1 彼女は復活した
僕と曽根崎さんがいつもどおり事務所に行くと、モデルのようなイケメンのお兄さんが壁にもたれて待っていた。
「おはよ、景清」
片手をあげてニコリと微笑んだのは、僕の叔父の藤田さんである。
「お、おはようございます。どうして藤田さんがここに?」
「私が呼んだんだ」
「曽根崎さんが?」
驚いて、隣にいた雇用主を見上げる。曽根崎さんは一つ頷き、事務所の鍵を開けた。
「今日依頼人が来ることは知ってるだろ? 専門的な知識が必要になると判断して、藤田君に協力を頼んだんだ」
「専門的な知識……」
「ああ。こう見えて藤田君はエキスパートだからな」
「やだなぁ、ただの一院生ですよ」
謙遜する藤田さんだったが、彼が頼られるに値する経歴であることは僕も知っていた。若くして功績を上げ、現段階で将来的にも期待される支援を受けている。確か専門は生物学と聞いているけれど、植物学を専門とする准教授の六屋さんも藤田さんの名を認知していたぐらいだ。
ということは、今回の依頼は生物学に関与したものなのだろうか。
「つーか景清……」
考えていると、ガシッと肩を掴まれた。振り返ると、深刻そうに眉間に皺を寄せた藤田さんと目が合った。
「何お前。まだ曽根崎さんと暮らしてんの」
「あ、はい。荷物動かすの面倒で。あとこの機会にもっと安いアパートへ引っ越そうと思って」
「今の所より安いアパート!? やめろよ! 治安が羅生門の盗人レベルになるじゃん!」
「そこまで酷いとこには住みませんよ!」
「じゃあなんで曽根崎さんと住んでんだよ!」
「曽根崎さんって羅生門の盗人レベルだったんです!?」
視界の隅では、僕らのやり取りをスルーして開業の準備をしている曽根崎さんがいる。僕も朝の掃除をしなければ。
「ねぇオレと暮らそうよぉ」
「毎日三回オヤツ食べていいからさぁ」
「あんな男、叔父さんは許しませんよ!」
僕の肩に顎を乗せてべそべそする藤田さんを引きずりながら、僕は箒とちりとりを手に取ったのだった。
一時間後に訪れた依頼人は、二人。五十代ほどの身なりのいい男性と同年齢の女性だ。男性の名は座間弘樹さんといい、スマートフォン用アプリなどを開発するIT系企業の社長だという。女性のほうは、男性の妻である座間スミレだと名乗った。
「初めまして。担当の曽根崎慎司と申します」曽根崎さんは挨拶をしておいて、長い指を揃え表にし藤田さんと僕に向ける。「こちらはアドバイザーの藤田、助手の竹田です。彼らも依頼解決に従事いたしますので情報の共有をしたいのですが、よろしいですか?」
「え、ええ、構いません」
「ご協力感謝します。無論プライバシーは厳守しますのでご安心を」
「はい……」
そう答えたものの、座間さんは重苦しく息を吐いてうつむいた。ひどく疲れているようだ。曽根崎さんほどではないものの目の下にはクマがあり、指先はそわそわと落ち着かない。
しかし向かいのソファに座る曽根崎さんが動じることはなく、いつもの鷹揚な態度で片手を差し出した。
「さて、改めてこちらに出向かれた理由についてお聞かせください。お電話でも承りましたが、もう一度お話しいただくことで見えてくるものもあるでしょう」
「はい。あ、ですが……」
「心得ております。藤田君」
曽根崎さんの呼びかけに藤田さんが立ち上がる。そしてスミレさんの隣に行くと、にこやかに話しかけた。
「奥様はこちらで僕にお話しを聞かせてください。曽根崎から、個別に情報を伺うようにと言われています」
「わかりました」
スミレさんはすんなり立ち上がり、藤田さんのあとに続いて別の階へと向かった。その背中を無意識に目で追っていた僕は、ハッとして依頼人へと視線を戻す。ふと気づいた。座間さんは、遠ざかるスミレさんを心配そうに見つめながらも、強張った顔をホッと緩めていたのである。
「――あの方が、“亡くなったはずの”奥様ですか」
曽根崎さんの一言に、僕は心臓が口から飛び出さんばかりに驚いた。座間さんも同じだったようで、ビクッと体を震わせた。
「……そうです」
座間さんの手が、ぎゅっとスーツのズボンを握る。だけどそれも一瞬で、彼はすぐに顔を上げると食いつかんばかりの勢いで話し始めた。
「曽根崎さん、人の復活はありえるものでしょうか!? つ、妻が生きていたことは嬉しいのです! けれど、決定的におかしくて……! だけど生きていた頃そのままで、私は……!」
「ええ、わかりますよ。“怪異の掃除人”などという怪しげなこの身にご依頼いただいたぐらいです。今の座間様には、異様極まる事態が起こってらっしゃるのでしょう」
落ち着いた低い声に、座間さんは何度もまばたきをして曽根崎さんを見た。そんな彼に、やはり曽根崎さんは淡々と言う。
「話してみてください。どれほど荒唐無稽だとしても、この場であなたを否定する者は一人とておりません」
