15 ラッパを吹くな
ここにいるのは、人ではない。藤田はそれを誰よりも知っていたはずだ。だが彼が抱く感情は、そう簡単ではないようだと阿蘇は察した。
「この情報を島の人達に伝えよう」
けれどあえて無視し、阿蘇は言い切った。
「自分のパートナーは感知できなくても、他のパートナーの人モドキなら確認できる。直接自分の目でバケモノだって確かめられりゃいくらなんでも目が覚めるだろ」
「待って」
だが歩き出そうとした阿蘇の腕を、藤田が掴んで止めたのだ。
「言ってどうするの? 自分のパートナーを捨てて島を出ろって言うのか?」
「そうだよ。他に何がある?」
「その人がバケモノと知った上でも一緒にいるって言ったらどうすんだよ」
「あ?」
「それでも阿蘇はその人を無理矢理島から連れ出すの?」
煩わしげに腕を振り払う阿蘇に、藤田は苦しそうな目を向け続ける。しばらく睨みつけていた阿蘇だったが、やがて諦めてため息をついた。
「お前どっちの味方なんだよ。バケモノのほうか?」
「そうとは言ってない。ただ、もう少し情報を集める必要はあるんじゃないかな」
「説得を前提とするならそうかもな。でも情報ねぇ。心当たりあんの?」
「おうよ」
意外な返事に目を剥く阿蘇に藤田が指で挟んで見せたのは、二つ折りにされた紙。阿蘇が受け取り開くと、そこには見慣れた汚い字で何やら書かれてあった。
「えー……鍵がかかった物置小屋? 村から東、プレハブ……」
「曽根崎さんにしては読める字だよね」
「名前が書かれてなくても字の汚さで特定できるのが何ともな。こんなのいつ受け取ったんだ?」
「ドアに挟んであったんだよ。ナイフ事件で大声が聞こえてすぐ外に出たろ? その時に見つけた」
「ふぅん。おおかた、自分で見つけて調べたかったけど時間がなくて俺らにぶん投げたってところかな」
「どうする? 行く?」
藤田の問いに阿蘇は歩き出す。ただし、さっき行こうとしていたのとは少し違う方角に。
「当然」
いかにも警察官らしい、正しさと毅然さを伴った低い声で。
「バケモノの証拠なんざ、見つかれば見つかるほどいいんだ」
藤田は反論しないものの、物憂げに目を伏せていた。
問題のプレハブ小屋はすぐに見つかった。それを見た阿蘇の率直な感想は、「もったいねぇな」である。正直、耐久性や素材の面から考えても今自分達が充てがわれているトタン小屋より上等なものだ。資源が限られているのなら尚更、倉庫にするより適当な者の住居にするべきではなかったか。
曽根崎の手紙にあったとおり、ドアには鍵がかかっていた。とはいえ、この点はさほど問題ないのだ。
「はいせーの」
掛け声と同時に、倉庫のドアは阿蘇の無遠慮なキックによって真ん中からへし折られた。こうなれば鍵など無意味。あとで何かしら理由をつけて謝ろうと考えながら、阿蘇と藤田は変形したドアをわきに押しやった。
が、すぐに顔をしかめる。どこか酸っぱいような肉の腐ったような悪臭が、二人の鼻をついたのだ。
「な、んだアレ……?」
原因は即座に見つかった。4坪ほどの広さのプレハブ小屋の中心にあったのは、こんもりと積み上げられたゴミの山。そしてそれに覆いかぶさるようにして横たわる白骨死体だった。
服から覗く腕は既に白骨化している。かなり長い時間放置されていたのだろう。
「ここ。物置じゃなかったのか……?」
藤田の抑えた声に阿蘇はハッとする。生活感のある内装を見回す。――そうだ、ここは物置などではない。かつて間違いなく人が住んでいた家屋だ。
けれど、なぜそんな場所を曽根崎は物置だと言ったのか? それだけじゃない。死体を放置して外から鍵をかけていた理由もわからない。何より、どうしてこの死体はゴミの山に覆いかぶさっているのか――。
「阿蘇、見て」
ハンカチで口と鼻を押さえる藤田が阿蘇に声をかける。藤田の指差す先の床に落ちていたのは一冊のノートである。死体から滲み出た体液に浸されたのだろう。表面の半分ほどが黄色く変わり、バリバリとした質感になっていた。
