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続々・怪異の掃除人  作者: 長埜 恵
第7章 のたうつ霊の嘆きを聞け
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番外編 記憶喪失の彼と暮らすこと5

 そこに並べられた単語を読むなり、私の脳に強烈な変化が起きた。理解より本能的な嫌悪感が先に立つ。こちらの都合で無理矢理封じ込めていた箱を斧で叩き壊すような野蛮さに動揺するうち、次から次へと失っていた記憶が蘇ってきた。

 データ的な記録だけじゃない、怒涛のように押し寄せる感情もまた、私を苛んだのである。衝動の抑圧、矛盾への怒り、狼狽、躊躇い、後悔――。口の中に酸の味が広がる。トイレに駆け込み、胃の中が空になるまで吐き続けた。

「……最悪の気分だ」

 だがそれが終わったあと、私は怪異の掃除人としての曽根崎慎司に戻っていた。忠助が差し出したコップを受け取り、中の水を一気に飲み干す。投げ捨てるようにして返すと、カラになった手の平を上にして空中で揺らした。

「タバコ」

「ダメだ。景清君がいるだろ」

「歯磨きして消臭剤を使って風呂にも入るから」

「えー」

「頼む」

「……あーもう、しゃあねぇな。一本だけだぞ」

 なんだかんだで弟は私に甘いと思う。彼はため息をつくと、親指で後方を差し外に出るよう促した。

「景清君は夜に起きねぇんだろな?」

「ああ、問題ない。最近はぬいぐるみさえあれば一人で寝られるようになった」

「そうか。やっぱあってよかったな、ぬいぐるみ」

「ありすぎなんだよ。お陰で私のベッドが、夢見る乙女レベルでファンシーだ。どいつもこいつもぬいぐるみを携えてきやがって……」

「仕方ねぇだろ。打ち合わせしてねぇんだから」

「偶然の産物であの量か」

「そうそう、初日から景清君を一人にするのは不安だろうからおもり役を連れてきたぞ」

「おもり役?」

「ちっす、曽根崎さん。好きなものは景清、特技は景清。全人類の意味深フレンド、藤田直和です」

「チェンジ」

「チェンジとかないっす」

 こうして藤田君に景清君を任せ、忠助と外に出たのである。禁煙が叫ばれる昨今、一服する場所を探すのも一苦労だ。近くにある公園にいき、衛生状態に懸念が残るベンチに腰掛けた。

 忠助からタバコと貰い、ライターで火をつける。思いっきり煙を吸い込んで肺に煙を溜め、ゆっくりと吐き出した。美味いと感じるわけではないが、自分はこの吸い方を好んでいるのだ。忠助はというと、私がぼわーっと空中に吐き出した煙を、顔をしかめて手で振り払っていた。

「やめろって。その秒で肺が死にそうな吸い方」

「案外いいものだぞ。忠助もやってみろ。天国が垣間見える気がするから」

「死期的な意味でか?」

「一段一段踏みしめて上ってる感」

「下りてるほうの間違いだろ」

「私は地獄に向かってるのか?」

 まあ、それも悪くないだろう。ただし自分はキリスト教の洗礼を受けていないため、辺獄止まりになるかもしれないが。何者かに認められないと向かえぬ聖地より、誰からも見放された地で何度も死ぬほうが性に合っている気さえする。

「これが今回分の調査結果だ」

 あっという間に一本目が吸い終わる頃、忠助が私に紙の資料を手渡してきた。タバコを口に咥えたまま受け取り、紙をめくる。

「……ふぅん。まだ片田博士の行方は掴めていないか」

「ああ。だが調査自体は進んでるよ。兄さんが、あの博士のいた丘周辺に生える植物は他のものと違うっつってたろ? 六屋さんに調査してもらった結果、南米地方を主に生息している植物だとわかった。とはいえ、六屋さんが言うには少し葉の形が違うそうだがな。今信頼できるネットワークから、その違いが有為性のあるものか確認してもらっている」

「しかし六屋さんは死亡扱いだったろ? 満足な調査はできるのか?」

「その辺りはうまくやっているらしい。それに、六屋さんの命を脅かしてた当人はもうこの世にいねぇしな。『実は生きてました』と公にし、六屋さんには表の世界に戻ってもらうのもいいかもしれないと田中さんは話してたよ」

 それに対する返事はせずに、足を組み直した。疑問の答えが解消したので、資料内容を読み進めることにしたのである。ベンチの上にある街灯の明かりで、字を読むには十分だ。

「……椎名による字の解読はまだか」

「手間取っているらしい。片田博士の調査に名乗りをあげたこともあったし、師匠のおかれた状況に気持ちが乱されてるのかもな」

「ヤツが使いものにならないなら、新しい言語学者を雇うべきじゃないか?」

「わかってるだろ。ツクヨミ財団の深部に関わる研究は、誰にでもできるもんじゃねぇ。ただでさえ研究者は貴重なんだ」

「何も考えずに引っ張り込んで使い潰すのは、田中の爺さんの本意じゃねぇってか。お優しいことで」

 ぼろっと膝にタバコの灰が落ちる。携帯灰皿を取り出そうとしたが、その前に忠助にタバコを持っていかれた。

「種まき人のほうにも動きはない」忠助は自分の携帯灰皿に短くなったタバコを落とし、ぱちんと蓋を閉めた。

「だが生ける手足の炎教団の残党のほうは、ちょっとした動きがあるな。こっちは藤田が遠巻きに様子を見てる」

「藤田君が?」

「責任を感じているらしい。……妙な真似しねぇように、俺も見てる。何かあったら言うわ」

「つまり生ける手足の炎教団は、忠助に見張られる藤田君に見張られていると」

「しち面倒くせぇ言い方すんな」

「ダブルチェックでヒヤリハットが防げるな」

「バカにしてんのか」

 そこでまた会話が途切れた。私も資料を最後まで読み終わってしまっていて、何もすることがなくなっていた。しかし立ち上がらないところを見るに、まだ忠助は話し足りないのだろう。

 そして冷たい夜の静寂の下、忠助の声が響いた。

「……景清君についてだけど」

「忠助、タバコ」

「お前の体嘘つけねぇなぁ」

 今度はすんなりと、忠助は私にタバコを差し出してくれた。受け取り、火をつける。そういえば一本という約束だったなと思い出しながらも、素知らぬ顔して体を脅かすだけの煙を一気に肺から吐き出した。

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【書籍化情報】
怪異の掃除人・曽根崎慎司の事件ファイル(宝島社文庫)
表紙絵
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