座間さんの目が泳ぎ、曽根崎さんの後ろに立っていた僕と目が合う。僕がここぞとばかりに頷くと、彼は肩を落とし長い長いため息を吐いた。
「――八年前のことです。妻は、趣味の登山に行ったまま行方不明になりました」
僕のいれたお茶を一口飲んだあと、座間さんはぽつぽつと話し始めた。
「捜索したところ、雪崩に巻き込まれた妻のテントが発見されました。帽子など身につけていたものの一部はあったものの……遺体が見つかることはありませんでした。捜索員が言うには、雪崩に流されて崖に落ちたか下に埋もれたのでは、と。
私個人としては妻を待ち続けたかったのですが、恐縮ながら当方いくらか資産のある身です。かつ私自身の持病も重なり、万が一のトラブルに繋がらぬよう泣く泣く妻を死亡扱いにしたのです」
失踪宣告である。該当の人が生死不明になっても、七年が経てば死亡扱いにできるという法律だ。これにより、残された人は相続問題などに対処することができる。だけどこの場合だと雪崩で亡くなったのは確実だと証明されるだろうから、一年間経てば宣告ができたはずだ。七年以上も待つ必要はない。
……本当に仲睦まじい夫婦だったのだろう。
しかし一ヶ月前、事態は急変したという。なんと亡くなったはずの座間さんの奥さんが、彼の自宅を訪ねてきたのだ。
「妻は……八年前から、全く姿が変わっていませんでした」
座間さんは、水気のない手で顔を覆った。
「見間違えようはずがありません。私は何度も何度も、家を出ていく瞬間の彼女を思い返してきたのです。同じ服、同じ声、同じ笑顔で……スミレは、私に話しかけてきました」
「妙ですね」
「はい、紛れもなくおかしな話です。けれど、当時の私はそんなことどうだってよかった。妻が帰ってきたのです。私は大喜びし、二度と彼女から離れるまいと誓いました」
座間さんの手が顔から離れ、膝の上でぎゅっと拳を作る。再び視線を下に向けた座間さんから、絞り出すような声が漏れた。
「だというのに……妻は、私と暮らすことができないと言ったのです」
「暮らすことができない?」
「はい。自分にはもう定住している場所があるからそこに帰らなければならないとはっきり答えました。聞けば妻は長く記憶喪失状態にあり、親切な人々の世話になっていたそうです。そこには自分と同じように事故によって家や戸籍を失った人達が身を寄せ合い、暮らしていると……。その人達への恩返しがまだ終わっていないから、私のもとでは暮らせない。そう言いました。
当然そんな話が受け入れられるわけがありません。私は反対し、彼女を説得しました。すると妻が言ったのです。だったら、あなたも集落に来ないかと」
「集落? そこがスミレさんの定住地ですか」
「はい。集落には、私のような境遇の者もまた大勢いるそうなんです。死んでいたと思っていた家族や恋人のために、移住を決意した人が」
「……」
「ですが、私は迷っています」
そりゃそうだ。そんな集落の存在なんて聞いたこともないし、そもそも怪しすぎる。だけど座間さんにとって、スミレさんと共に暮らせる生活は喉から手が出るほどに欲しいものだ。彼の葛藤は、今の憔悴ぶりからありありと理解できた。
そんな彼に、曽根崎さんはどう対処するのだろう。
「おや、ちょっと失礼」
僕が固唾をのんで見守っていると、曽根崎さんのスマートフォンに着信が入った。電源を切っておくべきだ。呆れる僕だったが、更にヤツは僕にそのスマートフォンを押しつけてきた。
「対応よろしく」
「ええ……」
不平はあるものの、これも助手の仕事の一環だ。事務所の外に出て、通話ボタンを押した。
『どーも。調べてきましたよ』
電話の主は、スミレさんと話していたはずの藤田さんだった。
「え、藤田さん?」
『あ、景清? 曽根崎さんに伝えといてほしいことがあるんだ。大事なことだけど、いいかな?』
「は、はい、わかりました。何ですか?」
『心して聞いてくれよ。……実は最初に彼女に会った時から違和感があったんだ。しばらく話してみて、確信できた』
いつになく真剣な藤田さんにドキッとする。スミレさんに会った時から違和感があった? なんだ? 彼は何に気づいたというのだろう――?
『オレ、全然スミレさんに性欲湧かなかった』
「……」
『だからスミレさん、もう人じゃないかもだよ。つーわけで、その旨伝言よろしく』
「…………」
………………。
電話を切って事務所に戻ろうと振り返ったところ、曽根崎さんがドアから顔を出していた。早く結果を知りたくて待機していたらしい。彼は小声で尋ねてきた。
「で、景清君。藤田君はなんて言ってた?」
「……スミレさんに、性欲が湧かないと」
「よし、怪異案件だな。伝えに戻るぞ」
エキスパートってそういう意味かよ!!!!
藤田さんは人なら誰でも抱けるので、逆説的に性欲が湧かない相手は人間じゃないと見抜けるのである。その的中率は驚異の100パーセント。なんだよその特殊技能!