「ノートだけじゃないよ。ボールペンも落ちてる。……もしかしたらこれ、遺書なのかも」
「死ぬ間際に書き残したってやつか」
「読んでみる?」
言うまでもない。阿蘇はノートを拾い上げると、破いてしまわないよう丁寧に広げた。
そこに書かれていたのは、ある女性の独白だった。
何から書いていいかわからない。だけど書き残しておかないといけない。
私は母を殺した。二度殺した。
一度目は私が高校生のとき。音楽大学に通いたかった私は引き止めようと説得する母を突き飛ばした。母は机に頭をぶつけ動かなくなった。怖くなった私は近くの崖に母を連れて行って落とした。母は何度も岩場に体をぶつけ最後に波に飲まれて見えなくなった。私は母さんが見えなくなってもずっと海を見下ろしていた。
その日からうまく生きられなくなった。母さんの死体が上がってほしかったような気もするし海の底で跡形もないくらい魚に食べられていてほしいとも思った気もする。私は学校に行かなくなった。誰にも会いたくなかった。周りの人がどう思っていたかは知らない。でも私と母さんは二人ぼっちだったから誰も気にしなかったのかもしれない。私は一日中たくさんの音楽を聞いて時間をやり過ごしていた。
そこから何年か経った。私はなんとなく始めたアルバイトが案外続いてぼんやり生き長らえていた。
そうしたらある日突然母さんが家に帰ってきた。
母さんは私が突き飛ばした日の姿をしていた。袖がほつれた赤いセーターまで同じだった。私は怖がるべきだったのだろうか。だけどあの時の私はただ嬉しくて母さんに飛びついてむせび泣いた。ずっと後悔していたのだとその時わかった。
いつのまにか母さんの後ろにかわいい女の人が立っていた。彼女は自分をシスターと名乗り、崖から落ちた母さんを助け長年にわたり看病をしてくれていたのだと教えてくれた。それから、ここじゃ生きづらいだろうからと『方舟』という島に誘ってくれた。
島は私と母とシスターしかいなかった。住民はこれから増えるんだとシスターは言った。シスターが言うならそうなのかもと思った。
島には娯楽がなかった。最初はそれでよかった。母さんは許してくれたけど私は母さんに償わないといけないと思っていたから。でも段々退屈になってきた。せめて音楽がほしいと思った。それぐらい音楽は私の心と引き離せないものだった。
そう思っていた時に教会で見つけたのがあのラッパだった。金色のラッパ。懐かしい重さと金属感に嬉しくなった私はついシスターに黙ってラッパを借りた。もちろんすぐ返すつもりだったしバレたら謝るつもりだった。
だけど一度だけ母さんに披露したかった。私にとって、演奏は贖罪とあの日のわだかまりを打ち消す儀式だった。
でも間違いだった。ラッパの音を鳴らした途端母さんは崩れ始めた。私はすぐラッパを捨てて母さんに飛びついた。崩壊は止まらなかった。母さんは目や耳や鼻や口から緑色の粘液を垂れ流しながら服を着た生ゴミに変わっていった。目は魚の目玉でできていた。歯の一本一本は肉の腐ったものを無造作に丸めただけのものだった。耳は鳥の羽の残骸だったと思う。内臓はありあわせのゴミを手当たり次第に詰めただけのもので誰かが食べ残したキャベツの芯が見えた。
気づいたら母さんはゴミの塊になっていた。もしかしたらこれは母さんじゃなかったのかもしれない。でも私にとっては間違いなくかあさんだった。母さんじゃないけどかあさんだった。もしそれがわたしの望みや欲望を満たすためだけのものだったとしてもわたしにはかけがえのない母さんだった。しあわせだった。
なのにわたしはまたかあさんをころした。殺した! 殺した! 殺した!!!!
これを読む人へ。ラッパをふくな。ラッパをふけばあなたはまた大切な人をうしなう。私はもういきていられない。かあさんを二度もころしたわたしはゆるされない。
ラッパはシスターのものだから教会に返す。そうしたらおわり。わたしはかあさんの残骸といっしょに死のう。
ラッパを吹くな。
絶対にラッパを吹くな。





