが、どうしても聞きたいことがございまして……」
「聞きたいこと?」
なんだろう? わからないけど、とりあえず助かった。僕は曽根崎さんと視線を合わさないまま、シスターを迎えるためにいそいそとドアに向かったのである。
けれど、すぐに後悔した。ドアを開けた僕が最初に感じたのは強烈な悪臭だった。
「実は、大切なラッパを失くしてしまいまして」
生ゴミを頭に乗せたシスターの前髪から得体のしれない茶色い汁が垂れる。だが彼女はいつもどおりにこやかに首を傾げている。
「どなたかがうっかり間違って、自分の荷物に紛れさせてしまったのかもしれません。恐れ入りますが、おうちの中をあらためさせてもらってもよろしいですか?」
「な、何を」
「ありがとうございます。神の祝福があらんことを」
僕が言葉を返す前に、シスターの後ろからどかどかと人が現れ家に上がり込んできた。「すいませんねぇ」「すぐ済みますから」と彼ら彼女らは口々に言う。顔には心底申し訳無さそうな人のいい笑みが浮かんでいた。
僕が呆気にとられる前で、次から次へと僕らの荷物が外に出される。鞄の中身は外に放置されていたゴミに向かってぶちまけられ、群がる人々に念入りに調べられていた。
その調べ方は異常だった。頭を突っ込み、ぐりぐりと指を押しあて、臭いを嗅ぐみたいに顔を擦りつける。中には、スミレさんの姿もあった。
「……ありませんね」
形容し難い狂気に満ちた数分後、シスターは残念そうに呟いた。僕らに向き直り、深々とお辞儀をする。
「大変失礼しました。あのラッパが無いと、お祭りの最後を飾ることができず、夜分に大騒ぎをしてしまいました」
「あ、いえ……」
「もし見つかったら、ぜひご連絡くださいね」
シスターの目は、ビー玉のようだった。
「お願いしますね」
その言葉を最後に、シスターと島の人達は僕らの前から去った。次は座間さんの家らしい。同じ文言で彼女はドアをノックしていた。
「……」
とりあえず、貴重品だけ回収する。服は……明日洗わなきゃいけないだろう。
「……今回は君に助けられたな」
そうしていると、家の中で隠れていた曽根崎さんが顔を出した。
「あのブツを忠助に押し付けたのはファインプレーだった」
そこでやっと僕は、自分がこの騒動の犯人だったと思い出したのである。





