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続々・怪異の掃除人  作者: 長埜 恵
第8章 それはされど幸福な
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17 判断できない

 ――この教会は、ごみ収集所の役割を担っているのだろうか。僕が最初に思ったのはそんなことだった。

 しかしすぐに違和感に気づく。普通のゴミであれば、ここに運び入れるまでに袋などに詰められるはずだ。けれどここにあるゴミはそうじゃない。全てありのままの姿で無造作にかき集められ、いくつもの山を作っているのだ。

 そしてそのいくつかの山は、地下室の中央に置かれた手術台を中心にぐるりと円になっている。

「……」

 行きたくないな。強くそう思った。

 だけどシスターを、ひいては『方舟』を知るためには調べざるを得ない。今だって曽根崎さんが口八丁でシスターを引きつけてくれているのだ。

 ……僕もそっちをやりたかったなぁ。

 今更愚痴をこぼしても仕方ないので、おっかなびっくり手術台に近づく。ぐちゃりと靴の裏で何かが潰れ、糸を引いた。見ないように努めつつ、僕はやっとの思いで手術台に辿り着く。周囲には雑多なゴミが散らばっており、手術台にあるまじ不衛生さだった。元は深緑色だったのだろう台は汚らしく変色し、広い範囲にねちゃねちゃとした生ゴミがこびりついている。ただ、台の隅にへばりついていたりんごの皮はまだみずみずしかった。


 ここで何が行われていたのだろう。


 ふと、物音が聞こえた気がして頭を起こす。見ると、薄暗い部屋の奥の壁に何かが張りつけられていた。

 収納されているわけでもない。飾られているようにも見えない。鈍い色を放つ一丁のラッパが、壁から生えた留め具にぞんざいに吊り下げられていた。

 それはラッパだった。お祭りの最後にシスターが演奏してくれる楽器である。

 躊躇ったものの、意を決してそちらに向かう。視界に映るラッパが少しずつ近づいてくる。心臓は痛いほど胸の内側を叩いている。

 ラッパは、何の苦もなく僕に接近を許した。指先でつついてみたけれど、想像通りの音と手応えが返ってくるばかりで特に異様なことは起こらない。


 ――どうすべきだ?


 僕は、ラッパに人差し指を伸ばした状態で固まっていた。


 ――ラッパは祭りの最後に鳴らされる。それが悪いことになるんじゃないかって予感はずっとある。でももし、ここで僕がこのラッパを壊したら……。


 つばを飲み込む。部屋の空気の一部を身に取り込んだ気分になって吐きそうになる。


 ――もしかしたら、何かを食い止められるんじゃ……。

  ラッパを掴む。やはりラッパは、僕にされるがままだ。

「……」

 手にしたラッパを留め具から外し、頭の上まで持ち上げる。僕の目は床を睨みつけている。手にかいた汗でラッパが滑り落ちそうだ。

 そうやって、数秒。逡巡のあと、僕は強く掴んだそれをゆっくりと体の横にまで下ろした。

 僕は、何も判断できなかった。目をつぶり、うなだれる。

(ごめんなさい、曽根崎さん)

 自分の判断力と自信の無さを呪いながら、僕は部屋から出るべく踵を返した。




「――いや、その流れで普通ラッパを盗んで帰ってくるか?」

「だって」

 僕と曽根崎さんは、阿蘇さんの家で集合していた。家主不在のトタン小屋に居座る曽根崎さんは、小ぶりなラッパをこねくり回していたかと思うと、片眉を上げてニヤリとした。

「君もだいぶ肝が座ってきたな。それでこそ私の助手にふさわしい」

「褒め言葉に聞こえないのはなんでですかね。で、どうですか? そのラッパ、怪しいところはあります?」

「や、一見何の変哲もないラッパだよ」

 そう言うと、曽根崎さんはおもむろにラッパに口をつけた。

 え、吹く気?

