14 キリストは言われました
宇津木さんは、亡くした一人娘を生き返らせるためにシスターに会いにきた。そんな彼をお父さんと呼ぶ女性が、今僕らの前を走っていった――。
「あなたの力で生き返らせたのですか?」
曽根崎さんの声にハッとする。見ると、彼は教会のドアに片腕を預けて中にいる誰かに話しかけていた。
「シスター二河。あなたは宇津木氏の願いを聞き届け、死亡した娘を蘇らせた。そうじゃありませんか?」
「まあ……買いかぶりを。私にそのような大それた力はございませんわ」
十字架が張り付けられたドアの向こうから返ってくるのは、シスターの声。優しく歌うような声色で、いたって落ち着いていた。
「ただ、奇跡が起きただけです。宇津木様のお話をよくよく聞いてみれば、偶然数日前に私が保護した女性と特徴が一致したのです。そこでまさかと思いながら引き合わせてみたところ、彼女が宇津木さんのご息女である知沙菜さんだとわかりました」
「しかし彼女が亡くなったのは半年前です。そんな彼女をあなたが数日前に保護したというのは、いささかできすぎた話では?」
「亡くなったのではありません。知沙菜さんは増水した川に呑み込まれ、行方不明になっただけです」
探る曽根崎さんに、シスターはぴしゃりと言った。
「流された知沙菜さんは、ある親切な人によって下流にて発見されました。けれど自らを証明するものは何一つ身につけておらず、彼女自身記憶すら失っていました。そうして病院でぼんやりと日々を過ごす彼女と出会ったのが、私だったのです。
ええ……一目見た時から運命的なものを感じました。彼女もまた、神に導かれいつか愛する人と再び巡り会えるはずだと。だから私は彼女を説得し、この島に連れてきたのです」
「そして数日後、偶然島を訪れた父と出会うことができた。なんとも素晴らしい偶然があったものですね」
数歩後ろに下がりながら、皮肉混じりに曽根崎さんは笑う。そんな彼に引き寄せられるように、シスターが姿を見せた。
「はい。やはり、神は我らを見守っておられるのです」彼女は敬虔な仕草で白い手を口の前で組み合わせると、目を伏せる。
「愛しく思い合う者達が不条理に引き離されるなどあってはなりません。その悲劇の不条理を奇跡でもって是正してくださるのが、神なのです」
「神、ねぇ。確かカトリックにおいて、死は逃れられない原罪だったのでは?」
「――キリストは言われました。『私は蘇りし者であり、いのちである。私を信じる者はたとえ死んでも生き、 また生きて私を信じる者は決して死ぬことがない。このことを信じるか』と」
「ヨハネの福音書ですね」
「ええ。人は原罪を負って生まれ、苦しみの中で一生を終えます。しかし神を信じれば――神がこの世にお与えくださったイエス・キリストの教えと御心を身に宿し信仰するのであれば、その者は神の手によって掬いあげられるのです。死は恐るべきものではなくなります。神は我々に復活をお与えくださるのですから」
「死者の復活とは、七人の天使が終末を知らせるラッパを鳴らしたあとの話ではありませんでしたか? キリストは三日で復活したが、我々はそうじゃない。それを今信じるだけで、かような奇跡を我々にお与えくださるとは。なんて太っ腹な神でしょう。まるで奇跡の前借りです」
「……何が言いたいのです?」
「私にはどうも釈然としないのです」
曽根崎さんを見るシスターの目から温度が消えた。軽蔑なんてものじゃない。その瞬間だけ、人としてのスイッチを切ったかのような無感情な目だった。
だけど曽根崎さんは引き攣った笑みで、鷹揚に言った。
「ですので、どうかこの疑い深い私をお導きいただきたいのです」
それが合図だった。物影に隠れていた僕は頷き、辺りに人影がいないかを確認して動き出す。
「この場所で構いません。キリストもソクラテスも言葉を交わすのに場所は選びませんでした。シスター二河、どうぞ私と対話をし、キリストの釘痕に指を入れたトマスのごとき私を悔い改めさせてください」
流暢に喋る曽根崎さんの声が遠くなっていく。彼シスターを引きつけてくれている間に、僕はすべきことがあったのだ。
教会の裏に周り、音を立てないよう気をつけながら窓を開ける。この建物だけは、他のトタン小屋に比べて大きくまた丈夫な作りをしているように見えた。けれど警戒心がないのは同じなのだろう。鍵のついていない窓は、呆気なく開いた。
――シスターが人々の蘇りに関係しているのは明らかだ。そして、そんな彼女が肌身離さず持ち、明後日のお祭りで奏でられるというラッパ……。それら秘密の一端が、この教会の中で見つかるのではないかと曽根崎さんは考えたのだ。
だから僕らは二手に分かれることにした。シスターの気を引く曽根崎さんと、中を探索する僕。正直怖くないわけではなかったけど、僕だって曽根崎さんと仕事をする上で何度もこういう状況を飲み込んできたのだ。やれないわけじゃない。
それに、この教会の中から宇津木さんの娘は現れたのである。だったらやはり、何かしらのカラクリがあるとしたらここのはずだ。
もう一度周りを見、窓を睨みつける。大きく息を吸って止め、強く地面を蹴り体を窓のへりに乗せた。
なぜかスミレさんの笑顔が頭に浮かんだけれど。頭を振って払いのけ、僕は教会の内部へと踏み入った。
「――ええ、わかりました。それでは、祭りの際にはそのようにしますね。教えてくださってありがとうございます」
整った顔を柔らかく崩し、藤田が笑う。彼の向かいにいる女性の顔は阿蘇からは見えないが、うまくやったに違いないと阿蘇は確信していた。藤田はよく相手を観察し、カメレオンのように自らの性格の色を変え調整するからだ。
「あ」
阿蘇が近づいてくるのに気づくと、藤田は女性との会話を切り上げた。阿蘇のそばに向かうにつれ、緩んでいた顔がみるみるうちに真面目なものに変わる。
「阿蘇、どうだった」
「どうも何も。同じだよ」
これでやっと五件目だ。阿蘇はさきほど自分が見てきた光景を思い返し、ため息をついた。
「パートナーが外に向かい、自宅に誰もいなくなった人間モドキは五分ほどで停止した。教会の横にいたあの女の人のようにな」
それを聞いた藤田は固く唇を結び、うつむいた。