「ちょっ、曽根崎さ……!」

「ふすー」

「吹けねぇのかよ!!」

 肝という肝が冷えただろうが!! しかめ面をする僕の前で、曽根崎さんが心底不思議そうに首を傾げる。

「知ってる音が鳴らないな。壊れてるのか?」

「違いますよ。ラッパはそのやり方じゃ鳴らないんです」

「へえ?」

「ラッパ……というか金管楽器全般そうなんですけど、唇をしっかり閉じて息で震わせるんですよ。こんな感じで」

 一応吹奏楽部に所属していた恩恵で、トランペットの音ぐらいは鳴らせる僕である。僕がお手本をやってみせるのを曽根崎さんはしげしげと観察していた。だけど「ふーん、それぐらい私にもできる」とラッパを口に当てたところで、僕は慌てて飛びついた。

「ダメですって! そのラッパを吹いたら何が起こるかわからないんですよ!?」

「逆に何が起こるかはっきりするとも言える」

「取り返しのつかないことになったらどうするんですか! えーと、えーと……!」

 好奇心と負けず嫌いの権化を押し留めつつ、頭を働かせる。咄嗟に思いついた言葉を口にした。

「そ、そういえば曽根崎さん、シスターと何を話してきたんですか!?」

「お、そうだ。君にも伝えておかないとな」

 優先事項ができたため、曽根崎さんはラッパを置いて僕に向き直った。ほっと胸を撫で下ろした僕だけど、まだ安心はできない。こっそりとラッパをヤツの手の届かない場所に移動させながら、「お願いします」と返した。

「もっぱらシスターに説教されていたんだがな。どうにかその合間を狙い、船の異常性とラッパについて尋ねてきた」

「え、かなり攻めてますね。なんて返ってきたんですか?」

「概ねはぐらかされたよ。船に乗せた足が沈んだと言えばそんなはずはないと言い、エンジンが不自然だと言えばああいうものなのだと言う。ならばエンジンを見せてみろと要求したんだが、今は忙しいので祭りの後にしてほしいときたもんだ」

 はん、と曽根崎さんは皮肉めいた笑いをこぼした。

「つまり、祭りが終わる頃の我々は二度と説明を受けられない状態になっていると見ていい」

「悲観的すぎますよ」

「こんな状況だ、いくら疑ったって不十分だよ。いいか? 今の私達は島に閉じ込められているも同然なんだぞ?」

 明言されてドキリとする。――曽根崎さんの言葉は正しい。今のところ唯一の脱出手段だろう船も、足を乗せれば甲板が沈むような代物だ。信用できない。

「……あの、シスターに船を出してもらえないか聞きました?」

「ああ。だが今のところ出港予定は祭りの翌日だとさ。どうしても本土に戻りたいと粘ったんだが、露骨な困惑顔でやり過ごされた」

「曽根崎さんをやり過ごすなんてやり手ですね……」

「船は脱出手段から外すべきだろう。無論、シスターへの協力要請は論外だ」

「じゃあラッパについては?」

「うむ、そちらもぶつけてみたが言葉少なだったよ」

 曽根崎さんは頬の筋肉を引きつらせた。

「ラッパは神に繋がる聖具。返ってきたのはそれだけだ」

「スミレさんがおっしゃっていた言葉と同じですね」

「だが既に人々は神の奇跡で復活しているんだ。この上更に神と接触する理由は――」

 だけどそこまで言った時である。息せき切って飛び込んできた人がいた。

「兄さん!?」

 阿蘇さんである。曽根崎さんがいるとは思わなかったのだろう。少し身を反らしたが、大きく頭を振って言った。

「藤田、帰ってこなかったか!?」

「いや、私達は見ていないが……どうした?」

「いなくなったんだ」

 阿蘇さんは、青い顔をしていた。

「アイツ、俺が少し目を離した隙に……消えた」

 その事実に、僕の心臓は一気に冷えた気がした。


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【書籍化情報】
怪異の掃除人・曽根崎慎司の事件ファイル(宝島社文庫)
表紙絵
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